Marie

人生に暗闇はなく、無知があるのみ。 物事はたいてい、見かけによらない。 生まれ変わるな…

Marie

人生に暗闇はなく、無知があるのみ。 物事はたいてい、見かけによらない。 生まれ変わるなら、生きてるうちに。

最近の記事

置き去りにした私を迎えに行く。

私は私を置き去りにしてきた。 それがいつ、どこになのか はっきりとはわからないけれど おそらく、この10年くらいの間に。 とにかく、私は、今の私の隣にはいない。 本当の私とか、自分探しなどの類ではない。 本質的に私がいないのだ。 これまで自分の意思を 願いを、夢を、そして 日々のささやかな希望を 少しずつ無視してきて生きてきた。 そのツケが 35歳を過ぎて回ってきているように思う。 30代後半になると、これまでの経験や考えが点と点として繋がってくる。 そしてそれが事実と

    • 猫の寝息を聞いたら、ふと祈りたくなった。

      最近、飼い猫のハルが一緒に寝てくれる。 ベットの上の、私の隣に。 生理前の絶望的な数日間。 今回は仕事を辞めて無職だし ダイエットもしているから イライラはいつも以上。 この1週間、毎日自己嫌悪と過ごしていた。 そんな夜に、ハルが隣で寝てくれた。 彼は何も話さず、ただ目をつぶって 「ぴー」と小さな寝息をたてる。 なぜか私は急に ふと、祈りたくなった。 誰に何をでもなく ただ手を合わせて、何かを。 飼い猫のハルが隣で寝てくれている。 ただそれだけのことで 私は

      • 自分らしくなんて意味不明

        『自分らしく』ってなんなのって 今日、なぜか急に腹が立った。 自分らしくって意味がそもそもわからないから 自分らしくなんてなれないし。 無理せず自然体で 好きなことしていることなのかと なんとなくイメージしてるけど。 自分らしく生きてる人なんて そもそもいるのかよくわからない。 20代の頃、夜中に部屋の電気を消して イヤホンで洋楽を聴きながら1人で踊った。 鬼束ちひろになりきって鏡の前で歌った。 誰にも見られていないのが大前提だけど 唯一のストレス発散で癒しだった

        • ヒュッゲしたい。

          テレビが生活の一部ではなくなった。 理由は色々あるが、ニュースやドキュメント番組以外全く観る気にならない。 テレビの代わりに、Amazon primeで海外ドラマを観たり、youtubeでBGMを流しながら過ごすことが多い。 今は代替としての選択肢がたくさんあって とても恵まれていると思う。 大人になって、テレビが人生の時間を奪っていく感覚をもう無視できなくなっていた。 海外で暮らした経験も影響していると思う。 タイの田舎町で暮らして驚いたことは たとえ大人でも、自分

        置き去りにした私を迎えに行く。

          今はただ、幸せの香りを思いっきり嗅いでおく。

          昨日、ダイエットの為にウォーキングをして その帰り道でふと気づいた。 何度も引っ越して 何度も転職をして 結婚して離婚して 今の私には、仕事も貯金もない。 結婚もしていなければ子供もない。 37歳にもなって親孝行も出来ず また仕事を辞めて 自分の人生についてばかり考えている。 情けなくて、惨め。 けれど、それでも その代わりに味えたことが たくさんあったとも思う。 外国の街角で 目があった女性に自分を重ねる時間や ワクワクをぎゅっと詰めたスーツケースに ひっくり返

          今はただ、幸せの香りを思いっきり嗅いでおく。

          報われなかった謙虚さ

          幼稚園の頃の写真を見ると 周りの子達はドヤ顔でポーズを決めてるのに 私はうつむいて控えめに微笑んでいた。 小さい頃から控えめだった。 それは社会人になってからも同じだ。 よく色紙に『控えめだけど芯がある○○さん』と書かれていた。 ずっと〝謙虚〟さが大切と思っていたから 謙虚な態度を貫いた。 人と出会うと、その人の背景や どんな人生を歩んで来たのかすごく気になる。 自分と異なる経験をしている、それだけでその人から学ぶべきことがあると思う。 その人が見た私の知らない世界があ

          報われなかった謙虚さ

          社会不適合者に私はなる。

          無理さえすれば 私はいくらでもうまくできる。 私は真面目で心配性だから、遅刻なんか絶対しないし、人の表情から色々察して相手に合わせることもできる。 先回りして気配りすることも簡単。 自分を犠牲にして相手の欲求を優先することも出来るし、自分の話を遠慮して相手の話を聞くことにも慣れている。 自己啓発本をたくさん呼んだから、悩んでる人が欲するような言葉もたくさん伝えられし、自分が絶望する前に自分を救うことも出来る。 難しくはない。 仕事を、 友人との付き合いを、 結婚生活を長く

          社会不適合者に私はなる。

          そして私は怪獣になった。

          私は不機嫌な人が大嫌いだ。 大人にもなって、不機嫌でいることは重い罪だと思っている。 それなのに、生理前になると 自分の意思と反して、不機嫌を強いられる。 PMSのせいで、頭痛はするし、眠いし、いくら食べても空腹でイライラする。トイレも近くなるし、急な腹痛も会議中にやってくる。 こんな理不尽さに、もう5年以上耐えている。 気休め程度の予防法や薬はたくさんあるし PMSに関する本も読んだ。 でも私にはそんなものではどうにもならない。 毎日そばにいる彼は男性だから 本質

          そして私は怪獣になった。

          サインに気づくこと

          子供の頃、ピアノを習っていた。 中学生の合宿コンクールでは常に ピアノ伴奏を担当していた。 発表会本番、順番を待つ間はピアノを弾くことは出来ない。 私は目を閉じて、鍵盤と指の動きを想像した。 そのおかげで不思議と緊張せず落ち着けた気がする。あの時は、ただの気休めのつもりだった。 けれど、Youtubeで見た動画で 〝ピアノの練習を想像で行うだけでも、実際の  練習の50%の効果が得られる〟 と脳神経科学者のマシュー・ウォーカー教授が 言っていた。 この想像する行為の

          サインに気づくこと

          新しい始まりは韓国のドバイで

          3年前に、3ヵ月で10kg痩せた経験がある。 目的は顔も知らない男性に会う為にだった。 相手は半年前からチャットアプリで会話を始めた私より10歳年上の韓国人で、韓国でカフェを経営していて、留学経験があり英語が話せる。 思い返すと、その程度しか情報はなかった。 そんな人に会いにわざわざ韓国まで会いに行っていいのだろうか。 3ヵ月の間、冷静な一方の私は何度もツッコミを入れていたと思う。 けれど、離婚して当時ボロボロだった私は 新しい町や、新しい人に触れたかったのだと思

          新しい始まりは韓国のドバイで

          5年後じゃなく今すぐ幸せになる

          私の両親は共働きで、母は私が中学生になる頃には正社員としてフルタイムで働いていた。 子育てや家事をしながらのフルタイムはどんなに大変だったか。 仕事の繁忙期などは特に余裕がないように見えたし、話しかけても上の空でささくれ立っているようにも見えた。 その母が定年後、華麗なる変化を見せる。 定年を迎えてすぐ、当時私が仕事をしていたエジプトへ友人を4人も引き連れ来たかと思えば、砂漠キャンプで砂漠キツネに携帯を奪われ、ナイル川クルーズのダンスパーティーを満喫し、衛生的でないトイレ

          5年後じゃなく今すぐ幸せになる

          人生のどん底を救ってくれたのは、いつも韓国人男性だった。

          今から約10年前。 エジプトのナイル川を見下ろすアパートで 私は泣いていた。 恋人だと思っていた人に裏切られて でもまだギリギリ恋人ではなかったから 誰も悪くなくって ただただ、私だけが惨めだったあの日の その翌日だった。 日没後のアザーンが町中のスピーカーから流れ私はフローリングに寝そべって 天井でくるくる回る シーリングファンを眺めていた。 思えば、私はあの夜すでに 暗示を受けていたように思う。 中学2年生の頃 五木寛之さんの『大河の一滴』を読んでから 人生哲学や

          人生のどん底を救ってくれたのは、いつも韓国人男性だった。