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【展覧会】「特別展 法然と極楽浄土」(東京国立博物館)に行ってきた(その②)

1本の記事にするつもりが、予想以上に長くなってしまったため、分けることにしました。

というわけで、続きです。


・阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)(京都・知恩院)(国宝)
今回の展覧会の目玉の1つです。下のリンク画像をはじめ、ポスター等でも、大きく載っています。

でもかえって私は、前回の記事でご紹介した迎接曼荼羅図の方が好きかなぁ。急角度で阿弥陀様たちが舞い降りているので「早来迎」なわけですが、なぜかこちらには音楽を感じなかったのですよ。太鼓はかえって迎接曼荼羅図よりはっきり描かれているのにね。


・山越阿弥陀図屏風(京都・金戒光明寺)(重文)
これが臨終の枕元にあったら、安心してあの世に行けそうです。
山越阿弥陀図は、大倉集古館で見た時(もちろん今回のものとは別)は、何だか阿弥陀様が大魔神のようで、すごいインパクトだったのですが、金戒光明寺のは、比較的違和感がなかったです。 


・綴織當麻曼荼羅(奈良・當麻寺)(国宝)
縦横4メートル、8世紀に蓮糸で織られたという伝説のある、極楽浄土図です。17世紀に補筆されているとはいえ、退色がかなり進んでおり、中央に阿弥陀様がおいでなことが、辛うじて分かるくらいです。補筆されているからか、綴れ織りというより、絵に見えます。


・八天像(京都・知恩院)
めちゃめちゃ風を感じるお像たちです。特に帝釈天の袖のはためきっぷりが見事。金剛力士も、あのような感じのは初めてでした。


・大蔵経(東京・増上寺)(重文)
宋版・元版・高麗版の3種全てを持っているのは、増上寺だけだそうです。今回、3種全てを見ることができます。高麗版があんなに大判だとは知りませんでした。
何とデジタル版アーカイブで見ることができます。


・日課念仏(東京国立博物館)
伝徳川家康筆です。「どうする家康」でも描かれた、晩年の家康が滅罪を願って毎日筆写した無数の「南無阿弥陀仏」ですが、中に2か所、「南無阿弥家康」が混ざっています。周囲の字と雰囲気が違うので、すぐに分かるかと思います。でも「家康」と書いてあるかは、読み取れないのですが。
「南無阿弥家康」を「南無阿弥陀仏」に紛れ込ませたというエピソードは、家康嫌いの人なら、「そういうところが嫌い」と言いそうです。私は別に家康は好きでも嫌いでもありませんが、「南無阿弥家康」と書いたのは、自身を阿弥陀仏と同一視したというより、阿弥陀様と一体化したい、自分を阿弥陀様に溶け込ませたいという、信仰の表れのようにも思えます。


 ・浄土三部経(茨城・弘経寺)
浄土三部経というものは、そういうものなのかもしれませんが、やはり字に乱れがないです。金泥で書かれているのですから、間違えてはいけないという緊張感は、普通の墨以上でしょう。


・仏涅槃群像(香川・法然寺)
立体の涅槃図は、初めて見ました。今回、82軀のうち26軀を拝見できるのですが、ぜひ法然寺ですべて拝見したいです。とはいえそれは2025年12月中旬のことなので、結構先ですが(^-^;

大盤振る舞いなことに、展示の最後にあったこのコーナーは撮影可なのですよ。


仏涅槃群像①


仏涅槃群像②

空想上のものを含め、動物たちも悲しんでいます。


仏涅槃群像③

コウモリやカタツムリまでも。


仏涅槃群像④


仏涅槃群像⑤

何たること~という感じです。


仏涅槃群像⑥

ショックすぎて、気絶している?


仏涅槃群像⑦


仏涅槃群像⑧


仏涅槃群像⑨

みんなお釈迦様の方を見ているのに、なぜかネコだけは違う方を見ています。


仏涅槃群像⑩

ちなみに私、最初に見た時、お釈迦様は目を開けているのだと勘違いしていました。でもよく見たら、実際には閉じておいでで、まぶたのところがちょうど塗りが剥げているのです。つまりコントとかで、寝ているのをごまかすため、まぶたに目玉を描くことがありますが、ああいう感じに見えるのですよ。……不謹慎で、すみません。


2本にするつもりが、すでにここまでで1,500字を超えているため、続きはまた後日にします。



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