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願いを叶えるコツ

隣の敷地の梅の花が咲き始めた。

隣は近々3年以内には家が建築される予定がある場所なのだが、今のところはまだ小さな林のような状態で、現在のオーナーさんが植えたのか様々な木が彩りを見せている。
少し前は晴れの日の夕焼けのような小さな柿が鈴なりになっていて、それを目当てに毎日メジロたちがやってきた。今はレモンが鮮やかな黄色になり、その隣には濃いピンクの梅が開き始めている。
我が家に近い位置にはどうやら白い色の梅が咲くようで、先日3つ4つと咲き始めたばかりだ。

梅の咲き始めというのは、本当に可愛らしい。
冬の寒い日に注ぐ少しの日光を精一杯浴びながら、少しずつまん丸とした小さな蕾が膨らんできて、あるときポンと開くのである。
その咲き方も実に細やかで上品。ヒソヒソと「春かしら」「春かもね」「もうすぐね」
という声が聞こえてきそうな、控えめでありながら芯のある美しさだ。

実は、いつか家から桜の木が心置きなく見られる家に住みたいと思っていた。
桜の木は二階のベランダから斜め向かいの敷地に見えそうだし、そもそも近隣の公園に行けばわんさか咲いていそうな場所だ。
そして隣には梅の木。
家から見えるのは梅の割合が多いけれど、思いがけず桜も梅もと、日本の春を堪能できる場所に引っ越してきた。

窓から緑がぎっしりと見えているということは、もちろんそれに伴い生活のあれやこれやも増えてくる。我が家の植物ではないので、世話はしなくても良いのだが、特に秋冬は落ちてくるものが多い。鳥もたくさん訪れる素敵な場所なだけに、そちらの落とし物もある。
家は築80年超えの古民家をリフォームし続けてきたもので、今ではもう見かけなくなったような可愛い模様のガラスを使った窓があったり、古めかしい押し入れがあったりして、見た目は好みだがやはり寒かったり、手入れが必要だったりと、最新のなんとかハウスみたいなものとは比べ物にならないような日々のあれやこれやの積み重ね労力がかかる。
それでも労力をプラスマイナスゼロにできるような何かを、私は今の家に感じている。

わざわざそういう家を注文して建てたわけでもなく、本当にひょっこり、ある日突然、徒歩圏内に登場した家だったというだけなのだが、比較的理想に近いようなものが現れたのだ。

なんとかの法則ではないが、不思議なもので、願いというのは忘れた頃にプレゼントとして枕元に置かれていることが多い。
何々だったらいいな、と軽く考えていたことで、しかもそれを考えたことすらも忘れていた頃に、ポンとやってくるのだ。
執着になる程願ってしまうものは、何か重たい澱のようなものも願いに一緒にへばりついてしまい、車輪がうまく回転しなくなって、結局は自分のところまでたどり着くのに非常に時間がかかってしまうものなのかもしれない。
「究極の理想はこうかもしれない、けれど、まあ、それが無ければ無いなりに楽しいから、それなりに今日を楽しもう」と思っておくと、案外、光の速さで物事が進むのである。

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