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【2022年8月】帰る家があってこその夏休み

こんにちは、Mari(Mari the world)です。
早いもので、明日で8月も終わりです。2022年も上半期が終わり、下半期も残すところ4ヶ月です。

前回の記事では、7月後半の振り返りをしました。

今回の記事では、8月1ヶ月を振り返っていきたいと思います。

アメブロで更新した8月の記事はこちら↓


1.8月前半【夏休み】

散歩ー7月いっぱいまでいた職場の近く

8月は前半と後半で大きく異なった。前半が自由に動きまわる「夏休み」だとすれば、後半は居場所を固め、日常生活に戻る「学期始まり」だ。順を追って振り返っていく。

7月の後半2週間、住み込みバイトをして過ごした北海道の職場を辞め、8月上旬に退寮した。せっかくなので、職場の友人と一緒に稚内まで旅行することにした。

途中、ひまわり園があったので立ち寄った。

宗谷岬にて

稚内で1泊した後、札幌へ行く私と職場に戻る彼女は別れ、それぞれの日々へ。

札幌で1泊したのち、まだ行っていない函館へ。

五稜郭タワー
函館山の夜景
立待岬
函館山までハイキング


私の知り合いも言っていたけど、函館と長崎は似ている。共に坂があったり、海があって外交や貿易の拠点として栄えた共通点もあるし、領事館や教会もある。

函館で2泊3日過ごしたのち、津軽フェリーで青森港へ。

指定席のビューシート

そのまま最終日のねぶた祭を見てきた。実に3年ぶりの開催なんだとか。

その日の夜、青森市では花火大会があったけど、花火だと帰りも混雑して疲れるので、急遽泊まっていたビジネスホテルのおばちゃんに聞いた、五所川原の立ちねぶたを見に行くことに。


普通の青森ねぶたの夜バージョンは見れなかったけど、大好きな桃鉄のねぶたも見れて大満足。


翌日、気になっていた世界遺産、白神山地へ。

長靴を300円でレンタル

この1週間ほど前に起きた東北の集中豪雨により、滝が見れるコースは残念ながら封鎖されていた。だが、ブナ林散策道だけでも行けてよかった。

実はこの翌日、青森に記録的豪雨が起こり、このブナ林散策道ですら封鎖されてしまったらしい。この日に来れてよかった。

翌日、青森駅前から出ているシャトルバスに乗って奥入瀬渓流へ。
通常、運賃は片道2500円ほどするのだが、前日弘前のゲストハウスに泊まっていた時に一緒になった台湾人の女性が、「もう使わないから」と2Dayパスを譲ってくれた。そのお陰でお得に来ることができた。

この日の朝、弘前→青森→奥入瀬とやってきたが、弘前は豪雨だそう。奥入瀬も雨が降っていたが、遊歩道は解放されたままだった。立ち寄った道の駅のような場所で、「今日は止めておいた方がいい」と言われた。事実、スニーカーで歩いた私の靴は、昨日わざわざ長靴を借りて白神山地を歩いたのが意味ないくらいに泥と水たまりでぐしょぐしょになってしまった。

阿修羅の流れ

白神山地より、奥入瀬渓流の方が歩いていてずっと楽しかった。(白神山地は歩けるコースが沢山あるので、ブナ林と比較して、だが)

傘をさし、写真をゆっくり撮りながら5時間ほど歩いたが、バスツアーの団体がところどころにいた点を除けば、誰ともすれ違わなかった。途中、豪雨のニュースを知り心配した地元の写真家が心配して車に乗せてくれた。

今日は十和田湖のバッパーに泊まるのだと伝えると、そこまで乗せていってくれると言われた。迷ったが、まだ雨も強くないし、歩き始めたばかりだった私は代わりにスタート地点辺りまでの2kmを走ってもらい降ろしてもらった。人のやさしさを感じた瞬間だった。

途中雨が強くなったり、「この辺りで熊出没情報あり、注意」の看板を見て泣きそうになったりしながらも、体力を消耗しながらなんとかゴールまで歩いた。

子ノ口まで着いた頃には6時を回っていた。もうバスもないので、急遽今日泊まる宿に電話をして、迎えに来ていただいた。(よ、よかった・・・)

翌日は新幹線やJR在来線が停まっているというニュースも。

幸い、私は日本海側でなく、東に位置する八戸へ抜けて夜行バスで東京まで行くことにしていたので、なんとか事なきを得た。朝のバスで八戸へ行き、昼から夜の10時過ぎまでを特に何もない八戸駅周辺で過ごした。

翌朝、夜行バスで上野駅に到着。バスの寝心地がよくなく、疲れたままで朝を迎えた。

駅のカフェで朝ご飯を食べたら、数日前に採用が決まったリゾバ先へ直行。

午後には入寮を終え、2週間ぶりのリゾバ生活が始まった。


2.8月後半【家がある喜び】

3月から6月までは沖縄で寮生活をしていたが、あまり居心地のよいものではなかった。8月までの2ヶ月は定住せずに、旅行先で他の人と空間をシェアする時間を過ごしてきた。じっくりと机に座って内観する時間が必要な私にとって、心が落ち着かない日々も少なくはなかった。

旅は刺激的だが、それは帰る場所があってのこと。だが、定住よりも自由を大切にする私にとって、その両方を手にできる手段として今利用しているのがリゾバだ。

今回の職場は寮や周辺環境にこだわって選んだので、お家時間のクオリティは確実に上がった。

まず、外からの景色がいい。そして、鉄筋コンクリートでエレベーター付きのマンションにタダで住めるのはありがたい。もちろん「仕事をしている期間だけ」という制約もあるが、買い物するのにシャトルバスに乗って30分移動しなければいけなかった場所から、徒歩10分でコンビニ(職場から2分)というのはかなりの改善だろう。

思い返せば今年は隔離を終えてから2月に旅行を開始。3月から6月まで働き、7月から8月まで移動続きだった。じっくりと過去5年間の写真を整理したり、こうしてnoteやブログを書く時間が十分にあったとは言えない。

8月後半までの1ヶ月半が「動」であれば、8月終わりからの期間は働きながら自分時間を過ごし、色々なことを整理整頓していく「静」のフェーズ。

7月に沖縄から東京に戻った際に、トランクルームに預けていた荷物を全て「サマリーポケット」というサービスに移行したが、そのお陰でわざわざ東京に行かなくとも、必要な物を宅急便で届けてもらえて本当に助かった。9月以降も、荷物の整理を続け、より身軽になりたいと思う。


3.改めて思う、日本の働き方の問題点

新しい職場にはお盆の繁忙期に入ったので、毎日最低でも9時間は働いている。休みは週に1回か2回だ。残業も、本当は必要でない作業に費やす時間が多く、改めてその非効率でどうでもいいことに大量の時間をつかう日本の働き方に嫌気が指している。

海外だとWork to Live (生きるために仕事をする)だけど、日本だと相変わらずLive to Work(働くために生きる)だなぁと思う。「お客様は神様」思考もきっと江戸時代からなんだかんだ引き継がれている古い価値観だし、お客は「金さえ払えばなんでも言っていい、していい」というスタンスの3才児のような輩がまだまだ絶滅する気配がない。

海外生活をした人間は日本の便利さや治安のよさを懐かしむ一方、海外のストレスが限りなくないに等しい働き方に魅了され、日本に住むことをやめるという選択に至る人が一定数存在する。

日本社会の古くて時代遅れなマインドセットが欧米諸国に追いつくには、あと半世紀かかるかもしれない。そんなに待っていられないので、変わるのを待つのではなく、自分が働く環境を変えていった方が早い。

例えば、完璧主義だったり、減点法だったり、お互いの足を引っ張り合うこと。そんな時間あれば、できないことはできる人に任せ、やってくれたことに感謝し、無理をせずに「70パーセント」で働いた方が、離職率も下がり、結果的には顧客満足度につながると思う。

人手の足りないホテル業界を見てきて、付け焼刃のように数ヶ月しかいない派遣社員に依存している体質を見るに、抜本的な人事改革が必要なことに気づいている会社は少ない。そんな業界を選んでいる私にも非があるが、どこからでもいつでも働けるスキルセットを身に着けないことにはこの環境から抜け出すことは難しいかもしれない。


4.ひまわりはひまわりとして、バラはバラとして

海外に出るより遡ること数年前、初めてリゾバをした時の私は若かった。
日本のマインドセットしかしらずに生きていたので、我慢したり、「周りに評価してもらいたいから」とか、「できない奴と思われたくないから」など、他人軸で生きていた。

仕事をちゃんとしない人に対しても、完璧にできない自分に対してもいつも批判的で、どこかいつもイライラしていた。

そんな私が海外生活を終えて改めて日本の社会で働いてみると、前とは違う視点で物事を見ていることに気がついた。

以前だったら心ない一言にイチイチ傷ついたり、怒られないようにビクビクしながら仕事をしていたが、今は「できなくてもいい」「苦手なことは無理に自分でやらない」「人の機嫌をとるのは私の責任ではない」と割り切って仕事ができている。これだけでもオンとオフの切り替えが上手になり、だいぶ楽に仕事ができるようになった。

人によって個性や得意・不得意は違う。ひまわりがバラの振りをする必要も、逆も必要ない。細かい事が得意だけど接客が苦手な人や、その逆もまた個性。どっちが偉いとか劣っているではないのだ。

だから私は、今は苦手なことはハッキリ苦手だというし、それは責任の範囲外だと思うことは人に振るようにしている。歳を重ねて経験が増えたことももちろん理由の一つだが、海外で他の国での働き方やメンタリティに触れて、視野が広がったのが一番の理由だろう。

よく言われるが、外の世界で起こっていることは、自分の内側の世界の投影なのだ。だから、自分が何を信じ、日頃何を考えているかには十分気をつけなくてはならない。

今いる職場でも、その人の口癖や普段の行動をみていると、その人が「引き寄せ」ている結果に整合性があって面白い。「○○しなければならない」と思っている人には「〇〇せざるを得ない」現実が引き寄せられている。言い換えれば、何を信じるかがどんな人生を生きているかにつながるということだろう。

この「内面世界」を変えるのに、異国での生活は多いに役立った。なぜならそれだけ今まで付き合ってきた人たちとは違う価値観に触れることができるのだから。


5.幸せは、誰かが欲しいモノを手にいれることじゃない

宗谷岬からの日本海

20代の頃は結婚やキャリア形成に焦っていた自分がいた。
貯金をしてもしても足りない気がして、失うことが怖かった。

でも30代の今の自分は、これから先への不安があまりない。

先日、休日を利用して数ヶ月ぶりに母親に会いに行った。
一緒にご飯を食べたり、カフェに行ったりして色々話したのだが、彼女の一言が私のゲキリンに触れた。

「Mariは今○○歳なのかぁ。もう結婚できないね

What the fxxxxccckkkkk !!!!!!!

どこから説明すればよいだろう。そうだな、まず、結婚は「できる」「できない」でなく、「する」「しない」であるということ。年齢が若くないと結婚できないという、どこかの政治家が言いそうな古臭い価値観を母親が持っていることに失望した。

次に、年齢を結婚の指標にしている時点で頭がおかしい。
「女は若くないと存在意義がない」「結婚こそが女の幸せ」という勝手な価値観がそこにはある。ちょっと待って。それは昭和の話。令和の今の時代に電車や車があるのに、わざわざ馬車使って山越える?ちゃんちゃらおかしいわ!!

そして、そもそも私が結婚をしたいけどできないかのようなその物言い。
思わず言っちゃったよね。「母親だったら子どもの幸せを願ってよ。わが子の結婚を願うのはお母さんのエゴであって、それが私の幸せかどうかを無視していて腹がたつ」と。うちの母親、よく言えば無邪気、悪く言えばデリカシーの欠片もない。

まぁ、キャリアもなく、正直言えば男に養ってもらってきた彼女にとって、今の若い人たちの生き方が理解できないのも無理はない。でもこれが肉親からの言葉だと思うと、日本の今の政治のように残念で仕方ない。

その後私の逆上っぷりをみてさすがにLINEで謝ってきたが、覆水盆に返らず。言葉はよく吟味して口にしなければ、母よ。

そうだ、日本はまだまだ遅れているんだった。


おわりに

日中の函館山から

明るい夏真っ盛りの獅子座の季節から、整理整頓や調整を意味する乙女座のシーズンに入りました。みなさんは今年の夏はどんな風に過ごしましたか?

私は、たくさん動き、人と出会い、自分の内面を感じとった夏でした。

9月は少し落ち着いて働きながらも、身の回りや今まで手に入れてきたものの整理整頓をしたり、体を労わりながら過ごしたいと思っています。

本当の幸せって、一瞬で終わってしまう打ち上げ花火のようなものでなく、小さいけれども長く続く、線香花火のようなものなのかもしれません。

夏が来れば、やがて冬がやってくる。
何かを手にしたら、何かを手放していく。

そんな風にして人生は続いていくのでしょう。

秋の夜長には本を読んだり、映画を観たりしながらお家時間を満喫したいです。ここまでお読みいただきありがとうございました。


2022年8月30日
日本某所の寮より

Mari

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