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私が私を取り戻すまでの6ヶ月

昨年末で所属事務所との契約を終了し、
どこの組織にも属さない状態になった私は
この半年、たくさんのことがあったようでもあり、
全く何もしていなかったようでもある時間を過ごしてきた。

人は社会と関わり、
大なり小なり何かの世界と交わりながら生きている。
家族という単位もあれば、会社という単位もある。
地域という枠組みから国という範囲もある。

そしてその関わりは、
その時の自分にべっとりと張り付いている。

そのへばり付いた何かを自覚できる場合もあれば、
そんなつもりじゃない、けれども実際はしっかり絡みついていることもある。

くっついてしまったそれが
良いとか悪いとかではない。
ただ、そういうものだという事実がある。
私自身も、長年の職業とそれに関連したセルフイメージ、
演じ続けて無意識にも求められる姿を振る舞えるようになった
奥深くまで浸透していたたくさんの何かがあった。

そしてそれを丁寧に一つ一つ、
見つけて、剥がして、脱ぎ捨てて行った。

拭いても拭いてもなかなか取れない汚れのように
それらは何度もピタッと私の顔に、肌に、頭に、戻ってこようとした。
また張り付いていると気がつくたびに、
その都度その事実を認め、けれども私は一旦全てを脱ぎたいのだよと
自分に言い続けた。

そして半年ほどが経ったある日、
ようやく私は、今ならば昔の自分に引き戻されずに
立っていられると思えた。

特別なきっかけがあったわけではないのだが、
すんなりと、真ん中の軸に戻ってきたような気がした。

風が吹いてきても、中心を知っているから
いつでも戻ることができる。
こうなって初めて、誰か他人に会っても
大丈夫かなと思えた。

この約半年、日本にいる間は特に
必要最低限の業務上の用事がある人たちにしか会ってこなかった私は、
先週あたりからようやく、
誰かがやっているイベントに顔を出せるようになったり
誰かの連絡に返信ができるようになったりした。

私のシンギングボウルの師匠が言っていた
「Mariは本当にあまりにもたくさんのものを抱えているね」
と言っていた意味が、今なら少しわかる。
抱えて、ブロックして、鎧を何重にも着ていた時と
今の私自身が違うことが実感できるようになった。

それは単純に軽やかになっただとか、気楽になっただとか
スッキリ心が晴れただとか、そんな説明のどれもが違うような
なんとも言えない、無の軸のような感じがする。
単純にニュートラルに戻ってきただけ、という感覚だ。

私はそんなに強くないから、
悪意の嵐が吹いてくればティッシュペーパーのごとく
ヒュンッと飛ばされてしまう。

昔はそれでボロボロになっていたり
予防的にグッと抵抗して構えていたりしたのだけれど
今なら飛ばされてもまた拾って静々と元の場所に戻せばいいだけ
と理解している。

メンタルが強くなったわけでも弱くなったわけでもなく
ただ真ん中、自分の中心点、ニュートラルポイントを
体で掴んだような気がするのだ。

私が私に戻ってくるまでの間、
たくさんの葛藤があった。
焦りもあった。
どこにも進めていないような気がして
これから先にどこにも行けなくなるんじゃないか
という気がして、
誰にも必要とされない自分なんじゃないかと思って
慌てて何か昔の自分の材料をこね回して、
行動してみようかという誘惑と焦りに何度も曝された。

けれどその度に、心の奥の声を聞いた。
声は「ノー。ステイ」と言っていた。

私は忠犬のごとく、
止まり、おすわりをし、じっと待った。

いつまでステイすればいいのか分からないから
不安が湧き起こったけれど、
それでも心の声に忠実にステイを続けた。

私が私に戻ってくるまでの半年間
私は何かをしたわけではない。

ただ、待った。
ひたすら、待った。
何を待っているのかも分からないまま
勇気を振り絞って、待った。

待つことは、とても難しい。

stop
breath
think
act

ピンチの時に命を守るために大切な4単語
止まれ。次に呼吸して、それから考えて、そして行動せよ。

止まれが7割
呼吸が2割
考えたのが0.7割と
行動の始まりが0.3割

呼吸までが終わったらあとは自動再生されたようなものだった。

止まっている間は瞑想もよくしていたが
それは何かのアイディアを閃かせるためでも、
自分の意識に集中するためでもなく、
ひたすらに執着を手放し、答えを求めず、
日に日に感情の波が凪になるようなものだった。

子供の頃に好きだった
一面の雪景色の夜に星の音が聞こえる
あの透明感。

月の綺麗な夜に穏やかな海面が広がる風のない日の
美しい一音だけがいつまでも伸びていくような
あの穏やかさ。

冷たい水に体を漬けると一気に
本当の深呼吸ができて楽になる
あの開放的安心感。

元々知っていたはずの、中心に繋がるヒントを
少しずつ手繰り戻している。

小さい頃には自然とそうやってリセットしたり
ゼロに戻したりしていたのだろうなと
今になってようやく理解した。

大人になるとたくさん学んでたくさん身につけられることがあるけれど
引き換えにたくさんの根源の大切なものを忘れて、
置き去りにしてしまうのかもしれない。

置いてきたなら、戻って、拾えばいいから
また何か昔落としてしまったものを見つけたら
ヒョイっと拾って、進んでみようと思う。

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