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逡巡のための風景09/今

逡巡、という言葉がぴったりな今だから、何かを書いてみようと思う。けれども、いっぽうで、言葉を発するようなときではないのかもしれないとも思う。
いろいろな思いが溢れては消える。

しっくりくる言葉はない。

しっくりくる風景、とか色、味ならあるかもしれない。

風景について。

家のまわりを子どもたちと自転車で移動することが増えて、川辺の畑道なんかを走っていると、ベルリンにいた20代の頃を思い出す。ひとりぶんのリズムで、人生でいちばん自由気ままに暮らしていたあの頃。地下鉄代を節約したくて、街じゅうのほとんどを自転車で移動していたあの頃。久しぶりにラーメンズのコントが観たくなった。ベルリンでよくyoutubeで観ていた、ラーメンズ。

色について。

理由あって、真っ赤だった髪の毛の黒い根元を徐々にのばして黒髪のショートカットにしていた(子どもの卒園式や入学式のためではまったくなくて、自分の仕事上の都合だった)。ところが、その理由だったはずの事柄が春から秋へ延期になってしまった。延期の電話を受けたとたん、まず髪の色のことを思った。そうなんだな、私にとって髪を赤くしていることは大事なんだなと気づいて、自宅待機のご時世、美容院にも行けなくてついに自分でゼロから染めた。(真っ赤にするためにはまずは2回ほど脱色して金髪になったところへ染料を入れないといけないのだけれど、この脱色作業は初めてだった。染料自体はじつはシャンプーのたびにまあまあ落ちるので、かれこれ2年くらい前から、10日にいっぺんくらいはそこらじゅうを真っ赤にしながら自分で染め直している。)
毎朝鏡に映った自分を見るとき、ボサボサの黒い髪だと「そうじゃないんだよね」と思う。ボサボサが赤だと「おっ今日もとんでもない色してんじゃん」という思いとともに生きる気力が湧いてくる。
この「そうじゃないんだよね」という感じをわかることはけっこう大切なことなんだろうと思う。最近性転換した友人の話を聞いていたときにもそのことを思った。彼が「自分の望みは正しい望みじゃないとずっと思ってた」「ずっとあきらめていたものを明確に実現できた」と語ったことに、私はとても心を動かされた。

味について。

ルッコラとラディッシュのサラダ。・・・ニンニクとバルサミコのドレッシングをかける。ルッコラとラディッシュは、うまくいけば初心者でも簡単に育てられる。三岳の畑のルッコラは摘んでも摘んでもわんさか生える。ニンニクは自宅の畑に夫が植えたものがやっとふくらんできた。

皮ごと黒くなるまでグリルした、そらまめ。・・・子どもたちの近所のお友だちのおばあちゃんから採りたてをどっさりいただいた。蒸し焼きになって中がほくほくになっているので、塩をふって食べる。おばあちゃんに「へえ!そんな食べ方がもあるのね!」と驚かれた。

モヒート。・・・Hさんに株分けしてもらったばかりのミントが、さっそく裏庭で増えていっている。山の上の上のほうに住むHさんの庭に生えているのを見つけてお願いしたのだけれど、合計3種類のミントの苗に加えて、黒ほおずき、青じそ、コスモス、朝鮮あさがお、八重ピンクあさがお、大輪あさがおの苗、すてきな新聞記事の切り抜きも一緒にくださった。苗はみんな庭のいろんなところに植えた。

そうなんだ、だんだんわかってきた。このあたりのおばあさんたちは、こうやって暮らしを楽しんでいる。自分で種をまいたものが芽を出しゆっくりと育ってゆくのは愛しいし嬉しい。収穫したものを人にあげたり、お礼に何かと交換したり、そうするとどんな素朴な料理でも愛しくて美味しい。もちろん採れたてで新鮮なことや、こんないいものいただいてラッキーってことなんかもあるけれど、それ以上、それは味に物語があるからなんだ。


最近はすっかり、庭や畑の存在が私を救っている。
つらいこと、言葉にできないこと、モヤモヤすること、イライラすること、いろんなことがあるけど、毎日ただただ雑草を抜き、植物の成長を見る。雑草の中でも好きな雑草は残しておく。ほんとうは、誰にも頼まれず誰にも手をかけてもらっていないのに懲りずにたくましく生え続ける雑草には感心しきりなのだけれど、ごめんよ!という感じで抜く。葉っぱを食べ尽くしてしまうアオムシやナメクジも、足に吸い付いていて毎度ギョッとするヒルも、ごめんよ!という感じで弔う。すべての殺生が罪ならば、私は来世ナメクジあたりに生まれ変わって誰かに塩をかけられて死ぬのかもしれない。それもまた一興、と思う。
植物はたくましい。雨が降ったらぐんと成長する。種をまくタイミングを間違えると幼いうちに次のステップに進んでしまったりするのだけれど、「あ、春だ」とかそんなことがわかるんだからすごい。頭でっかちに生きてきたけれど、人間より植物のほうが賢いってこともある。そして畑の豊かさを知っている人たちは、賢い言葉を並べてばかりの人よりもよほど賢いと思う。

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