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女性の生態を理解しよう。そして「女性の自立」とは?

辛い。

何かが抜けていく。

嬉しい辛さだ。


女性であることを、女性らしくあることを、否定していた自分がいた。

男性みたいに、感情を入れずに、揺らがずに、仕事ができない自分をどこかで責めていたことに気がついた。



そして私は、「女性」というものの生態を知らなかった。

いや、体感としては”わかって”いたのかもしれないけど、知識として理解が足りていなかった。

理解していなかったから、受け入れようがなかった。



そういえば、自分が女性らしくあることを赦して生きてきた年数も、まだ短かった。

ずっと長い間、女性なのに、男らしく生きてきた。

男性ができることを自分も出来なきゃいけない、むしろ男より強くなってやる、という潜在意識があった。




私は女性初心者だ。

しかもまだ、3歳くらい。(笑)



「女性は感情の生き物」

と、よくあるその言葉に対し、

「そんなことない。」

という否定の思いが無意識にあった。


勝手に、バカにされたような気になっていた。


イコール、

「感情の生き物であることは、いけないこと」

というジャッジがあった。





私は、知性は低い方ではないと思う。(私のいる世界が基準でしかないけど。)

感覚やイメージを、言語などの形にする(現実化する)のは、私の得意技であり、今、お仕事でそれをウリにしている。


現実化には、知性を使っている。(厳密にいうと「使っている」というより「降りてくる」だが、基盤にそれなりの知性がないと、成り立たない。)

知性は男性性の役割だ。

ということは、男性性をそれなりに磨いて来れているということだと思う。



だけどその大前提として、女性だった。

しかも、めちゃくちゃ女っぽい女性だ。

感受性がめちゃめちゃ強いし

それに伴い感情をとても敏感に感知する。



なんで言語化が得意になったかっていうと、

自分の強すぎる感受性で受け取っている漠然とした感覚を、

言葉で説明できず、バカにされ(たと捉え)、傷つき、悔しい思いをして、


その悔しさがきっかけで言語化の訓練をしてきたからだ。


私の知性(男性性)の根源には、強い感受性(霊性・女性性)があったのだ。


感受性の強い女性性を守りたくて、私の男性性は頑張った。


頑張った男性性ばかりに意識が向いていて、もともと備わっている女性性には意識を向けられていなかった。


だから現実でも、女性らしくあることを否定される(と自分が捉えるような)現実が起きて、気づかせてくれようとする。




この記事が、とても参考になった。



男性の男性性(知性)には、敵わないのだ。

というかそもそも、男性の得意技を、男性のように、できるようになろうとしなくていいのだ。


それは逆も然りである。

男性の女性性は、女性の女性性には敵わない。


まず戦う必要がない。

役割分担。


男性性の知性が必要な時は、得意な人にお願いして、

お互い協力しあえるように、

「相互依存」の関係を築けるように、


私はまず女性であることをまるごと受け入れて、肯定して、

女性であることに誇りを持って、

そういう意識も必要のないほどにそのものになって、

女性らしさを生かした、女性だからこそできる働き方をしよう。



それが私の考える「自立」だ。

女性性と男性性のバランスを取り、自己統合すること。



だから「女性の自立」とは、

潜在的な霊性の高さに、知性を追いつかせる(努力をする)こと。

感情、感覚、イメージなど「感じるもの」を、

知性を使って表現する。


感性を磨く。


ということは、私の考える「男性の自立」は、その反転ということだろう。





長い間、自己統合を目標にしてきたけど、

イメージや感覚を言語化するお仕事をしている時点で、

私は女性性と男性性をしっかり両立して使っていたんだ。


統合した感覚はなんとなくあったけど、

どういうことなのか理解はできていなかった。



もう、統合したってことにする。

この修行おわり。

あ〜、また、修了式を迎えられる。

自分で認識して納得しないと、修了できないからね。



最近成長のスピードが今までよりも早くなって、茉莉枝は大変しているさ〜😫

でもついていけてる。

えらいね、ありがとう。



そしてよかったね、おめでとう❤️

打ち上げしよ。(笑)



女性の形をして生まれてきた。

それには抗えないし、抗う必要もない。


もっともっと、女性を謳歌しよう⤴︎






読んだ?ねえ読んだ!? お金ちょーだい🥺💕