yurie

都内在住 / アラサー / 会社員

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最近の記事

母との対決

季節はめぐり、東京の桜はほとんど緑の葉をつけた。 今年の春もなんとかやり過ごせたようでホッとしていたら、いきなりやってきた人生の転機にどうしようかと戸惑っている。 どうしようか戸惑っていたら、男が熱を出した。 男は滅多に体調を崩さないので、いやはや、これは結婚が彼の重荷になっているのではないかと思い、 「いつでも白紙にもどしていいんだよ」(愛着障害〜!) と言って、今朝は家を出た。 実は昨晩、母と対決した。内容は、 1、母がわたしに「未婚の母になれ」と言うこと 2、私は母

    • 春の夢

      昨晩の記憶は曖昧である。なぜなら酔っていたからである。 だけど、自分の人生にとって大事な夜だったと思うので書いて残しておく。 日曜日の夜、翌日の仕事がなんとなく嫌で眠れず、遅くまで起きていた。 男はゲーム(これは毎晩の慣習になっている)を早々に切り上げて、いつもなら、私が待ちきれなくて先に眠るほど没頭しているのに珍しいなと思っていたら、隣にきておしゃべりをし始めた。私は彼と話すのが大好きなので、嬉しくなって自分の好きな話題についてペラペラと喋っていた。 どれくらい経っただ

      • 私の心はドーナツ🍩

        こんにちは、yurieです。 今日は、私のnote名の由来について書いていこうと思います。 私の本名はゆりえではありません。これは、本名になるかもしれなかった、名付け候補の名前です。親は悩み、複数ある候補の中から最終まで残ったようですが、結局ゆりえは選ばれませんでした。 こう振り返ると、少なくとも私の誕生を親は歓迎し、楽しみに待っていてくれたのだと思います。幸せな4人家族になることを信じて。現実はそううまくいかなかったけれど。私が中学校にあがる頃には、両親の仲は手のほどこし

        • そして、海

          きのう、愛着障害を爆発させてしまった。 まず、お風呂上がりにお酒を飲んでいる時からなんだかおかしかった。本を読みたくなったのだ。しかも、肌に沁みこんでくる恋愛小説を。甘い牙を持つ言葉に肩まで浸かって眠りにつき、目を覚ましたら4時過ぎだった。その時、好きな男にはそばにいて欲しかった。でも、いなかった(いつも一緒に寝ているのに、なぜかソファで横になっていた)。それで私は一気に不穏になってしまったのだ。 きっかけは笑ってしまうくらい些細なことだけど、周りが結婚出産ラッシュを迎え、

        母との対決

          とりとめもなく、思い出と日々のこと

          東京に雪が積もり、一週間ほど経った。今でも道のそばには、溶け残った雪が白い像となり静かに佇んでいる。 雪のほとんど降らない地域で育ったせいか、私は雪に関する知識が非常に乏しいことに気がついた。雪の種類(積もる雪と積もらない雪)や、雪対策、雪道の歩き方など。東京にはいろいろな出身地の人がいるので、皆の知識のおこぼれを一つずつ拾い集めて、私は積雪の数日を乗り切った。 ”根雪”という言葉を初めて知ったのは、小学生の時か。北海道を舞台にした漫画の中で、 「根雪になるのはまだ先だよ

          とりとめもなく、思い出と日々のこと

          肩の力抜いていこ〜

          最近、noteを書き始めても途中で何が言いたいのかわからなくなったり、書きたいことが浮かばなくなったりするので、今日は肩の力を抜いてPCに向かってみようと思います。 最近感動したものを、3つほどご紹介します! まず、参考までに私のバックグラウンド情報です。 20代後半、女性、都内在住(同棲中)、会社員、趣味は料理と読書。最近は彼氏の影響で競馬とゲームもする。将来の夢はお金の心配なく、猫や犬と暮らして、穏やかに死ぬこと。最近は、海外に移住したりもう出家するのもありかな〜と思っ

          肩の力抜いていこ〜

          人生はクイズ番組ではない

          すこし間が空いてしまいました。 年末に決めた転職をやっぱりしないことにしたり、年始のお休みにかまけてのびのびしてしまったりしていたら、いつの間にか一月も後半に入っていた。 転職をしないと決めたのはいくつか理由がある。面接は良いところまで進んでいたし、私も新しい会社に前向きだった。だけど、最後に踏みとどまった理由は「その仕事に誇りが持てるかどうか」という気持ちだった。 私は会社員だけど、あまりメジャーではない職種についている。極力自我を出さないことを求められるこの仕事は、自

          人生はクイズ番組ではない

          おまもり

          12月は、年末年始の帰省計画を立てたり、転職活動をしたりしていたので、ちょっと疲れてしまった。 悩んだけれど、結局帰省はしないことにした。この時期の飛行機代はとんでもなく高い上に、実家で心をボロボロにされるのが今年の私には許せなかったからだ。それから、無事に転職が決まったので、それまでは自分の心に波風を立たせたくないという思いがあった。 帰省しない旨を母親にLINEすると、もちろん怒られたし失望された。すぐに電話がかかってきて、40分ほど怒鳴られた。恋人がちょうどお風呂に入

          おまもり

          居場所を探して

          毎日、満員電車に揺られて通勤している。ぎゅうぎゅうの時間はさほど長くはないけれど、(あ、これ絶対まわりの人から私の存在邪魔だと思われてるな)と感じながら過ごすその時間は、かなり苦痛だ。でもそれしか仕事場に行く手段がないので、仕方なく乗り続けている。 最近仕事もうまくいかず、(この人いつまでここにいるんだろう)という視線を感じることもある。それでも暮らしていくにはお金が必要なので、気が付かないふりをして、頑張って働く。 昔のこと 実はこういう感覚は、幼少期からよく感じていた

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          ゆがみ #3

          母の過干渉については、ゆがみ#2にも書いたのだけど、今日はもうちょっと踏み込んだ内容をお話しさせてください。なお、性的なことを書くくだりもあるので、大丈夫な方だけ先に進んでください。 境界線のない親子関係 子どものフライバシー、という言葉を初めて聞いたとき、率直に「なんだそれは」と驚いた。 そんなことを考えてくれる親がいるとは。子どもを尊重してくれる親がいるとは…。生まれた時から今に至るまで、私にはプライバシーなど皆無に等しかったので、異世界の話かと思った。 学生の頃、

          ゆがみ #3

          休日日記

          このnoteはただの日記です。特にオチもありません。よかったら読んでください。 こないだの日曜日、東京競馬場に行った。 その日はジャパンカップというG1のレースが開催される日で、私たちは一週間前から席を予約し(抽選だった)、指折り数えてその日を楽しみにしていた。 私は競馬については初心者で、勝ったり負けたりはそこまで重要視してないのだけれど、競馬場は好きだ。大きなレースのある日は、ディズニーランドに引けを取らないのではないかと思うほどたくさんの人が集うので、人間観察と馬観

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          愛について

          ここにきて重めなテーマである。28歳、会社員、女、まだ、愛を知りません。 幼少期、親からの愛情に飢えながら育った子どもは、大人になって異性との関係性に歪みが生じる確率が高いそうだ。 私は長い間このことを信じていて、逆説的に、自分の異性関係はかなりまともな方であるから、すなわち幼少期の育ち方は正しかったのだと思い込んでいた。 まあ、それは自分のことをよくわかっていなかっただけなわけですが… 私は恋人が1人では安心できないたちだ。常に「この人は私がいなくても生きていける、今

          愛について

          餃子

          母の作る餃子は不味かった。お肉はボソボソしていて、皮はパリパリしすぎていた。おそらく、肉に味付けをあまりしていなかったことと、焼くときに全面に焼き色がつくようにひっくり返している(そしてその時に肉汁がこぼれている)こと、なぜかポン酢で食べることを強制していたことが原因だろう。母は肉に火が通るかどうかを極端に気にしていて、それなのに蒸し焼きというものを知らず、酢じょうゆをポン酢だと思っていたらしい。 祖母は餃子を作らなかったので、結果的に中学生の時にリンガーハットで餃子を食べ

          ゆがみ #2

          おそらく、私の母親は「過干渉」タイプの親だと思う。 着るもの、髪の長さ、言動、付き合う友達は、すべて母の"合格"が出たもので構成されていた。私を含め、家族のだれもそこに異論を唱えることは許されなかった。少しでも反対意見を言おうものなら 「私は百合のことを思ってやっているのに!」 と、真剣な顔をして頭に血をのぼらせていた。 母は美しい人であった。美しさゆえなのか、女としての嫉妬なのか、私の容姿に関しては非常に手厳しかった。特段私は美しい容姿をしているわけではないが、それでも同

          ゆがみ #2

          ゆがみ

          毒親という言葉が生まれて久しい。この言葉が世間に周知されるようになり、その後現在に至るまでも、私はこの言葉が嫌いだ。 毒親、なんて、自分には関係がないと思っていた。 私は九州のとある漁師町で生まれた。父と母がいて、年の離れた兄がいて、祖父母もいた。田舎特有のおおらかさを持ち合わせながらも、やや封建的なものの考え方をするきらいのある人々のあいまった土地で、私は18歳までで育った。地域には根強く男尊女卑の考え方の残っていて、ことに母方の祖母は私に厳しかった。実は、母にあまり子育

          ゆがみ