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血管迷走神経反射は気合いでは克服できません

これまでの人生で数回「失神」したことがある。

皆さんは「失神」というものに、どのようなイメージをお持ちだろうか。
幼い頃に出会うものとしては、体の弱い子が朝の朝礼で校長先生の長い話の間に気分が悪くなり倒れてしまったりしゃがみ込んでしまったりする様子、があるかもしれない。

人が目の前でバターンと大きな板が倒れるが如く、意識不明で倒れるなんてことに遭遇したことがある人は、あまり多くないだろう。

かくいう私も、常に自分が倒れる側なので、他人が倒れている様子は残念ながらほとんど記憶にない。

私が経験した主な失神は出血に関する反応だった。
耳にピアスの穴を開けたあと、数日後に何故か血がたくさん出てしまったことがあり、それを見た瞬間サーっと血の気が引いて寒くなり、強い目眩に襲われ、立っていることができなくなった。なんとか洗面所から這って廊下に出たもののそのまま倒れてしまった。これが記憶にある初めての失神だったように思う。

つい先日もお風呂のあとに失神した。
料理中に切ってしまった指の傷がなかなか治らず、ようやく皮膚がつながり始めたところに、うっかり油断してシャンプーしていたら塞がりかけた皮膚の端に髪の毛を引っ掛けてしまい、傷口がぱっくりと広がってしまった。そこからお風呂場で大量出血。少しのぼせ気味だったこともあっただろうか。遠のく意識の中でせめて石鹸の泡だけは流し切らねばと踏ん張り、這々の体で風呂場から血まみれとお湯まみれでキッチンまでぬめり転がり進み、その後おそらく数分は全裸のままで床に転がったまま失神していた。

ちなみにその時、老犬は我関せずと心地よく寝ており、犬だけれど役に立たないと後から夫に小言を言われていた。しかし失神した人間を救護できる犬なんて、そうそういないだろう。

これらは調べてみれば、おそらく「血管迷走神経反射」であろうと思われる。

注射をした時にも起こることがある反応のようで、ワクチン接種のページに説明があった。↓

ちなみに私は血液採取でも注射でも血管迷走神経反射を起こしたことはない。私が反応しているのは、怪我による出血などのような限定的な例のようである。
人によってストレスを感じるシーン設定は様々なのだろう。

血にまつわること以外でも意外なタイミングでこの血管迷走神経反射が起こることがあり、それらは精神的ストレスを自覚はないけれど実は強く感じていた件などが原因になっていた。こういう反応があると、自分はこんなことに実はストレスがあったんだなと後から呑気に振り返ったりもするのだが、他の多くの人はこんなことじゃ失神しないんだろうなと想像すると、なんだか自分が軟弱すぎて情けなくも思ったりする。

しかしこの血管迷走神経反射は、神経の反射というだけあって、反応が始まってしまうとどうにも自分の気合いでは止められないのだ。治すのもなかなか難しく、自分がどんなことに反射してしまうのかを知ってなるべく生活の中でそれと出くわさないように避けるというのが、現実的な対処だと思う。

さらにこの血管迷走神経反射で本当に怖いのは、倒れた先で打ちどころが悪かった場合である。
以前、これは血管迷走神経反射ではなく実は主な原因は脱水症状だったようなのだが、真夜中にキッチンで失神したことがある。家中が揺れるようなドーンという音がしたような記憶があるものの、その後の記憶がハサミで切り取られて私は全くわからない。
当時、寝ていた夫がその爆音で飛び起きてキッチンに来てみれば、私が直立状態のまま仰向けに倒れて指先が萎縮していたという。海での人命救助の心得がある夫が的確に対処してくれたおかげで一命を取り留めたのだが、あの時家に誰もいなかったら、今ごろ私はこの世にいなかったかもしれない。しかも物が少ない暮らしを実践していたので何かの角で頭を打つことはなく、木のフローリングの上にカーペットを敷いていたところに頭を打っていた。それでも後頭部を激打しており危ないのだが、不幸中の幸いだったのだろう。遠い記憶の中で、頭が床でバウンスしたような気はしていた。

失神というと、マリーアントワネットのようなドレスを着た貴族がふわっと倒れるような映画のワンシーンを想像するかもしれないが、リアルな失神はもっと漫画のように崩れ落ちたり受け身なしで勢いよく倒れてしまったりする。危ないのである。そして儚げな様子なんて微塵もない、ただただギョッとするシーンだと思われる(私は私が倒れている様子を見られないから想像だけれど)。

失神なんて生涯縁がないに越したことはない。
つい先日、全身ずぶ濡れで全裸の失神からなんとか自力で立ち直った私は思った。
ああ、死というのは案外こうやって日常の中で起きるのかもしれないな。

そしてうっすらとした意識でなんとか水を飲み、冷蔵庫から塩の袋を取り出して舐めながら、同時にこう思った。

やっぱり私はまだ生と死への執着から逃れられていないのだな。

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