見出し画像

一瞥の体験

一瞥体験を3回ほどしました。
簡単に人生を振り返ってみましょう。

1984年生まれ。

小学5年生の時、自宅の洗面所で鏡に映る自分の顔を覗き込んだら、
その瞬間、自分の輪郭がガラガラと壊れるというか、うち砕かれるような体験をする。
その次の日から、「宇宙よりも広いものはあるのか」という疑問が湧き、
「それは自分かもしれない」と思うようになる。
こどもの発想なので、科学的、哲学的なことは何もわからなかったけれど、
「人間は、自分が認識している世界が、世界の全てだと思っている」
「それならば、宇宙よりも広い何かがある、と認識した自分こそが宇宙よりも広いのではないか」
と考え始める。

自宅には父の好きなTAO、無明庵EOさん、グルジェフ、テーラワーダ協会などの書籍があり、難しいことはわからなかったけれどなぜか無明庵EO氏の本だけはスッと頭に入った。


とはいえ、まだたったの11歳。日常のほとんどは、そんなことよりも、
習い事のピアノや好きなアニメや、絵を描くことの方がずっとストレージを割いていた。

私は、絵を描くことが上手い子どもだった。
よく学校で募集している絵画コンクールは総ナメ。

中学生の時の絵


大人になってからの絵

絵を描くときには観察力と集中力を駆使します。
見たものをそのまま描くことが面白い。絵を描くときは、できるだけ「私情をはさまず」「見たものを見たままに」という信念はこどものときに出来上がっていました。
(その信念の甲斐あってか、わたしは美大卒です)

さて。1度目の一瞥体験は11歳。
2度目は大きく離れて35歳。
この間、四半世紀が流れた。
10代、20代という誰もが辛く眩しく激しい年代を送るだろう時代、わたしはなぜか(美大卒だけれど)文学に没頭していた。
坂口安吾、柳美里、川崎長太郎、檀一雄、西村賢太。
こう列挙すると私小説しかないのだけれど、本当に私小説ばかりに傾倒していた。

中学の成績がトップクラスだったため、高校は静岡県内で最も偏差値の高い高校郡の一つに入学する。
高校では深く思い悩んでいた。あっさりと不登校になった。心療内科に行ったら「解離性障害」と診断された。
(統合失調症、うつ病など、思春期に発症する主な病気に比べ、やや珍しい精神疾患)
本当にひどい時期は家から出なかった。
やることがなかった。家にある本を手にとった。それは和田重正『あしかびの萌えいずるごとく』だった。
読んでいるうちに「この本を書いた人は、自殺直前に桃の花を見て変容がおきた人なのか」ということを理解し、読んでいた頭をふと持ち上げると、私の目にも春が映っていた。不登校になって一年になったのだ。
高校を不登校になると出席日数が足りなくなり、留年を言い渡されるので、その通り留年した。よって高校は4年かけて卒業したことになる。

20代前半になり、あいも変わらず悩み続けていたわたしは、ヨガを始めることにした。
そして同時に、親鸞、クリシュナムルティ、グリーンヒル瞑想研究所の地橋秀雄先生、テーラワーダ協会のアルボムッレ・スマナサーラ氏に出会う。
ヨガを習うだけでは飽きずに、インストラクターの資格を得てハタヨガの先生になった。ヨガは大流行していた。ほとんどが美容、エクササイズ、癒しの文脈でヨガが語られていて、わたしも基本的にはその域を出なかった。
しかしインストラクターとしては底が浅くとも、思考の側面では、文学やスピリチュアルの本を読み漁っていたこともあり、だんだんと先鋭化していった。
そのとき2011年。
東日本大震災の発生である。

東日本大震災後に結婚することになった。
これにて、「個人的な悩み」には終止符を打ったつもりでいた。
「なぜ生きているのか」「宇宙よりも広いものはなんなのか」
この疑問はさっぱり解けぬままに出産育児に追われる数年を過ごすことになる。

一応、文学に傾倒しすぎたことがあり、2016年に書いた小説が文学賞を取り、小説家デビューしたが、小説はこれにて「気が済んでしまった」。

そしてコロナ禍のはじまった2020年5月。

過去に書いた記事を参考にしていただきたい↑
これが2度目の一瞥である。プリンタが「あった」。
その瞬間にも11歳の時に体験したような崩壊体験があった。
しかし11歳の時と大きく違うのは「深い喜び」を感じたということである。

この時も私は、この体験を説明できなかった。
こんなことを人に話したら「スピなの?」「深い喜びとか怖い」「勘違いじゃね?」「風邪引いた時に意識が朦朧とするとそれと似たことが起きる気がする」くらいのクソリプしか返ってこないことは火を見るより明らかである。
なので人には絶対に話さなかったものの、変容が起こった。

社会学、哲学、思想に猛烈な興味が湧いたのだ。
誰でもいい、片っ端から読んだ。3年間で500冊くらいの読書をしたと思う。
ギリシャ哲学、『古事記』などの神話、丸山眞男、小室直樹、見田宗介、吉本隆明、宮台真司、柄谷行人、この界隈の社会学、思想の先生にはお世話になった。(宮台真司氏については2022年の襲撃事件の数日前にお会いした)。
そして3度目の深い一瞥が起きた。それは2023年の5月にやってきた。

社会学、哲学なども一周し、エックハルトも読み、もうこれ以上、読みたい本はないのではないか、、、とそろそろネタ切れを起こしていた頃、
なぜかふと、この本のことを思い出した。

この本、確かこどもの時も読んだっけ。面白かった記憶はあるけれど、それ以上あまり思い出せない。また読んでみよう。と本を開いたのだった。
するとふとした一文がこうだった。
「私が本当に勧めているのは、『あなたの解散だ』。」

わたしはこれを読んだ瞬間消えた。

これまでの一瞥とは違った、さらに強烈なエネルギーのあるものだった。
これまでの一瞥が一瞬だったのに対し、それは数日、数週間続いた。
厳密にいうと継続中。
なにしろ、なんでもない空間が、素晴らしいものに満ちているのが感じられた。
何をしていても、充実が充満する。

これは一体なんなんだ?
いわゆる悟りか?解脱か?と空恐ろしくなったこともあったが、そうではなく、
わたしの体験は調べていくと「一瞥」というのだそうだ。
体験に名前をつけるというのは、なんでもそうだけれど、
「名前で言えない部分」を作ってしまう。
その要素が、この体験にもあることはある。けれど、「一瞥」が妥当だとも感じる。

調べると、一瞥の体験をした、という人が他にもいることがわかって、
とても安心した。
(頭がおかしくなったのか?という疑念が最後の最後まであったから)
そして一瞥の先輩たちは、その体験を使って、さまざまな活動をしていることもわかった。

このブログでも一瞥の先輩とお会いしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?