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フランスで一歩、外へ出る勇気。

この記事は、こちら☟のマガジンの続きです。


「電話しなきゃ。」

この年の夏は異常な猛暑で、特に6月中は史上最高気温を記録した日もあったはずなのだけど、記憶の中では冷たい寮の部屋で、呆然としながらも「実家に電話しなきゃ」と思っていた。

携帯電話は日本から持ってきていないので(何日か後に現地で購入した)、寮のどこかにある電話からかけないといけないのだけど、部屋の外へ出るのが怖い。

日本で意気込んでここまで来た勇気はいったいどこへ...

どんなに怖くても、部屋から出ないと公衆電話を探せない。公衆電話が見つからないと実家に電話できない。実家に電話できないと両親に心配をかける。着いたら電話をすると約束していたのに。

日本時間では朝の7時くらいだったかもしれない。

前日23時ごろ寮の部屋について、とりあえず最低限の荷物を取り出して、その日眠れるような状態にまでするのに1時間ほどかかったと思うから。フランスの夜中の12時は、サマータイムで日本の朝の7時。

「寝る前に電話を...」

部屋の鍵を握りしめ、24時間管理人がいる受付けまで下りると、案外すんなりと電話は見つかった。

よくある日本の公衆電話と同じで、硬貨を入れてボタンを押すタイプ。

まず国番号からだから...と、国際電話で日本へかけるときの番号を確認しつつ日本へ電話をする。

数秒の呼び出し音のあと。

...

「はい」

母だった。

いつも聞きなれていた声、耳の近くですぐ聞こえる声、でも遠くからの声。

「あ、無事につきましたー」

なるべく冷静に、いつも通りに。声のトーンに気を付けて。

「すごく疲れたし部屋は殺風景だけど何とかたどり着いてこれから寝るし明日からがんばりまーす」ということを、まくしたてるように精一杯元気に言った。父とも少し話した。出勤前の忙しい時間だったかもしれないから、一瞬だけ話した気がする。

「がんばってね」

と言われて電話を切る。その後、留学中に電話を切る際はいつも「がんばってね」と言われていた。

「うん。がんばる。」


その日の全てのミッションをこなした私は、色々な想いを抱えながら部屋に戻ってまた少し荷解きをしたあとに眠りについた。

翌朝、前日のショックと不安は少し和らいでて、相変わらず「部屋の外に出るのが怖い」という感覚はあったけれど、とりあえず寮がどんな仕組みになっているか見てこようと思った。

それに、お腹もすいていた。

昨晩とは違って、朝になって明るい雰囲気になっている寮に少し安心する。ドアの向こうから人が歩く音や話し声も聞こえる。

恐る恐る部屋を出て、階段を下りた。

受付けのある1階には食堂があって、テーブルや椅子がたくさんあるホールを通り過ぎると別の棟がある。ラフな格好でペタペタとビーチサンダルの音を立てながら歩いていく何人かの住居人とすれ違い、「早く私もあれくらい慣れたい」と思っていた。まだここが一年住むことになる「自分の家」という感覚がない。

ホールの横には掲示板があり、興味本位で眺めていた。食器やキッチン道具を売りたい人や、仲間募集(サッカーやテニスなど)、アパートの賃貸情報などが書かれた紙が、ところ狭しと貼られていた。

すると突然、

「日本からですか?」と声をかけられた。

文字を読むことに集中していたのと、人に話しかけられることを予期していなかったことと、予想外に日本語で話しかけられていることに実感がわかずに一瞬戸惑ったものの、

「は、はい!」と慌てて返事をした。

すれ違う住居人たちと同じようにラフな格好で声をかけてくれたその人は日本人の男性で、私が着いたばかりだと知ると色々なことを教えてくれた。

さらには「他にも日本人が住んでいるから」と、その日の午後に日本人を紹介してもらうことになった。着いたばかりで不安だろうからと。

本当にありがたかった。

その人のおかげで寮の周りに何があるか少し把握した私は、教えてもらったスーパーまで食料を調達しに行くことができた。まだ商品の善し悪しが分からず、何を買ったらいいかわからなかったけど、パスタとパスタソース、それにリンゴと水だけレジへ持っていき、不愛想な女性店員へ会計を済ませてスーパーを後にした。

共同のキッチンを使い、パスタをゆでてパスタソースをからめたものを昼食にしたけど、パスタソースはあまりおいしくなかった。

午後、言われた通りの番号の部屋へ行くと、他に二人の日本人女性がいた。

男性を含めた3人とも、フランスに住み始めた時期や滞在期間はバラバラだけど、笑いあっていてとても仲がよさそうだった。その様子に私は心から安心して、「楽しめるかもしれない」という希望も少しだけわいてきていた。

私の部屋より、もっと生活感にあふれている「家」のような、日本で友達の家に招かれて数人でお茶をしているような感覚。

彼らの話を聞いて、私の話も聞いてもらっていると、怖さと不安が少しづつとけていった。

そのうちの一人の女の子は私と同い年で、後日、町を案内してくれると言った。

泣きたくなるくらい、うれしかった。

その子とまた会う約束をして自分の部屋へ戻ると、牢屋のようだと思っていた部屋も少し快適に見えてきていた。心の持ちようで見える景色も変わる。殺風景で何もないと思っていたその場所は、逆に言うと自分の好きなように変えられるということ。私が来る前も、きっとその前の住人らしさがある部屋だったのだろう。今はそれがすべてゼロに戻され、今度は私が私らしい部屋を作る番。

無造作に置いていた荷物や机周りを片付けていると、部屋は自分の持ち物で徐々に満たされ、少しずつ「自分の部屋」らしくなってきてくつろげるようになってきた。

部屋の整理をしていると足りないものがわかってきたので、今後調達するためにリストを書き始める。今度はおいしくなかったパスタソースじゃなくて、美味しいごはんを食べたい。もっともっと部屋を快適にして、私も人を招きたい。

「明日が楽しみ」

そう思えただけで、昨日より少しだけ前に進んでいる。

朝、あの時間にこの部屋から出て、一歩外へ出る勇気を出してよかった。





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