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6.堂道、ファミリー!③

堂道と草太が楽しそうに釣りをしている。
 糸と小夜はそれをぼんやりと眺めていた。甲板の白の跳ね返りが眩しい。サングラスがなかったら目を傷めていただろう日差しの強さだ。

「お金持ちってホント天然だよね。大学の時にいた社長令嬢を思い出した」

あらゆるもの、ことに対して悪意がなく、マイペースだった彼女によく似ている。堂道母しかり、春子しかり、美麗しかり。

「小夜も結婚したらあんな感じになるのかなぁ?」

「ならないならない。ああいうのは生まれた時からのお金持ち。お金に苦労していない余裕から生まれるものじゃない?」

小夜は腕に日焼け止めクリームを塗り直しながら、糸の話に相槌を打つ。

「草太くんの実家も似たような感じだよ。いい人たちなんだけどね。悪気がないのが悪いってやつ。まー、嫁がどこぞの病院の娘じゃなくて、私みたいな庶民でもオーケーって言ってくれるだけありがたいよー」

それは、公務員家庭で育った糸にも言えることだ。
 事実、春子は医者の元へ嫁いでいて、美麗の出自まではまだ知らないが、一般庶民ではないことは間違いない。

「堂道ファミリーだって全然悪くないよ。糸の事、ウエルカムだし。こんな船も乗せてくれて」

「もっと高飛車で嫌な人たち想像してた。でも、このセレブ感覚に、ついて行けるかは心配だわ」

「って考えたら、堂道次長はかなり普通っていうか、一般人だねー」

「確かにね。普段でも、そういう片鱗、まったく見せなかったもん」

「なんにせよ、実家がお金に困ってないって言うのはいいよ。頼られることはないし、こっちは頼れるし」

女子トークで盛り上がっていると、
「糸ちゃーん」

船室から、冬至が出てきた。
 堂道と同じ顔で満面の笑みなので、まだ慣れない。違和感がかなりある。小夜はなおさらだろう。

「俺ねー、いいもの持ってきたんだ。夏至の昔の写真。見たいだろ?」

「えっ、はい! 見たいです!」

「私も見たいー!」

「じゃーん」

小夜と一緒にのぞき込んだ古ぼけたスナップ写真には二人の男が映っていた。

「え、顔同じ。どっち? 糸、わかる? 」

小夜が言うのに首を振る。
 二人とも私服で、一人はもっさりとした髪に分厚いレンズの眼鏡をかけていて、もう一人は爽やかな好青年だ。

「全然わかんない。……おいくつの時ですか?」

「高校生」

どちらにも今の堂道のルーツはなく、二人とも笑顔ではないので冬至の決め手にもならない。
 
「えっと、夏至さんは……」
 
 冬至は、爽やかな方を指して「こっちが俺」と言う。
 小夜が即座に反応して、
「かっこいい! かなりおモテになったんじゃないですか?」

「まあねー」

冬至は、堂道と違う学校だったと聞いた。
 同じ中学を受験したが、堂道の方は不合格だったらしい。
 この顔で頭もよければ、冬至はさぞ女子に人気だったことだろう。
 しかし、糸が気になるのはもう一人の、よく言えば「真面目そう」な方だ。

「夏至、ダサくね?」

確かに、ぱっとしない。
 よく言えば育ちはよさそう、悪く言えばいかにも根暗で気が弱そうで、まさか将来、厳しい営業職として社会を渡り歩くような、あるいは、パワハラ上司に成長するようにはとうてい見えない。それ以前にバスケをやっているようにも見えない。

今の姿からは想像できない昔に、
「……大学でどう転んで今の次長になったのか、そこが気になります」

そう言うと、小夜が「たしかに」と笑う。

「次長、大学で一体なにがあった?」

「糸さぁん」

美麗がふんわりとやって来た。
 見た目のままのいい香りがする。

「騙されちゃダメよぉ。ソレ、冬至くんの鉄板ネタなの。眼鏡じゃないほうが夏至くんだから」
 
「えっ!」

小夜と二人で声を上げる。

「美麗、言うなよー。せっかく騙されてくれたのに」

「え、ほんとに!? こっちの爽やかクンが!? 冬至さんも今と全然違う」

驚いて説明を求めていると、堂道がやってきた。

「えっ!? まさかのこっちですか!?」

「そう、これが俺。俺はこんなガリ勉じゃねえ」

堂道はクーラーボックスから冷水に浸かっていたジンジャエールを出した。白い船体と海と空の青と、「わ、つめて」と滴る真水の雫が清々しい。
 蓋をひねると、炭酸の水が抜ける音がする。
 
 庶民的なアウトドア用品は、堂道が自分で持参したものだった。
 船室の冷蔵庫の中には、酒からジュース類、ミネラルウオーターに至るまで揃っていたが、すべて外国産のおしゃれなペットボトルだ。

「えー、これが次長なんですかー!? やだ、糸。次長、かっこいいじゃないー!」

「おいおい、小夜ちゃん。俺はー?」

「えっと、冬至さんは……頭よさそうですね!」

小夜の答えに肩をすくめて、
「俺、これでも学校ではイケてた方だったんだけどなー」

「まあ、もっとヤバイ奴ばっかでしたからね、うちは」

フォローするのは草太だ。冬至と同じ学校らしい。

「……いやでも、この爽やかクンが次長っていうのもそれはそれで信じられないっていうか」

「なんでだよ」

渋い顔の夏至の隣で、冬至はにこにこして、
「夏至ってさー、学生時代すっごいモテたからね。バスケ全国区の学校だからファン的な子もいたし」

「ファン!? なにそれ、聞いてません!」

「昔の話だっつーの」

「バスケの雑誌とかにもちょろっと載ったりさ」

「えー! その雑誌あります!?」

「確か、家にあるはずだよ」

「見たい! 冬至さん、今度見せてください」

すっかり浮かれ気味の糸に、爆弾を落としたのは美麗だった。

「それで、前の奥さんも高校時代の夏至くんを知ってたのよねぇ」

「……え」

「就職した会社で再会するとかロマンチックだと思わない?」

全く予想してなかった話の展開になって、思わず糸は黙ってしまった。
「美麗」と冬至が声を強めたのと、夏至が止めに入ったタイミングは同じだった。さすが双子だ。息が合っている。

「美麗さん、その話、今はナシで」

「やだ、ごめんなさぁい!」

美麗は焦った様子で糸に謝る。やはり悪気はないらしい。天然なのだ。
 堂道の手が、やさしく糸の頭に載る。

「昔の話だ」

「はい、平気ですよ」

笑顔を作る。
 糸は悲しいかな、空気が読める一般庶民だった。

「わー、綺麗……!」

船上からの夕日は、今までに見たことのない美しさだった。
 甲板から堂道と二人で並んでそれを見る。
 乱れる髪を押さえる。
 視界にはひたすらの海原と太陽しかない。
 昼間は主役だった深い青の海も、今は眠ってしまったように暗く、ゆらゆらしているだけだ。

「疲れただろ」

「少し。でも、楽しかったです」

それは正直な感想だった。

堂道の父はひたすらに穏やかで優しく、母はマイペースすぎて面白い。さっきなど人目も憚らず、水着姿で甲羅干ししていたから驚いた。
 いつもの光景らしいが、糸にはいきなりだし、失礼だが年齢的にも驚きしかなかった。
 
「あの人たちは基本周りに興味ないからな。逆に干渉してこないし、うるさくも言ってこない」

「お姉さん夫婦は面白くて楽しいし、次長に容赦ないし。夏至ちゃんを私が守ってあげなきゃって思いました!」

「頼もしいな」

姉の堂道に対する言動はとにかく辛辣だったが、今日だけでも何かある度、姉は夏至にいちいち尋ねていた。頼りにしているのだと思った。おそらく冬至よりも。
 話のなかで「夏至が医者にならなかったことが悔しいの」と漏らしていた。それが本音なのだろう。

「糸」

潮風に舞って糸の顔を邪魔していた髪を、堂道が指で払いのけてくれた。そのまま鼻の頭に触れる。

「焼けてんぞ、顔」

「えっ、やっぱりですか!?」

「赤くなってる」

オレンジ色の夕陽に照らされた堂道の顔も赤い。

「美麗さんがくれたパックしなきゃ」
 
 さっき、突然に手渡されたのは、高級スキンケアメーカーのシートパックだった。
「すごくいいのよ、これ」と小夜と糸に三つずつくれた。
 親切な人なのだ。

「糸、怒ってるか」

堂道の言葉に、糸は穏やかに首を振る。

「怒ってません。ってゆーか、私が怒るのもおかしくないですか? それに、怒っても仕方ないことだし。でも……」

「でも?」

「仕方ないってわかってるけど。筋違いだってわかってるけど。怒ってるか怒ってないかで言うと怒ってるかもしれないです」

「裏腹だな」

「うーん、やっぱり怒ってはいないかも」

「なんだそれは」

「怒ってるっていうのはちょっと違う。悲しい、のも違うし、悔しいっていうのでもない……」

「傷ついた?」

「あ、それかも」

堂道と糸は顔いっぱいに風を受けながら、しばらくだんだん沈んでいく夕陽を眺めていた。
 遥か向こうの海面は鏡面のように、オレンジ色に光っていた。
 絶え間なく聞こえてくる船のエンジン音に混ざって、時折船体に大きな波に当たって水の弾ける音がする。

「前の結婚のこと、聞きたければ話す」

糸は俯いた。
 船が水を切っていくそこで、繰り返し生まれては消えていく泡を見つめる。

やがて、糸は顔を上げ、
「聞きたくないけど知りたいから、聞きたいです」

「どっちだ」と堂道は笑う。

「聞く」

「元嫁は、前の会社の同期で」

「はい」

語りはじめた堂道の顔を糸は見つめた。
 思い出しているのだろうその表情は、やはり少し妬ける。
 けれど拗ねるようなことはしない。

「高校ん時、バスケ部のマネージャーやってたとかで、俺の事を知ってた。つっても、ファンとかそういうのじゃなくて、俺の存在を知ってただけだった」

出会いは、運命的でドラマチック。
 きっかけとしては十分で、親しくなるのに時間はかからなかった。

「交際は順調で、三年付き合って結婚」

夫婦になってしばらくした頃、堂道は関西へ長期で出張することになった。半年間の単身赴任だった。
 その間も何度か東京には帰っていたが、元妻の不貞には気づかなかった。

「浮気を知ったのは他の同僚からのタレコミ。問い詰めたらすぐに白状した。流行りのダブル不倫。相手は俺も知ってる元ヨメの上司だった人」

寂しかったのだと元妻は言ったそうだ。

「元ヨメは会社に残って、俺が辞めた。アラサーの転職は男の方が有利だからな。向こうには捨てるには惜しい職だったろうし、居づらかっただろうけど、ま、それは俺の知ったこっちゃねぇし」

「相手の上司の人もそのまま……?」

「いや、会社にバレて異動させられた。お互い離婚して一緒になろうとか、そこまでの気持ちじゃなかったんだな。バレた後は別れたって聞いた」

「……そうですか」

「もう七、八年はあいつには会ってないし、この先、会うこともないだろうな」

夕陽はいつのまにかずいぶん地平線の近くまで落ちていた。
 じりじりと、その輪郭を大きくしながら沈んでいく。

「だから一昨年転勤になったとき、正直言うと怖かったよ。遠距離なんて馬鹿な努力だって思い知らされてるからな。だから諦めた」

進んでも進んでも、右も、左も、ずっと海。
 太陽だけが存在する目の前に世界に、走り続けるエンジンの音。

「私は裏切りませんよ」

「知ってるよ。そんな甘言を信じられるくらいには、俺は愛されてる」

堂道が優しい顔で、糸の頬に触れた。

Next 堂道、ファミリー!④に続く

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