仁の人、茂兵衛~『砦番仁義 三河雑兵心得(伍)』(井原忠政)~
茂兵衛はちゃくちゃくと出世し、今巻の最後の方ではついに砦番になります。まぁ砦番になるのと引き換えに、また厄介者の教育を任されますが。
↑kindle版
でも茂兵衛は単に厄介者を押し付けられているだけではなく、実際に上手に彼らを育てるんですね。だから「あいつに任せれば大丈夫」と、また押し付けられるのでしょうけれど。茂兵衛自身、育てることが決して嫌ではないようです。
また茂兵衛は、味方だけではなく敵方であっても、若者への慈悲心があります。今巻では、父親思いの健気な若武者を見逃してしまいます。
ナンマンダブといえば、茂兵衛は変わらず倒した相手に念仏を唱える心を失っていません。
しかし家康の名言を、平八郎が格安で売った設定になっていて、おかしかったです。
なるほど、そういう礼儀があるのですね。
もちろん茂兵衛が内心疑っているように、「難しい任務を担わせるので、とりあえず煽てているだけ」とも「百姓上がりの茂兵衛なら『厭わずにやるだろう』」と思われているだけとも取れます。
でも友人から、会社でも有能な新人は倉庫番など、肉体的にも大変な、一見裏方に見える部署に配属されると聞いたことがあります。そこで大切なことを学び、将来の出世につなげてほしいというのが会社の願いなわけですが、最近の新人はそこが読み取れず、むしろ出世コースから外されたぐらいに思って、最悪の場合辞めてしまうそうです。酒井のように、そういった新人に声をかける先輩や上司がいれば良いのでしょうね。
おお、茂兵衛は仁の人だったのですね。まぁ茂兵衛が足軽になったそもそものきっかけの人殺しも、弟の丑松を守ろうとすればこその行き過ぎだったわけで、そういう意味では最初から仁の人だったと言えなくもありません。
茂兵衛の教え子の一人で、義弟でもある善四郎が、凄惨な話を表情も変えずに話せるようになってしまったことへの茂兵衛の感慨です。でもそういう茂兵衛は、立派な大人である一方で、決して「他人の悲惨に鈍感に」なっていません。何せ仁の人ですから。
見出し画像は、茂兵衛の奉公人の一人である富士之介にちなみ、箱根の大涌谷から見た富士山です。
記事の内容が、お役に立てれば幸いです。頂いたサポートは、記事を書くための書籍の購入代や映画のチケット代などの軍資金として、ありがたく使わせていただきます。