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夜を乗り越える

 どうでもよかった。
 両親が離婚して、その原因が信じていた母親の不倫だった。
「お母さんも女なの、許してね」
 そう言って不倫相手と出ていった。
 許してって? 俺はなにを許せばいいんだ? 許せない俺は悪いのか? そもそも俺は許してないのか?

 繁華街に出たら、ガラの悪そうな兄ちゃんが笑顔で近づいてきた。
「お兄ちゃん、中学生?」
 聞かれたので頷くと、
「ダメだよ、こんな時間にこんなとこにいたら補導されちゃうよ」
 言いながら、火が付いたタバコを一本差し出した。
「俺、未成年だから」
 小さい声で言ったけど、
「いいから。楽になるからさ」
 ぎゅっと、俺の手に握らせた。
 煙を吸い込むと、本当に頭がふわっとした。心地よかった。怒りも悲しみも吹っ飛んで、今ここにいることすら、夢の中の出来事のように感じた。
 とりあえず、今を乗り越えられればいい、今夜さえ乗り越えられれば、俺はまた強く生きていけるはずだ。

 親父はあれから飲んだくれになってしまった。酒なんて、ほとんど飲まない人だったのに。
 俺は、そんな親父を励ましながら、しっかり者の息子になった。朗らかだった父親の変わり果てた姿に絶望していたけれど、そんな気持ちは押し殺して、学校も休まずに行って、母親の代わりに家事もこなした。悲しみも怒りも絶望も、自分の中に押し込めた。

「だんだん、量が増えてきてない? 中毒になっちゃうよ。まだ若いのに」
 ガラの悪そうな兄ちゃんは、通称ケイといった。ホントはアルファベットの「K」なんだよって教えてくれた。そんな情報どうでもよかった。
 ケイがくれる心地よくなるもの、それがなければやっていけなかった。ケイはたぶん20代だった。「10代のころの俺みたいでさ」と言って、ケイは本当は有料のソレを無料で俺に分けてくれてた。

 その晩も、夕飯の後、家を抜け出してケイに会いに行った。いつもの繁華街の路地。
 ケイからいつものを受け取っていた時、路地の向こうに人影が動いた。
「やべえ! 逃げろ!」
 ケイが叫んだ。訳がわからず、ケイに続いて、俺は走った。
「まくんだ! 違う方向に走れ! 絶対つかまるなよ! 絶対助かれ! 生き抜けよ!」
 先を走るケイに言われて、俺はケイとは別の方向に走った。転がるように走った。途中で転んだけど走った。走って走って、息が切れて、気を失うように倒れた。
 誰の気配もしない暗がりの中、追っ手はまいたようだ。汗が目に入って、顔がゆがんだ。
 ケイはどうなった? 逃げきれたのか?
“絶対助かれ! 生き抜けよ!”
 言われた言葉が耳に残っている。
 この夜を越えれば、大丈夫なはずだ。とりあえず、今夜を乗り越えれば、俺は強く生きられる。握りしめていたケイから受け取ったモノを顔に当てて、俺は大きく息を吸った。

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