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愛とお金のエネルギーは同じ?人は愛を学ぶために生まれてきた

ある日の昼下がり。
めったにリプなどつかないわたしのコミュ障Twitterにリプがついていた。

「愛とお金のエネルギーは同じ。と、アインシュタインも述べていますよね」

その言葉を見て
ああ、そうだ真実はコレだった、まるで私が意識化・言語化できなかったことをアインシュタインが表現してくれたみたい😭
などと思い、それはズドンとお腹に落ちた。

しかし。ソースを見つけたくてぐぐっても、未だそのソースに出会ってはいない笑。

お金の起源は物物交換ではなかった?


その言葉がお腹に落ちてから
お金に関する悩みや困難がおきるたびに鮮明になっていくのは「お金はブツブツ交換のような取引では正しく廻らないのではないだろうか?じつは愛(感謝や喜び)のエネルギーが物質化したものがお金なんじゃないだろうか?」
という仮説。

普段の消費行為は
「あれがほしいな」「こうだったらいいのにな」とか
ドラえもん的に言えば
「あんなたこといいな」「できたらいいな」
みたいな願望があって、それを手に入れるにはいくらのお金が必要で
双方の納得のもと消費がなされ経済が動くといったイメージがある。

もしくは
「あなたこんなもの必要としていませんか?だったらこの金額でお渡しできますよ」
と提案してきて、双方納得のもと消費がなされるパターンもある。

つまり取引で経済は動くって思いこんでたから
なんかそこにワクワクは感じられずお金に対して強い興味はわかないし
もしくは形式的すぎてつまらないとか
感覚的にお金を愛せなかったこともある。

そんなとき出会ったのがこのことば。

ボランタリー経済とは、すなわち、「自発性の経済」。人々が、善意や好意など、自らの自発的意志によって行う経済活動である。
このボランタリー経済とは、実は、人類最古の経済原理でもある。なぜなら、「貨幣経済」が生まれてくる前には、「物々交換経済」(バーター経済)が支配的であり、さらにその前には、善意や好意によって貴重な財貨を相手に贈る、「贈与経済」と呼ばれる経済原理、すなわちボランタリー経済が、人類の社会やコミュニティにおいて支配的であったからである。

オルタナ

これもアインシュタインのとき同様
ああ、そうだ真実はコレだった、まるで私が意識化・言語化できなかったことを田坂さんが表現してくれたみたい😭
って思っちゃった。てへ。

わたしボランタリーで経済廻したい!めっちゃワクワクぅぅぅ!つてなったのよ。

私はお金を愛してますという言霊スタイルの罠


それ以前のいつの日かの話し。
お金を増やすにはお金を愛すことが先決だという話をどこかから聞く。
その人たちがやっているように
「わたしはお金を愛してる!」って唱えてみてた。
心がこもってなくてもいいというから、口先だけで唱えてみたけれど自己不一致が加速するばかりで自分との居心地が悪くなる一方。
だってお金を本当に愛してないし、そもそも愛がわかってないじゃんね😂
ただあなたが欲しいってだけ。

入ってきてくれるときはお金ちゃーんLOVE❤と思えたとしても
出ていくときは「また出ていくのぉぉぉ😡」とか
「待ってぇ、置いていかないで私のもとを去らないでぇ」とか
メンヘラ化してるだけでそれは愛ではない。
お金ちゃんに対して自分の願望を叶えてよ、なんでわたしののぞみを無視すんのよって押し付けや支配の意図が含まれているもの。
そういう心の繊細な動きに耳を貸すことなく
「お金を愛してる!」と必死で言い聞かせていても自我の領域は、楽しくない感情という形でそれはあなたにとって違うやり方ねって教えてくれる。
ただし、唱えてるのが楽しいとかワクワクするとか、お金が入ってこようが来なかろうが関係なくやっちゃってますな人には向いている。

また言い換えると
自分のお金に対する感情や思いを聴くことなく
強制的に思い込ませようとするまるでセルフブラック状態。
つべこべ言わずに俺の言う通りにしとけーー!そうすればお金が増えるんやぁぁ!という厳しい刑務官みたいなのが
貧乏という罪をおった罪人にムチを打つかのような居心地の悪さ笑。
あるいは自分の親が「我が家はお金が必要なんや!つべこべ言わずに働いてこい」とお金のために子供のやりたい遊びを禁止して仕事に行かせるイメージ笑。
そんなんで親からの愛情を感じるわけもなく、だんだん親が嫌いになっていくように自分のことをどんどん嫌いになっていくのよ。

やりたくないことを自分に強要してまでお金を手に入れる必要があるなら
もうみんな仲良く貧乏でいいじゃん?ってのがあったと思う。
だって我が家がそうだったから。
幼少期は贅沢はなくても仲良く愛に包まれた最高の家庭だったのに
お金の問題が発生してからは、子供にとっては残酷なサバイバル家庭になったのだもの。
この話はいつかするね。

本質はお金を愛する意味を知っていくこと


私は自分の本音が嫌がっているのに強制的にさせる自分いじめはしないって決めたから、やりたくないことをしなくちゃならないって使命感でするのは割りとさっとやめている。
その分、したいー❤って損得もなく理由もなくただワクワクってすることが浮かべば「そんなのあなたができるわけないじゃない」なんて一切言わずにさせてあげてるようにしている。
結果が出たとか出ないとかはどーでもよくて、ただ思う存分やらせてあげるってことが意味のあることだから。
大人はついつい結果を求めてしまって
すぐ手を貸すとか口を出すとか
しまいには無駄だから危険だからとやめさせたくなるんだろうけど
全部自分でやってみたいっ、大人はただ可能性を信じて見守っていてほしいってのが子供の頃のわたしだったんよ。

そう。それは子供の頃、自分が大人たちにされたかったことなのよ。
今は存分にさせている。
愛してほしかったように自分を愛することに夢中なの。


そうやって愛とは何かってことを
自分を通して学んでいる最中なのだ。

そんな中私に一番ぴったりくるのは
無条件の愛
無条件の肯定的受容
無償の愛(見返りを求めない)

つまりお金を愛するってことは無条件の愛を与えるってこと。
そばにいてくれてるときは額に関係なく居てくれてくれるだけでありがとうだし
もし離れていくときも
あなたの好きなとこに自由に羽ばたいておいでーーーー。さぁ行ってらっしゃい!
って信じて見送ることだし
ずっとお金が我が家を不在にしてても
きっと元気でやってるのね(信)とか
あの子のやりたいように出来てるんだろうな(嬉)とか
大きく暖かな懐で相手を思うことだし

たとえば、お金を使えばお金が友達連れてやってくると思って使って、お友達どころか本人も帰ってこないじゃん?ってなったとき
親の期待した結果をだせなかった我が子に「お前結果もだせんでなんやねーん!二度と我が家の門をまたぐなーっ」と言うならそれも条件付けの愛。
まぁ素直に言うた通り帰ってこない笑。
我が家に帰ってくるから愛すよとかの条件づけの愛や束縛心・独占欲ではなくて、その存在そのものを無条件に愛するってことじゃん!
って気づいてしまったのよ。

お金ちゃんが不在の間
「お金いつ返ってくるかな」「お金何してるのかな、どこにいるのかな」
「お金ぇぇ、私困ってるから早くかえってきてぇぇ」って思いが募ると
それはメンヘラ化もしくは条件づけの愛に戻っちゃう。
そばにいてくれるから愛しますよって形。もしくは束縛。
しかしこれ、無意識にやっちゃうよね😂
アダルトチルドレンに
愛と哀れみを取り違えるって特徴があるのだけど
束縛や過干渉を愛と取り違えるってのと同じ原理。
その心的束縛はじつは意外と大きなトラウマとなる。この件についてもいつかお話していきたいな。

お金=ワクワクって条件反射に書き換える

イメージしやすいようにこうやって母子の愛や恋人の愛に転換して考えると、お金と自分の関係が見えてきておもしろい。
もうその時点でワクワクしてるから、こんな風に
お金について思うとき=ワクワクしている
をいかに多く強く刷り込むかってことに取り組もうと決心したのであった。
前記事でも言っているようなお金に対するオペラント条件づけ
の書き換えをやっていくのだ。
そしてワクワクとは?信じるとは?ってことまで
見つめていくことになる。


あなたの人生は愛を学ぶために与えられたのだ

わたしはそう信じている。

長くなったからまた次に
私の体験した支払いとお金の関係について書く笑。





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