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【調査報告】自称コスモポリタンの話のネタ

「とあるコスモポリタン」(原題:A Cosmopolite in a Cafe)の柳田訳、いかがでしたでしょうか?

本作のオチ自体は解説するまでもないぐらいわかりやすいし、100年以上前の作品とは思えないぐらい、いま読んでも笑っちゃいます(柳田は大爆笑しました。個人的にはツボにめちゃくちゃはまっています)。

でも、舞台となっているカフェの情景や、コスモポリタンぶるコグラン氏の話のネタは、現代日本人にはよくわからないものも多いです。話の筋には関係ない部分が多いうえに、本文よりも長い文章になって申し訳ないのですが、がんばって調べたのでご報告です!(以下、短編のネタバレ注意


1900年頃のニューヨークのカフェ

この時代のカフェに関する研究は結構出ているみたいなので、詳しい解説はそちらにお願いするとして。
本作を読むうえでのポイントは、

  • カフェが社交場の役割を果たしていた(一定レベルの教養を持った人が集っていた)

  • いまでいうカフェバーのように、お酒(というか主にビール)が提供されていた

という点でしょうか。

雰囲気が近そうな場所として、オスカー・ワイルドの作品をイメージしたニューヨークのレストランバーを見つけました。オスカー・ワイルドも世代はO・ヘンリーと近いので、「雰囲気これじゃない?!」と思った私の感想は的外れじゃないはず。

さらに本作の舞台となっているカフェはフランス風だそうで、随所にフランス語が出てきます。雰囲気を残したくて、garçon(ガルソン)だとかtable d’hôte(ターブル・ドット)だとか、フランス語をルビでいくつか入れてみました・・・フランス語一切できないので、ちょっと自信ない笑
ちなみに、ターブル・ドットについてくる「グレープフルーツの上に乗ったマラスキーノ・チェリー」は、いまでも伝わっているグレープフルーツの上にチェリーを乗せるというかわいらしい盛りつけ方法らしくて、ブログ記事が見つかりました。

彼は大きくて丸いはずの世界を、俗に言う手中に収めていた。しかも造作なくなんてことないように握るので、会食【ターブル・ドット】についてくるグレープフルーツの上に乗ったマラスキーノ・チェリーの種のように、世界がちっぽけに見えた。

主人公たちが頼むヴュルツブルガー・ビールは、ドイツのヴュルツブルクで生産されているビールです。私はドイツに住んでいたことがあるので(コスモポリタンぶる笑)、メジャーなビールだと思っていたのですが、現在国外では飲める場所が限られるみたいですね。飲んでみたい方は、以下のサイトで取り扱いがあるみたいですよ!


コニーアイランド

我らがコスモポリタンはE・ラシュモア・コグラン氏で、来夏よりコニーアイランドでその名を聞くようになるだろうとのこと。そこで新しい「アトラクション」をつくり、至高のエンターテインメントを提供するのだと私に話してくれた。

ニューヨーク市内のリゾート地で、遊園地などのあるコニーアイランドについては過去にもご紹介したので、こちらをどうぞ。


ハイデラバード

手を一度振って、ハイデラバードのとある市場について話しだす。

インド中南部の都市。コグラン氏が旅した頃にはまだイギリス領のはず。
当時も今も、なかなか活気のある都市のようです。

ラップランド

また一振りで、彼にラップランドのスキーに誘われる。

スカンジナビア半島北部からコラ半島に跨る、古くからサーミ人という民族が暮らしてきたエリアを指すようです。今でもスキー場があるらしいです。なんかオーロラとかも見れて、おしゃれなイメージ。

ケアライカヒキ海峡

ズズッ! とすすれば、ケアライカヒキ海峡でカナカ族と波乗りに。

ハワイにある海峡です。ハワイの言葉で「タヒチへの道」という意味らしいです。
カナカ族は、ハワイやミクロネシア諸島の原住民族を全般的に指します。

アーカンソー州→アイダホ州→ウィーン

ブナの茂るアーカンソー州の湿地を彼に引きずりまわされたあげく、彼が所有するアイダホ州の農場のアルカリ平地で束の間服が乾いたと思ったら、ウィーンの貴族社会に揉まれる。

「ブナの茂るアーカンソー州の湿地」の原文は"an Arkansas post-oak swamp"でした。ポストオーク(学名Quercus stellata)の湿地かなと思ったものの、このブナ科の木は乾いた土地に生えるらしいんですね。ありえないよな、とよく調べてみれば英名swamp post oak、学名Quercus similisというブナの種類が見つかりました。でもアメリカを中心に分布している種類で、一般的な和名がないようなので、単純にブナと訳してしまいました(調べた甲斐なし)泣
この木も生息しているアメリカ南部に位置しているアーカンソー州には、いまでも自然豊かな公園が残されており、湿原が複数あります。そのどれかにコグラン氏は行ったことがあるのでしょうか?
コグラン氏の所有する「アイダホ州の農場」は、アイダホ=ジャガイモ?かと思います。でもアルカリ平地は塩湖が干上がるなどして土壌のアルカリ性が強く、植物も何も生えていない平地を指します。農場の端にそういうエリアがあるんですかね。世界各国のアルカリ平地は景勝地になっていることが多いようです。何も生えていないアルカリ平地を散歩したら、湿地で湿った服も乾くでしょうね。北にあるので寒そうですが。
そこからなぜにウィーン?と思うのですが、1900年ごろのウィーンは人口が200万人近い大都市(今よりも少し人口が多かったもよう)。だだっぴろいアイダホと都会(かつアメリカにない貴族社会)のウィーンを対比させたかったのかな?

シカゴ→ブエノスアイレス

休む間もなく、シカゴでミシガン湖からの冷風にあたったせいで風邪を引いた話をしたかと思えば、ブエノスアイレスでエスカミラばあさんに煎じてもらったチュチュラ草のお茶で治ったという。

「シカゴでミシガン湖からの冷風にあたったせいで風邪を引いた」の原文は"a cold he acquired in a Chicago lake breeze"。Chicago lakeは地理的に間違いなくミシガン湖でしょう。地面は水面よりも早く温度が上がることから、春や夏に湖から吹く冷風をlake breezeと呼ぶそうです。夏の海風が冷たく感じるのと同じですね。
ブエノスアイレスはアルゼンチンの首都。スペイン語圏で見られる名字であるエスカミラさんというおばあさんが登場するのはわかるんですが、このチュチュラ草で煎じたお茶(原文は"a hot infusion of the chuchula weed")が正体不明。文脈的に怪しげな民間療法だと思うので、もしかしたらО・ヘンリーの造語かも??

南北戦争

南北戦争はアメリカ史において重要な出来事なので、詳細な解説は歴史書に譲るとして。本作でのポイントは、

  • 南北戦争自体は1865年に終結

  • 本作が書かれた1900年ごろは、戦後処理が落ち着きつつあったがまだ不安定な社会情勢

という点でしょうか。
本作で象徴的な意味合いを持たされる「ディキシー(Dixie)」は、1859年に作曲され、南北戦争時代に南部の行進曲として使用されました。ウィキに音源が公開されていたので、もしよかったら聞いて雰囲気を味わってみてください。

ちょっと気になったのが、語り手がさらっと触れるネイリスト。

ネイリストが、あなたの左人差し指はバージニア州リッチモンドの紳士の指みたいだとうっとりと囁く、なんてこともあるわけだ。

この頃、衛生観念が広まったようで、清潔な手指を維持するのが大事、という意識が生まれたようです。どちらかと言えば女性ネイリストが裕福な女性客にマニキュア等を施すものだったようですが、本作の語り手は多分男性なので、衛生観念が高かった一部の男性も爪を磨いたりしてもらっていたのだと思われます。戦争の余波でお金を稼がないといけなかった女性にとって、ネイリストはそれなりに稼ぎのいい職だったのでしょうか。

そして本作の途中で登場する謎の若い男。

「ディキシー」の演奏中、濃い髪色の男がいずこから飛びだし、南軍モスビー大佐のゲリラさながらに、大声で叫びながら柔らかいつば付き帽子を振り回した。

南北戦争で活躍したモスビー大佐はゲリラ戦術で戦績を上げたようなのですが、敵から逃れるのもうまかったらしく、ついたあだ名が「灰色の亡霊(Gray Ghost)」。こちらも不思議な人です。
ちなみに、この謎の男の発言。

「私は蔓日日草のようにありたい。丘の上に咲いて、トゥラルーラルーと歌っていたい」

蔓日日草の花言葉は「楽しい思い出」など。ルソーの『告白』からつけられた花言葉だそうです。そして「トゥラルーラルー」は、子守唄"Too-Ra-Loo-Ra-Loo-Ral (That's an Irish Lullaby)"を指していると思われます。楽しい思い出のある地元で家庭を持って穏やかに暮らしたい、というようなことでしょうか。コグラン氏と対照的な人物として登場させたのかな?と思います。

当時のステレオタイプ

私は、ウィスキーが嫌いなケンタッキー人や、ポカホンタスと血縁のないバージニア人、小説など書いたことのないインディアナ人、縫い目に銀糸の飾り刺繍の施されたヴェルヴェットのズボンを穿いていないメキシコ人、おもしろいイギリス人、金遣いの荒い北部出身者、冷血漢の南部出身者、視野の狭い西部出身者、青果店の店員が片腕でクランベリーを紙袋に詰めるのを待つことすらできない多忙なニューヨーク人も見てきました。

  • ケンタッキー州・・・いまでもバーボンウィスキーの生産地として有名なケンタッキー州。ケンタッキーの気候がウィスキー作りや、原料となるとうもろこしの生産に適していることから一大生産地となったようです。

  • ポカホンタス・・・ディズニー映画『ポカホンタス』は、実在した先住民族の女性がモデルになっています。バージニア州の先住民族出身で、映画とは異なる酷な人生を歩みました。彼女の仲間の民族は、搾取や虐殺などのひどい目に遭いながらも、バージニア州社会に吸収されたそうです。日本ではあまり知られていないように思いますが、ポカホンタスはアメリカ史ではわりと有名人のようです。

  • インディアナ州・・・この頃、インディアナ州はアメリカ文学の中心地になっていたようです。南北で文壇も分かれていた時代、比較的南北の境目に近い地理が有利に働いたと思われます。

  • メキシコの伝統衣装・・・マリアッチという民族音楽を演奏するときの衣装。メキシコ人男性が着る伝統衣装と言えば、ポンチョとこれが思い浮かぶのは私だけ?

  • イギリス人・・・ブリティッシュ・ユーモアは独特というのが今でも世界的評価のように思います。日本人もユーモアのセンスがないように思われている節があるので、あまり他人のこと言えないのですが。。。

  • 北部出身者(Yankee)・・・多分ですが、当時は北の方が裕福な都市が多かったことから「裕福=金を使う場所を選ぶ、貯金している」という先入観が生まれたのだと思います。原文で使われているYankeeは、時代や文脈によって指す地域が変わる言葉なので、解釈が分かれるところかなと思います。

  • 南部出身者・・・本作でも「ディキシー」にやたら拍手喝采したり、情熱的な印象が強いですね。北とは対照的に貧しく教育を受ける機会も少ないと思われていたので、かっとなりやすい人が多いという印象を生んだのではないでしょうか。

  • 西部出身者・・・西部劇の舞台として有名な西部。いまもですが、昔からリベラルな空気があったようです。

  • ニューヨーク人・・・多忙な都会の人と言えばせっかちなもの。一見、このコグラン氏のたとえ話は「え、都会人ってどの国でもそういうものでしょ?」ってなりそうですが、この頃のニューヨークはまだ発展途中(と言っても本短編集のタイトルになっているように人口はすでに四百万人ほど)。いまよりも市の面積が狭かったですし、移民が本格的に増えるのはもう十年ほどあと。もう少しゆったりした時間が流れていたのは、本短編集の作品を読んでいると伝わってくると思います。

グリーンランド→ウルグアイ

グリーンランドのウペルナビク在住のエスキモーがシンシナティからネクタイを取り寄せていたり、ウルグアイのヤギ飼いがバトルクリーク市の朝食パズル大会で入賞するのも見ました。

グリーンランドはご存知、北極圏の島です。そこのウペルナビクという小さな町に住むエスキモーが、なぜアメリカはオハイオ州シンシナティからネクタイを取り寄せるのか?当時、シンシナティは街中を流れるオハイオ川のおかげで、河港都市として発展していたようです。貿易も盛んだったわけですね。
バトルクリークはミシガン州の街で、シリアルの生産地として有名。某ケ〇ッグ社の創業地でもあります。そこのイベントにウルグアイから参戦して入賞している人がいた、ということでしょうかね。


クリーヴランド市ユークリッド通り→パイクス・ピーク→フェアファックス郡→フーリガン家

やれ北部出身だの、南部出身だの、どこぞの谷の古い屋敷を持っているだのと語る意味はなんなのでしょう? クリーヴランド市ユークリッド通りだか、パイクス・ピークだか、バージニア州フェアファックス郡だか、フーリガン家の屋敷だか、どこの出身でもいいではないですか?

  • クリーヴランド市ユークリッド通り・・・オハイオ州の大都市であるクリーヴランド市のメイン通り。当時は裕福な人たちが住まうことで有名。

  • パイクス・ピーク・・・ロッキー山脈の山のひとつ。麓にはコロラド州の都市コロラド・スプリングスがある。

  • バージニア州フェアファックス郡・・・南北戦争の戦地の一つ。

  • フーリガン家の屋敷・・・ご存知「フーリガン」という単語は、諸説ありますが架空のフーリガン家に基づいているという説もあるらしいです。

ヴェネツィア→イングランド→アフガニスタン

シカゴ出身の男たちが、夜の月光の下、ヴェネツィアのゴンドラに揺られながらシカゴ市の下水道のほうが立派だなどとほざいているのを見ました。
南部出身者がイングランド国王に、奴隷市場で栄えているチャールストン市のパーキンス家に母方の大おばが嫁いだので血縁関係にある、と平然と自己紹介しているのも見ました。
アフガニスタンの賊に人質として誘拐されたニューヨーク人にも会ったことがあります。身内がお金を出したおかげで、仲介人と一緒にカブールに戻ることができたそうです。「アフガニスタン?アフガニスタンでの移動はそんなに時間がかからなかったのか?」と地元民に通訳を介して聞かれた彼は、「よくわからない」と答えてから、ニューヨーク六番通りとブロードウェイの乗合馬車の御者の話をしていました。

  • シカゴの下水道・・・1900年開通。先述したようにこの頃は衛生観念が芽生えてきたばかりで、下水道やらインフラが整備されているのは自慢になったようです。

  • チャールストン市のパーキンス家・・・サウスカロライナ州チャールストン市は奴隷市場で栄えていた街で、南北戦争の主な舞台の一つです。この一家が有名かどうかはわかりませんが、チャールストン市のパーキンス家で調べると、黒人ばかりが出てきました。イングランド国王に奴隷と親せきです、と言うのはこの時代であれば顰蹙ひんしゅくものかな。

  • アフガニスタン・・・この当時、イギリスからの独立を求めて戦争が続いていました。治安の悪さは今と変わらなかったのかな、と思わせる描写ですね。誘拐されたニューヨーク人が"tell them about a cab driver at Sixth avenue and Broadway"したと原文にあります。今はcabと言えば黄色い車のタクシーですが、この頃はまだ車のタクシーは普及しておらず、乗合馬車のことをcabと呼んでいたようです。

メイン州マタワムキアグ

「メイン州のマタワムキアグというところの出身だって言ってましたよ。出身地を貶されるのは我慢ならないのだそうで。」

そしてオチのマタワムキアグ(Mattawamkeag)。アルファベットでもカタカナでも、本当の地名かな?と思ってしまいますが、実在します。O・ヘンリーのチョイスが絶妙すぎる。。。どうやってここを見つけたんだろう、縁もゆかりもなさそうなのに。。。
名前から想像つくとおり、この地はもともと先住民族の先住地でした。街の歴史を見てみると、本作が書かれた頃は開拓がはじまってまだ間もないようです。現在では、ここ十年ほど、人口が1,000人を切っているようです(!)
多分、当時も「ど」がつく田舎だったんだろうな。

喧嘩している二人を横目に歌われる「からかっただけ(Teasing)」。タイトルのとおり、「もう、からかっただけなのにー」という内容の歌詞(Cecil Mack作詞)と軽妙なメロディ(Albert Von Tilzer作曲)の曲です。ちょっとコグランをバカにしているような。
YouTubeの音源リンクを貼っておきますので、ご興味のある方はこちらからどうぞ。




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