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#163 雑記︰京都 -2-

前回作はこちら↓
https://note.com/maria_music/n/ne7ae1318216f



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- 小学校 -
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小学校に上る前くらいから、私はバレエやピアノを習い始めた。バレエは、先生がとても厳しくて1年ほどで辞めた記憶がある。でも、そのかわり体が柔軟体質になって、今でも身体が柔らかい。幼稚園でも体育は大切にされていたので、そこそこ基礎運動能力はついたと思う。ピアノは小学校3年生頃まで続いた。音楽は好きだったけれど、ピアノを弾くことにはそこまでのめり込むことが出来なかった気がしている。でもクラシックを聴くことは好きだから、きっかけを貰ったとは思っている。

そして、私は小学校に入った。この学校もカトリック教育を行っていたので、また神さまにお祈りする日々が続いた。この学校は、かなり裕福な家庭の子たちが通っているところで、みんな良い子が多かった記憶がある。心に余裕があるから、人にも優しくできる人が多かったのかも。

カトリックでは、祈る時にロザリオという数珠のようなものを使う。このロザリオでお祈りを唱えるたびに数珠を一個ずつずらしていって、一周するまで祈り続ける。こんな時間もあったりしたので、神聖な時間が好きだったし、今も手と手を合わせて祈ることが好きだ。

私立だったからか、学校の設備もしっかりしていて、特に私が入り浸ることになった図書室は広くて内装も素敵だった。温もりのある木製の本棚とテーブル・椅子に赤い絨毯。図書室にいることが心地よくて、かなり通い詰めたと思う。両親が心配したほどだった。私はこの図書室で沢山の本を読んだ。かいけつゾロリやわかったさんなどのファンタジックな本から難しい本だと南総里見八犬伝なども全巻読んでみた。私の空想癖?妄想癖?みたいなものや、文章を書く力などの素地となる語彙力・表現の仕方なども培ったと思う。

その結果なのか、私は小学校2年生のときにルーブルが主催している作文コンクールで全国2等に入った。何かの壺を見て、物語を書いた。ルーブルの人にほっぺたにキスされて渡された賞状はとても嬉しかった。そこから私は作文を書くことがもっと楽しくなった。また同学年の時に、習字も学年で金賞に選ばれた。特に、書道は習っていなかったけど、何故か選ばれることになった。ちょっと才能があったんだと思う(後に小学校3年生のときにも、転校先の小学校にてメダルを貰うことにもなる)。そこから字を綺麗に書くことや、字を書くこと自体も好きになった。

学校には美しい中庭があった。少し丘のようになっていて、小道を歩いてみると、イエス・キリストの物語の絵が掘られた石版が順番に並んでいた。思えば、京都は四季がはっきり感じられる場所だった。春は桜、夏は盆地ならではの蒸し暑さ、秋は紅葉、冬は雪。それぞれの季節を味わって、楽しんで、過ごしていたと思う。
私は奉仕の精神が強かったのか、秋になると正門に積もる落ち葉をほうきで一生懸命掃いていた記憶がある。綺麗になると嬉しかったし、みんなのために頑張れて嬉しかった。

本を沢山読んでいたからか、そこまで仲の良い友だちは数多くなかった気がしている。あんまり友だちがいた気がしない、という認識のほうが正しいかもしれない。
印象深かったのは、ある女の子に「手が温かい人は、心が冷たいんだよ」のようなことを言われて、ちょっと嫌な気持ちになった思い出がある。今考えれば、あの時から、私は手からエネルギーを出していたんだと思う。
そうそう。2年生の時のクラスにちょっと問題児な男の子がいて、お節介が発動してその子の面倒を見るために、席替えを自主的に行ったこともあった。なんとかしてこの子をより良い人間にしなければと、勝手に思ってた笑笑。この頃から私の本質はあまり変わっていないなと、感じる。

茶道の授業もとても記憶に残っている。さすが京都ならでは、(たぶん)お金持ち学校ならではな授業だと思う。私はそこで「和」の感性に触れることになる。礼の仕方も3つほどあったり、1時間正座し続けたり、お抹茶をたてて、自分たちでも和菓子を作ったり。おじいちゃんに渡す絞り染めも作ったり、お茶会があったり。今でも抹茶が好きなのは、この授業があったから。
あとは今思うとやっぱり凄いなと思うのが、お昼ご飯は給食がほとんどだったけど、月に1回バイキングの日があったことだった。バレンタインデーにはチョコが配られたりと、お食事に関しては、至れり尽くせりな最初の小学校2年間だった。

大体、成績はよくできましたの欄に沢山マルが付いていた。塾に通っていたから、大体の科目はできた。塾の先生の強烈な一言は今でも覚えている。私がああ暇だなあ〜とボヤッとしたことを呟くと、「暇な時はありません!」と怒られて、あ、暇な時間ってない方が良いんだと思い込んだことがあった。今は余暇の時間も必要だと思っているけど、この時に少し背筋が伸びて真面目に生きるようになった気がする。

私は球技が好きで、休み時間にドッチボールで熱烈な戦いに励んでいた。一回、高く浮いたボールをキャッチしようとして、体が宙に浮いてそのまま背中ごと後ろに倒れて、息が一瞬できなかった時は生命の危機を感じたので、よく覚えている笑。そして、沢山転んで、膝にケガをよくしていた。広い運動場と人工芝もあって、よく体も動かしていたと思う。

百人一首クラブにも所属していたのを思い出した。かるたが好きで、ここで歌のお手本を沢山音読して百人一首を記憶する力なども養われた気がする。父親からの遺伝もちょっとあるかもしれないけれど、私も写真を撮った感じで記憶することがこの辺から得意になっていった。頭の中でどの場所に何が書かれていたかを写真のように思い出す力を鍛えられたと思う。

今思えば、学校全体がカトリックならではの美しさに囲まれていた気がする。自然もありつつ、太陽の光も感じられて、校舎も丁度よいアンティークな感じ。ちょっとヨーロッパぽい雰囲気も漂っていた気がする。ヨーロッパのような美しさ、そして日本の和の美しさが、私の感性を刺激し、美的感覚を磨いていったと思う。

取り留めもない形で羅列したけれど、とにかくこの2年間は充実していて、幸せだったなと感じる。あとは他者に認められたことで、自己効力感をもてた時間だった。もっとやってみたい!という好奇心が芽生えて、作文を書くことや字を書くこと本を読むことなど、好きなこと・趣味ができた。

この学校に入らなかったら、今の自分はいないし、最初からこの学校に入る運命だったのかもしれないと思ったりする。京都で過ごした幼少期は、私の心を豊かにし、その後の人生でもっと飛躍していくための、大切な時間だったと感じた。

まだまだ京都の中でも行けていない場所も沢山あるので、残りの人生で行き尽くしたいと思う!楽しみだなあ。

いつもありがとうございます!