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フランスに行くことを決めた、漠然とした理由。


忘れもしない、2003年6月30日。
その日から私はフランスに住んでいる。

当時は「1年」の滞在予定が、15年以上経った今でもフランスの地方都市で生活しているなんて、フランスに行くことを決めたときの自分には想像もつかなかったことだけれど、生きていると「何気なく下した決断」がその後の人生を左右することがある。

外国で暮らすというのは、私の人生にとって大きな選択で重大な決心だった。たとえ当時の自分に、その実感がなかったとしても。

あの頃、「フランスに行くことを決めた、漠然とした理由」を、過去を思い出しながら書いていく。

フランスとの出会い

大学に入ったばかりの頃、英文科だった私が第二外国語に選んだのがフランス語だった。

いわゆるフレンチ・ポップスな音楽、ジェーン・バーキン、フランス・ギャル、シルヴィ・ヴァルタン、シャルロット・ゲンズブール、、、CMやドラマなどで使われているのを耳にして、「フランス語ってやわらかい」と思っていた。

音がやわらかいというのは感覚的に適していないのかもしれないけれど、「耳に心地よくて、何を言っているかわからないけど気持ちが伝わる」とか、「ちょっとメランコリックでノスタルジックな雰囲気」に惹かれていった。

とはいえ、CDを買ってフランス語で歌詞を読んでも意味が分からない。
曲を聴きながら一緒に歌おうとしても発音がわからなくて読めない。

フランス語を習ったことがないのだから当たり前なのだけど、それまで英語しか外国語を習ったことがなかった私にはとても新鮮で、その頃からフランスとフランス語に興味を持ち、第二外国として選択するキッカケになった。

と同時に、フランスの音楽を聴くだけじゃなく、フランス映画も見始めた。

音楽を聴くときと同じように、フランス語の会話を聞いていると「やわらかい」。

ふわふわしていて、変幻自在で、感情的で。

中でもジャン=リュック・ゴダール、セドリック・クラピッシュ、ジャン=ピエール・ジュネの映画をよく見ていた。

ときどき、「この映画の言いたかったこととは、、、?」と映画を見終わった後に考えてしまうこともあったし、映画の内容よりは景色や装飾、ファッションのほうが印象に残っていることもあった。

それでも「雰囲気が好き」とか、「よくわからないからミステリアスで気になる」とか、そういう理由でフランス映画を選んで見ていた。

映画を見ている時は、字幕を追う。やわらかい音を耳で聞きながら、目で意味を確認する。

そのうち、「やわらかい音」が意味する内容を理解したいと思うようになっていった。字幕というフィルターを通さずに。

もっと知りたい、もっとわかりたい。まるで好きな人ができたみたいだった。

フランス語を習い始める

恋に落ちたかのようにフランスに憧れを抱いた私は、フランス語を真剣に習いたいと思うようになった。好きな人(フランス)には一歩でも近づきたい。

第二外国語だというのに、週に一回のフランス語の授業が大学生活の中で一番楽しくて、英語そっちのけでのめりこんだ。

大学へ行くのに電車で2時間くらいかかったので、フランス語への意欲が高まった私は、通学中にフランス語の文法書と会話の教科書を交互に読むことにした。

満員電車の中、当時はスマホがなかったから本を開いて読むのが至難の業だったけれど、小さな本を買って片手で本を持ち、もう片方の手でどこかにつかまりながら読んでいた。

行きは文法、帰りは会話。

自分にノルマを課して、参考書の目次を見ながら「毎日1章ずつ読んだら、1か月後に読み終わる」と想定して、電車で読み切れなかった部分は家で読んだ。

学校がない日や時間がある日は、家でCD付きのフランス語の会話集を使ってひたすら発音やイントネーション、話し方を真似していた。

独学では飽き足らず、しばらくして東京日仏学院に通い始めた。フランス人の教師に教わることやフランス語を専門にあつかう本屋さんに通い、イベントやメディアテークを通してフランス文化に触れた。日本に居ながらにして、行ったことがないフランスの雰囲気を味わえる、貴重な機会だった。

その頃にはもう、ふつふつと「実際にフランスに行きたい」という気持ちが大きくなっていた。

周りが就活を控えて説明会などへ行っている時期、私はバイトを掛け持ちして、留学費の貯金とフランス語の授業や参考書を買うために忙しくしていた。忙しくしていないと、就活をしない不安に押しつぶされそうでもあったから。

本当は、就活もせずに一人で海外へ行くことは怖かった。

怖さをかき消すかのように、バイトとフランス語の勉強に時間を費やした。

(自分ではすごく勉強してからフランスへ行ったつもりだったけど、実はゼロに近い状態だったことに気づくのは留学初日のこと。)

フランス行きを考える

両親は、私が大学卒業後に新卒で就職することを望んでいたけれど、その時の私は「まだ見ぬフランスに恋をしていた」のと、「今の自分に自信が持てない」という理由で就活は一切しなかった。

両親や親戚、友達には、「自分勝手」だとか、「考えが甘い」とか思われていたかもしれない。それでも、そのまま就職することのほうが怖かった。

ただ、行ったことがない国に自分の貴重な人生の一部分をゆだねてもいいのだろうか?

恋する乙女状態の私の中に残っていた多少の冷静さが、「憧れだけど会ったこともない人に恋をする前に、ご対面はしておこう」と思わせ、友達とフランス旅行に行ってきたのも大きかった。

パリやヴェルサイユ宮殿、モン・サン・ミッシェル、、、たった4泊6日の旅だったけど、初めての海外で憧れのフランスに出会えた感動は一生ものだった。

パリで知り合いの日本人が話す流暢なフランス語に感動したり、つたないながら自分でもフランス語でチェックインの手続きをしたり。ちょっとしたことが嬉しくて、とにかく見るものすべてが新鮮で、映画の中にいるみたいで、、、

旅行最終日、ついにフランスとのご対面を果たした感動の中「卒業したら戻ってきます」と心の中で再会を約束し日本へ帰ってきた。

決断

当時の自分は英文科なのに英語も中途半端で、武器となるものが一つもなく、資格も特技もなくて空っぽだった。「このまま社会に出てもなにもできない」という不安を払拭するためには「外国で一人暮らしをしたら人として成長できるし、フランス語もできるようになる」という期待と思い込みしかなかった。

ある意味、「逃げ」だったのかもしれない。

社会の波にのまれる恐怖で、まだ自分は準備が整っていないと感じていた。

新卒で就職しないというリスクもわかっていたつもりだし、フランスから帰ってきても必ず職があるという確信さえなかった。結局のところ、「逃げる」ことが「逃げない」ことよりも大きな試練になることはわかっていた。

両親には、この決断でほんとうに心配をかけさせたと思う。子供を一人で海外に行かせるということにどれだけの不安があるか、子供を持った今になって本当によくわかる。何事も、経験しないとわからない。

不自由なく育ててくれた両親に対して、新卒で就職をして安心させることができないという罪悪感は少しあったけれど、特に大きな言い争いはなく、心配しながらも応援してくれていた。

一人暮らしの経験もない、海外での一人暮らしは簡単なことじゃないことは分かっていた。だからこそ自分に必要だと思っていた。修行みたいに。親へかけている心配と、帰国後への不安を「大きく成長して帰ってきます」と心に誓うことで紛らわせつつ、留学準備を進めた。

そういうわけで大学生の私は、就職せずに「ちょっと1年フランスに行ってきます」と何気なく留学することを選択し、「日本に帰ってきたらフランス語をいかした仕事をしよう」という漠然とした理由でフランスへ渡った。

最終的に「1年後に日本に帰らず、フランスで生きる決心をする」ことになろうとは、このときはまだ微塵も思わずに。


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