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仁の人、茂兵衛~『砦番仁義 三河雑兵心得(伍)』(井原忠政)~

茂兵衛はちゃくちゃくと出世し、今巻の最後の方ではついに砦番になります。まぁ砦番になるのと引き換えに、また厄介者の教育を任されますが。

↑kindle版


でも茂兵衛は単に厄介者を押し付けられているだけではなく、実際に上手に彼らを育てるんですね。だから「あいつに任せれば大丈夫」と、また押し付けられるのでしょうけれど。茂兵衛自身、育てることが決して嫌ではないようです。

茂兵衛は奉公人たちの成長に目を細め、「人を育てること」の悦びを改めて噛みしめていた。

p.34


また茂兵衛は、味方だけではなく敵方であっても、若者への慈悲心があります。今巻では、父親思いの健気な若武者を見逃してしまいます。

(本当に俺ァ、侍より坊主向きかもしれねェ。平八郎様、御勘弁のほどを……ナンマンダブ、ナンマンダブ)

p.55

ナンマンダブといえば、茂兵衛は変わらず倒した相手に念仏を唱える心を失っていません。


しかし家康の名言を、平八郎が格安で売った設定になっていて、おかしかったです。

「『ワシだけ、どうしてこうも苦労が続くのか。もう嫌になるわ』と酔ってあまりに零されるものだから、ワシがゆうてやったのよ」
「ほう、なんと申されました?」
「人生とは、重い荷物を担いで坂道を上るようなものにござる、とな。殿様いたく気に入られて『その言葉、ワシに売れ』と懐から巾着を取り出された。ま、思い付きで口から出た言葉だから『永楽銭三文に負けておきましょう』と折り合った。ところが殿の巾着に小銭は二文しか入っておらんでな。結局二文で売ったという次第よ」
「それはそれは……」
永楽銭二文――おおよそ二百円ほどの価値か。

p.89~90


先に退却する兵は、留まる殿軍に、一言声をかけていくのが礼儀であり心得だ。騎馬武者の中には、兜の眉庇にそっと触れ、会釈をしていく者も多い。

p.138

なるほど、そういう礼儀があるのですね。


「植田よ。殿はお前のことを買っておられる」
酒井が柔和な顔を向けてきた。
「仕事の確かな男と見ておられる。今は、妙なお役目ばかりを申しつけられておるが、殿は、お前の働きをちゃんと見ておられる。だから腐るな」

p.152

もちろん茂兵衛が内心疑っているように、「難しい任務を担わせるので、とりあえず煽てているだけ」とも「百姓上がりの茂兵衛なら『厭わずにやるだろう』」と思われているだけとも取れます。

でも友人から、会社でも有能な新人は倉庫番など、肉体的にも大変な、一見裏方に見える部署に配属されると聞いたことがあります。そこで大切なことを学び、将来の出世につなげてほしいというのが会社の願いなわけですが、最近の新人はそこが読み取れず、むしろ出世コースから外されたぐらいに思って、最悪の場合辞めてしまうそうです。酒井のように、そういった新人に声をかける先輩や上司がいれば良いのでしょうね。


色々とある徳目のうち、農民出身の茂兵衛にとって「義」は少し敷居が高い。
死んだ父親からも「公に殉じ、正しく生きよ」と教えられた記憶はなく「弱い者には情けをかけてやれ」と諭される程度であった。そのことを寿美に話したことがあるが、学のある妻は――
「その徳目は宥恕と申します。五常で言うところの『仁』に近うございます」
と、教えてくれた。

p.250

おお、茂兵衛は仁の人だったのですね。まぁ茂兵衛が足軽になったそもそものきっかけの人殺しも、弟の丑松を守ろうとすればこその行き過ぎだったわけで、そういう意味では最初から仁の人だったと言えなくもありません。


ひょっとして、他人の悲惨に鈍感になる――これが大人になるということなのかも知れない。

p.276

茂兵衛の教え子の一人で、義弟でもある善四郎が、凄惨な話を表情も変えずに話せるようになってしまったことへの茂兵衛の感慨です。でもそういう茂兵衛は、立派な大人である一方で、決して「他人の悲惨に鈍感に」なっていません。何せ仁の人ですから。


見出し画像は、茂兵衛の奉公人の一人である富士之介にちなみ、箱根の大涌谷から見た富士山です。



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