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私の心はドーナツ🍩

こんにちは、yurieです。
今日は、私のnote名の由来について書いていこうと思います。

私の本名はゆりえではありません。これは、本名になるかもしれなかった、名付け候補の名前です。親は悩み、複数ある候補の中から最終まで残ったようですが、結局ゆりえは選ばれませんでした。
こう振り返ると、少なくとも私の誕生を親は歓迎し、楽しみに待っていてくれたのだと思います。幸せな4人家族になることを信じて。現実はそううまくいかなかったけれど。私が中学校にあがる頃には、両親の仲は手のほどこしようもないほど険悪になり、母はどんどんヒステリックに、過干渉になり、思い出すたびに心がずーんと重くなるような出来事がたくさん起こりました。それらは積み重なり、とんでもない重さになって、私の心に穴をあけました。

名付けの経緯を聞いた時は、可愛い名前だな、くらいにしか思わなかったのですが、私はいつしかゆりえという名前に、自分が歩めなかったもう一つの人生(=親から愛された人生)を担わせ、空想するようになっていました。
ーもし、ゆりえだったら… そんなことを度々考えるようになったのです。

そうは言っても現実には私一人しかいません。心には穴があいているので、男から愛をもらっても、栓を閉め忘れたお風呂のように、いっこうに心がまんたんになる気配もありません。このままじゃいけないなと思ったのは一年前。年齢を重ねたら自分に自信がつき、穴は埋まるだろうと思っていたのですが、その兆しがまったくない上に、悪化してきていることに気がついたのがきっかけです。昔から書くことは好きだったので、自分の言葉で過去を振り返り、発信しようと思いました。これが私の受容のかたちです。

そして先日このnoteに出会い、とても救われました。

大切なのは「穴のあいた自分も自分なんだ」って受け入れることなんですよね。

「心にあいた穴と一緒に生きるという事」より

note内の、特にここ。経験された方はお分かりになると思いますが、これはかなり精神的に参ってしまう作業です。穴のあいた自分も自分。それって、完璧には一生なれない…ってコト?!と、心の中のハチワレが出てきてしまいそうです。私は完璧主義なのに、今の世界にはこの穴をぴったり埋められる人はいないなんて。絶望です。本当に、親を恨んで時が戻るのなら、いくらでも恨み言を(心の中で)言ってやりたいと思ってしまいます。

でも、ふと思いました。穴があいてる自分、なんだかドーナツみたいでかわいいし、おもしろい。昔の私ならただ絶望するだけで、絶対に「ドーナツ」という単語すらも出てこなかったと思うけど、note(受容)を始めて、自身の過去を客観的に見ることを覚えたんだと思います。
もちろん、書くことは過去のことを思い出すことにつながるので、忘れていたはずの惨めだった出来事や、悲しかった出来事がたくさんフラッシュバックしてきます。そのため、趣味の刺繍はできなくなりました。黙々と作業をしていると、どんどん嫌なことを思い出すようになってしまったからです。
それでも私は前に進みたいので、立ち向かおうと決意しました。
悲しみを完全に過去のものにするにはまだまだ及ばないけれど、小さい一歩でも前に進めたのは、本当に嬉しいことです。

私は、誰が興味あるんだ?という内容をただつらつら書いているだけで、本当に自分のためだけのnoteになってしまっているけれど、それでも読んでくださる方がいて、嬉しいことにコメントをくださる方もいて、それがすごく支えになっています。本当です。

そろそろ桜が咲きそうですね。今週末はお花見する人が多いのかな。
みなさま、週の後半もがんばりましょう〜


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