Marikit Pangwi

Marikit Pangwi

最近の記事

海外に行ったら、世界の視野は広くなる。

母国での私の生活はなんだか快適でした。もちろん、言葉の壁に苦労することはありませんでした。また、家族専属の運転手が車で目的地まで連れて行ってくれたので、移動に困ることはありませんでした。問題は、私が自分の時間を完全にコントロールできず、すべてが家族と同期したスケジュールに従って実行されたことでした。実際のところ、私には時間に対する自主性がありません。4年前の12月に海外に行ったことにしました。コロナが起こった、皆の予定と計画が延期することになりました。 3月2022年にやっ

    • 理想的な社会

      生生きがいが上がるために、夢を見ているのが大事です。シンプル夢でも、いいと思いますよ。育てる時、両親は子供に夢を見ている方法は教えるべきです。私にとって、理想的な社会は皆が夢を見ていて自分が人生をコントロールしていると感じる。 私は大学院で色々な同級生に知り合って、皆は日本に来る前どんな仕事をしたか卒業後でどんな仕事をする予定と話しています。時々相手は「そうですね、私はまだ決まっていない、知らないから。」・「何でもいい? いい仕事は高い給料かも。」と返事しています。返事しな

      • 明確なビジョンを持った会社

        人々が働きたい会社を探す時、彼らは常に給与額や社名の人気を考慮します。公正な給与の必要性は理解していますが、人気の必要性はまったく理解していませんでした。たとえ人気のない小さな会社であっても、同じように良い会社になると私は信じています。 私の意見では、社名の恩恵や人気は一時的な幸福をもたらすだけです。会社のビジョンや目標、そしてそれが自分のビジョンと一致しているかどうかが最も重要なポイントだと思います。私たちは毎週少なくとも 40 時間を会社で過ごしますが、自分にとって価値

        • 誰も理解できないこと

          生まれた時、医師は私が普通赤ん坊と思った。けど、三日間後、私の顔色が変わって、お母さんは心配して、医師に連絡しました。その人間ドックをしまして、変な心臓の鼓動を聞きました。私の心臓でレントゲン取りました後、医師は二つの穴を見つけました。 医師の分析は穴のため、私の心臓が体全体的に血を送りだせられない。そのケースは大変だって、生前率が低いです。確実に生き残るためには手術が必要でした。赤ん坊の生存率は難しくて、亡くなる可能性50%かもしれません。リスクが高いですが、他の方法は

        海外に行ったら、世界の視野は広くなる。

          社会人の1年目の私へ

          私の大学の専攻はアントレプレナーのマネジメントです。だから、大学で勉強しながら、インターンシップを探しなかった。我がクラスは論文をせずにビジネスプランを書いた。ビジネスプランを実施して、卒業前に6月間に営んでいた。営みながら、楽しくて悔しい事を感じました。その時、わたしは「社長の生活は簡単じゃない」と思います。 卒業後、アニメーションスタジオにプロダクションアシスタントとして雇った。アニメを見るのは趣味だから、仕事をしながらいっぱい学んでいた。現実は皆の給料は少なくて、芸術

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          平和に暮らしたい

          外国人は裕福に暮らしなるために日本に来て働きたいです。けど、英語を話せる方はアメリカやイギリスあやカナダやオーストラリアも裕福に暮らせる。だが、いっぱい彼らは日本のに住んでいるほうがいいと言いました。彼らはまだ日本語が上手じゃなくても、ここに言語を学んで頑張りたいです。大変があっても、彼らはどうしてやる気が強いですか。 彼らの共通理由はここに平和に暮らせると聞きました。例えば、夜中に安全に歩けるし、泥棒に心配しないし、それに運転手はクラクションあまり鳴らしません。大体人口は

          平和に暮らしたい

          有意義な人生

          大学時代からずっと色々な先生は「この人生中、何を達成したいですか。」学時代からずっと色々な先生は「この人生中、何を達成したいですか。」と聞きました。私の意見は子供の時から、子供にこの質問をきくべきです。もちろん、もっと簡単な語彙をつかうべきです。例えば「大人になって、何をしたいんですか。・何をになりたいんですか。」という感じです。一人の子供は「猫になりたい。だって生活が楽だから」と言い、もう一人の子供は「サッカー選手になりたい。そうすれば一日中友達と遊べるから」と言いました。

          有意義な人生

          パヌイ家族のコーヒー伝統

          私のお父さんはフィリピンの田舎に暮らしていた。この場所をサガダと呼んでいる。フィリピンの中でも最も寒い地方の一つです。サガダは標高2,374メートルの山中にある小さな村です。村の標高が高いので、農民がアラビカコーヒー豆を育てられる。 だから、その時お祖母さんとお父さんいっぱいコーヒー豆を育てた。毎日、食事後で、コーヒーを飲んでケーキやパンを食べた。だから一日中三杯コーヒーは普通と思った。日本ではゲストにお茶を出すのが伝統だとしたら、私たちの村ではゲストにコーヒーを出すのが伝

          パヌイ家族のコーヒー伝統

          J-speak lab 入学決意

          最初はただ趣味で日本語を勉強したかっただけです。私が以前勉強した目的は、兄弟も私もアニメと日本旅行が好きだったからです。転職活動を始めたとき、すべてが変わりました。私は最初、家業で5年間に働きました。父は私と兄弟に家業継承セミナーに連れて行ってくれました。その後、他のフィリピン人とフィリピン・中国人ミックスの相続争い問題を気づいていました。この国では、後継者たちがリーダーシップと相続をめぐる争いに関して深刻な問題を抱えていることが増えている。そこで私は、日本のファミリービジネ

          J-speak lab 入学決意