縄文人像に着装する衣装制作の記録

ベンガラ染めによる黒い鹿皮

赤い飾りが際立つにはやはり黒い下地が美しいと考えました。
まずベースになる鹿皮を探しました。縄文時代の手法に合わせた方法での作成を試みました。なるべく東北地方に近い場所に合わせたかったので岩手県に生息していた和鹿を入手、ナメシ方法は古代は、脳漿ナメシが多かったので近い効果のあるコレステロールを使用した方法で発注しました。
同時に白い鹿皮を黒く染める方法を探りました。
最初どんぐりを集め数日水に浸け、煮沸、鉄分を投入した液に鹿皮の端きれを浸けて数週間寝かせ取り出してみましたが、確かにに黒くなったけど茶色味を帯びていて皮が硬くなってしまいました。探していたらベンガラの染めの粉を生産しているメーカーがみつかり、燃焼温度と調合により黒い色のベンガラも作っていました。相談し、鹿皮を染めて頂きました。それでようやく完成しました。
化学染料では出ない味わいある炭黒の色調で仕上がりました。
赤漆を使用した糸や土器、木製品、かんざし、腕輪など多く出土品を見受けられますが、黒漆の方は少ないです。土器や木製品の下地に塗られていたり、文様を描くなど身受けられます。
生漆、クロメ漆、炭粉、研究者の説ではアスファルトが顔料として用いられていたのではないかという説が浮上しています。しかし漆は利点として接着要素があり、硬いエナメル質になります。であると衣類である皮全体に黒漆を塗り付けたとは考えにくいのです。薄く塗る事は考えられます。

燻し皮の可能性と定着処理

縄文人の生活様式を想像するに火を起こし、土器で煮炊きする際、煤や焦げがこびり付く、灰や炭が出来ます。ドングリの粉で作ったクッキーも出土しており、灰の中で焼いたと考えられます。また野外の調理であっても、動物の皮をなめし、解体、食料は燻製で保存していた可能性もあります。その時、衣類の皮も自然に燻されることもありそうです。あるいは一緒に燻したかもしれません。こういった白い鹿皮を燻し、漆や炭や酸化鉄を塗り付けてゆき自然現象も重なってだんだん黒さが増していったのではないでしょうか。
あとで読んだのですが、黒い土器は松葉などを被せて焼いて脂やカーボンを吸着させたのではないかという説があります。やはり、鹿皮を松煙で燻し、漆で細かな模様を描く伝統工芸の印伝と同じような方法が考えられます。
実は納品は2015年度で完了したのですが、長期展示されるため、堅牢度に懸念する問題が浮上しました。古代製法にこだわったので、特に化学成分を使用せず、定着させる処理を行っておりませんでした。
鹿皮を入手した奈良県宇陀市の会社に相談し、世界中の博物館を廻っている経験ある方ののアドバイスで染め重ねをすることにしました。
赤い漆塗りの縄飾りや貝は一旦外さなければ染め重ねの工程に進めません。
長時間博物館の照明を受けることを考慮し、微量の化学成分で黒い色を定着させ、再度飾りつけをしてようやく完成しました。

アクセサリーについて

出土品からも多数種の装飾品があるので、着飾る事が日常的でおしゃれであった縄文人を伺いしれます。2005年の「縄文vs弥生」展では、媒体としての強さの重視と皮と繋がる動物関連の素材で提案するため、熊の爪と琥珀といも貝の組み合わせのネックレスを考案していたこともあり、今回もその方向性で作成を試みましたが、専門分野の教授から、動物の爪や牙は主に男性着用であったというご教示を頂き、見直し、一ノ渡遺跡から出土している翡翠大珠を復元して着用させることにしました。また岩手県崎山貝塚などから貝殻のビーズが出土していることから、いも貝のビーズと三内丸山遺跡から出土している丸い翡翠大珠に似た形状のものを組み合わせ短めのチョーカータイプと長いペンダント型と二連重ね付けしました。
かんざしや耳飾り、貝輪は美術会社が担当されました。

参考文献:「青森縄文王国」新潮社  「縄文時代」吉川弘文館 
     「縄文の漆、縄文時代の食と住まい」同成社 
     「水辺と森と縄文人」歴博図録  
      週間朝日百科34 日本の歴史 朝日新聞社
     




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