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逃げない、依存しない

人間って私を含め、弱いものですから、どうしても楽な方へ楽な方へと流されてしまいます。

易経で最も重んじられている、中庸、陰陽の法則、というものをよく、お話させていただいてますが、楽しいもの、気持ちの良いもの、快楽というものは同時に、辛いもの、苦しいものもセットされています。それは、失う事への不安です。

例えば私にとって、飲酒はその最たるものでした。

御存知の方も多いとは思いますが、2008年まで、私は浴びるように朝夕問わず、暇さえあればお酒をガンガン飲んでいました。私は体質的に、いくらでもお酒が入ったのです。いくら飲んでも二日酔いの経験は一度もなく、肝臓も全く健康でした。

それをいいことに我を忘れる程、時を忘れる程溺れ、やめたくてもやめられない、私にとっては毒となる嗜好品だった、アルコール依存症だったのだ、と、今、冷静に振り返り、過去の常軌を逸した飲酒量と、その依存度の高さにゾッとします。

不安や苦しみ辛さ等を紛らわそうと手を伸ばすもの程、その一時的な気持ちの良さは、逃げた不安や苦しみを糧にどんどんモンスターと化し、今度はその恐ろしいモンスターに支配されるようになります。薬物依存やギャンブル依存等も同じですね。

私の場合、気づけばお酒を飲まずにはいられなくなっていました。

2008年、ある日突然、お酒が全く受け付けられなくなった時は、青天の霹靂、大変な不幸、唯一の楽しみが奪われたとまで思い苦しみましたが、それは不幸ではなく、きっと、私の守護霊か何かが、いい加減やめなさい、と、無理矢理お酒を取り上げて下さったのではと思う程不思議な出来事で、現在の私にとっては救われるような有難い事でした。

そういう事でもなければきっと、私は2年後に引っ越すこととなったビールの美味しいベルギーで益々アルコールに溺れ、誘惑に勝てず、ベルギー人達に混ざり朝からテラスでジョッキを傾け、中国人の易経の師匠と出逢うチャンスも失い、祖父や叔父のように肝臓を患い今頃命を落としていたかもしれません。

依存というモンスターは、突然大きくなるわけではなく、少しずつ少しずつ、気づかれないよう成長し、気づいた時は手遅れな程取り返しのつかない大きなものと化しているものです。

そんなモンスターに支配されない為には、満たされない心、ストレス、寂しさ、苦しさ、悲しみ、辛い事は何故起きているのかを冷静に考え、そういう事から逃げずに勇気をもって向き合わなければなりません。

それができたら苦労はない、とも思われるでしょうけど、逃げれば逃げる程、追って来るのが常ならば、依存すればするほど、心に巣食う不安の虫はどんどん巨大化してしまいます。

逃げずに向き合う事。嫌な事を忘れようと何かに依存(逃げ)しない事。

お酒を全く受け付けなくなった時は、絶望的になり、不安で気が狂いそうになりましたが、その原因は、自分の中の弱さにある、不安や恐怖からずっと長い事逃げていたツケが回ってきたのだ、と、その事に気づかされ、やっと、自分と向き合う勇気が持てた時、自分の中で、何かが大きく変わったように実感しています。

お酒とさよならすることで、やっと、自分自身と仲良くなることができたようにあらためて感じています。

お酒は百薬の長とも言われ、節度をもって楽しく飲む事は素敵な事ですし、決して飲酒を否定しているわけではありません。私自身、飲酒の楽しさというものは十分過ぎる程わかっています。

ただ、限度を越えてお酒に溺れてしまった愚かな自分自身をあらためて振り返り、お酒に逃げていた弱い自分を反省しつつ、依存する事の恐ろしさ、嫌な事、辛い事から逃げずに向き合う勇気を持つ事の大切さをあらためて思うのです。

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