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お金で悩むのは支払いはしたいからじゃなくてしなきゃいけないからだった?!

また今月の支払いがやってきた😫
またお金が出ていく⤵
またお金がなくなる⤵
働けど働けどお金は出ていくばかり
もうこんな思い毎回毎回いやーーーー!

支払いのたびに憂鬱になって
憂鬱な気持ちを感じたくなくて支払いを先延ばしする人生を送ってきたわたし。
そんな同士はいらっしゃるのだろうか?

支払いたいから
支払うのが楽しいから
支払うと気持ちいいから(快)
支払いたいから支払うのっ!

当然そんなことは一ミリもなく。
支払いは当然のことだし
それは何も不思議なことじゃないって言い聞かせて
支払いに関する自分の感情や心の動きについて無視するようになった。
いい大人が支払い嫌だと喚いてもみっともないだけ。
払わないといけないものは払わないといけないでしょ。
わがまま言うなーつべこべ言うなー

そうやって物分かりのいいふりして
見てみぬふりをして
お金にまつわる自分の感情を抑圧してきた。
本当は嫌な感情を感じているのに
それを我慢させて~ねばならないと命令していることに気づいていなかったのだ。
自分の本音を聞いてあげていない。
だからそれはいつも金銭トラブルとかお金の悩みになって
自分に返ってきていたっていう
真実が今ようやく暴かれていく。
じゃじゃーん。

お金を支払うたびにおこる嫌な気持ちを感じないために

小手先のノウハウに走る。
お金が今より少し増えたら、そんな気持ち味合わなくてすむんじゃないかって。

節約に励むこともあった。
世の中にはたーーくさんの節約術があり、みんな色々工夫している。
まずは、玉子ひとつ1円でも安い店を探す気合が節約術のキモだと信じてたこともある。

隙間時間も小金にするため副業?的なこともした。
世の中にはえっ、こんなことで?って、最低時給には満たないものの隙間時間をお金に変える方法は山ほどあった。
ほんとにそのアイデアどこからくるのかと関心するほど。
私はポイントサイトとアンケートサイトをしていたが、それ以外でもありとあらゆる副業?的な話があった。

それが楽しいこと好きなことになる人もいるけれど私はどうもそれがない。
ワクワクは微塵もなくお金のために好きでもないことを仕方なくやっているって感覚。
かえって気持ちは萎えるばかり。逆にストレスになっていくばかり。

お金のストレスはお金で解消しようとする

そもそも数字が苦手。
だからお金に向き合うことも苦痛で避け続けてきた。
当然経済的豊かさとはかけはなれたとこにいる。
たとえ一時的に努力や忍耐、我慢、たまに運で一般的には羨ましがられる大きな額を手にしたとしても
まるでシャンパンの泡のようにはじけては消えていく。
たとえば、昔は看護師といえば高給取りで
特にわたしのいた病院では
様々な苦痛に耐えながらとにかく我慢して勤務し続けたら
若くして御殿が立つとも言われていたものだ。
現代ならブラック起業とでも言うのかな?

しかし、人はお金でたまったうっぷんをお金で解消したくなるもの。
何かを買ったり何かに使ったりそのパーッとしてウキウキっとした気分を味わいたくなる。
けれど気分がいいのはその一瞬だけ。

そのあとやってくるのは

「使ってしまった」という罪悪感と
「こんなんでいいのか」という不安と
「いや、必ず取り返す」という、まるでなにかから奪おうとする飢餓感

無意識にお金と向き合うのが嫌になる

つまりお金に対する意識、イメージは相当悪いし
そりゃあこのお金の回りが不安や恐れからくるエネルギーだから
それがそっくりそのまま自分に返ってきているだけなのだ。
ますますお金なんて見たくないし考えたくないってなる。
結果、その願望が見事叶えられる。
口先ではいくら「お金欲しいよねぇぇ」と似た者同士でため息をつきなが切実な悩みと言っていても
「お金がいやー」
「見るの憂鬱ぅ」
っていう本当の自分の思いが叶えられて、見事お金がわたしを避けていく笑。

そのお金が嫌という本当の思いは普段は抑圧されていいて意識化できていない。
だからもし「あなたそうは言っても潜在的にお金を見たくないって思ってますよね」と指摘されても
そんなことあるわけないじゃなーーい!
誰しもお金が必要で、お金欲しいって思うじゃなーい!と逆ギレしていたくち。

お金に対する不健康な考え方という病

心理学でいえば否認・怒りの段階だ。
キュプラーロスの死の需要プロセスは
臨床の場では病気の需要プロセスにも置き換えられる。
まさに不健康なお金に対する思考という病にかかっていたわたしも同じ段階を歩んでいる笑。

エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したもの。以下のように纏められている。すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている。

否認・隔離

怒り

取引

抑うつ

受容

Wikipedia

次に取引きが始まる。
わたしがお金見たくないなんて思っているなんてそんなことないわよ!それを証明しようと

「お金持ちは①円でも大切にする」とか
「1円を笑うものは1円に泣く」と聞けば
1円たいせつーー❤
と、心では思っていないのに思い込もうと努力した。
1円より諭吉さまのほうが素敵❤って思ってしまうのが本音。
だってにんげんだもの。

「わたしはお金が好きです」と言ってみることもやってみた。
それでもなんか自分の感性にしっくりこないから
小っ恥ずかしいのもあるしそれを美しく感じない笑
違和感が逆に心地の悪さを増幅させる。
ほんま好みというか、個性の問題だと思う。

お金持ちはこうしてるとかそうした情報を仕入れてきては色々試して、自分がお金を嫌いなわけないと言い聞かせたかったのだろう。
ことごとくダメだった😂

次に抑うつの段階にきた。
抑うつというか疲れ切った諦めだ。
完全な敗北ではなくてせめてもの救いにすがるような転換でもある。

「人生ね、もっとも大切なものはお金なんかじゃないのよ」
「お金を手にすることで大切なものを失ってしまうものよ」
「人生暮らしていけるだけのお金があれば十分。足るを知るのよ」
「人生の成功ってね、金額では決して測れないものなのよ」

一見、悟りとも言えるかもしれない。
この言葉を口にするほうが
お金への嫌悪感があるのにもかかわらずお金大好きと言っているより、心理状態はまだしっくりくる。
少しは健全に近づいてきているけど、100%正直かといえば決してそんなことはない。

だって本当の本音は

お金=いつも嫌な感情を味わってしまう
という状態から開放されたい

ってことなのだもの。

オペラント条件付の反射にすぎなかった

つまりオペラント条件付けで結びついた
お金=嫌な感情=お金見るのが嫌
を取り除いていけばいいってことに気がついたのだ。
それは、あるがままの自分を受容するプロセスでもあった。

オペラント条件付けを絡めた
ホスト取材記事はこちら

最終的に自分がお金に対して不健全な思考をもっていたことを受け入れる段階にきてようやく転換点が訪れたのだ!

次はそっからどう思考が変容していったのかについて。
続く!






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