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ジェイムズ・リーバンクス English Pastoral

* 英語バージョンはこちらEnglish Version 

それこそ何十年も前の話だけれど、北イングランドのシェフィールドという街の大学院の修士課程にいた。入学してしばらく経った頃、コースの計らいでピーク・ディストリクト国立公園に皆でピクニックに行くことになった。ピクニックとはいってもイングランドの秋のこと、予想通りの雨だった。もちろん雨天決行だ。イングランドだもの。

霧のような雨の中、うねうねと見渡す限り続く丘(rolling hills)をどこまでも歩いた。踏みならされただけの細い土の道がひとつの牧草地を抜けて囲いに突きあたると、家畜が通れないように工夫された門(kissing gate)があったり、柵を越えられるように木を組んで作られたステップがあって、その先には次の牧草地が広がっている。そうやって、牧草地はどこまでも連なり、道もまたどこまでも続いていた。雨風に打たれ陽を浴びてすっかり銀色に変わった道標に、消えそうな文字でpublic footpathとある。防水加工のされた色鮮やかなジャケットに堅牢なウォーキングブーツ姿の先生たちとは対照的に、ぺらりと薄いデニムのジャケット一枚に普段履きのスニーカーを履いた私が、雨にぬれて滑りやすい木製の段をおっかなびっくり登っては降りるのを、羊たちが眺めていた。

Public footpathというものに出会ったのはその時だった。私有地である農場の中を通る、誰でもが歩く権利(right of way)を保証されたパブリックな道。ピーク・ディストリクトはその9割が私有地でありながらも「国立」公園であることもその時に知ったが、当時の私にはやや信じ難いことだった。プライベートでありながら同時にパブリックでもある土地が存在する。やがて、英国滞在が長くなるに従って、土地の所有と利用、さまざまな権利をめぐる長く複雑な歴史が、その変容と闘いの記憶を通して形作られてきた人と土地との関係の有り様が、「英国の文化」の、そして英国に生きる多くの人々の心の奥底に広がるランドスケープとなっていることを理解するようになった。

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イングランドの土地の73%は農地である

イングランドの「土地」を語るのに、農家以上の適任者がいるだろうか。

English Pastoralは、ジェイムズ・リーバンクスの記憶と家族の歴史を縦糸に、彼の家族、生きる土地そして次世代へと手渡す世界への深い愛情と責任感を横糸に織り上げられた美しい布のような、巧みな工芸品のような本だった。個人の思い出や日々の営みの描写と、その背景としてのイングランドの農業が直面してきた数々の問題に関する考察が交互に現れる様は、綿々と連なる丘の斜面にいくつにも区画された農地がパッチワークとなった、イングランドの高地の風景にも似ていると思った。そしてこの本は、農業とは遠く離れた日々を生きる私に、農家の視点に立ってイングランドのランドスケープを見つめ直すことを可能にしてくれるpublic footpathでもある。

イングランドのランドスケープは、人と土地の関係性の変化を受けて変わりつつあり、その変化が引き起こすカタストロフについて、著者は警鐘を鳴らす。

商業主義はその圧倒的な力でもって、食べ物はとにかく安ければよいのだ、大量にあればよいのだという私たち消費者の(内なる)声を遠く田園地帯にまで届ける。声は谷にこだまし響き渡る。そして、私たちの飽くなき欲を満たすため、農業は、土地は、自然は、搾取され、傷つき、痩せ細り、ゆっくりと壊れていっている。そのことにどれほどの人が気づいているのだろう。そこに、食べる者と作る者との認識の断絶に、問題の根っこがある。だからリーバンクスは、読者を田園地帯の旅へと誘い、その美しさも、貧しさも、豊かさも、すでに失われたものも、更なる崩壊の予兆も、闇夜の先に仄見える光もみな、見せてくれる。語ってくれる。

私たちの手の中には、田園地帯へと通じる赤い糸がしっかりと握られていることを認識したい。再確認したい。その糸をいかに引くか、緩めるか、それは私たちの責任だ。美しく織られたタペストリーのようなイングランドの田園風景は危機に瀕して脆弱だと、リーバンクスは知らせてくれる。それをばらばらに解いてしまわぬよう、その生命に溢れた豊かさを変わらぬまま次世代へと手渡せるかは、「消費者」の意思と行動にかかっているのだと訴える。プライベートでありながらもパブリックなものでもある英国の土地、ランドスケープに対して、すべての人が持つ「責任」が問われているのだ。

日本の農業、そして林業の実情を私はよく知らない。English Pastoralのような本が書かれているのか、書かれるべきなのかもよくわからない。それでも私にできることはあるはずだし、日本に帰ってきたのだから、私も日本の土地の、自然の、ランドスケープの一部でありたいと思う。この手に握った糸を正しく引きたいと思う。それが私の責任だと思うから。


*写真はYorkshire Moorsで撮ったもの。

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