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掃除の仕組み作り

小さい頃、片付けが苦手だった。
そのまま「あなたは片付けが苦手ですよ」とうい意識が深く擦り込まれたまま大人になった。大学時代の部屋は荒れ放題で、ピアノの周囲とベッドの上だけは常に綺麗になっていたが、ピアノ科独特の手を異常に大切にする生活だったため、包丁で手を切るリスクと指先の火傷のリスクを考え料理は最低限しかしなかった。と言ってもお金もどんどんレッスン代や衣装代や楽譜代、教科書代に消えていくので、定番のご飯はもやしを茹でてそれにしゃぶしゃぶのタレなどをかけて肉を食べている気分だけは満喫するもので、あとは甘いお菓子を練習の合間につまむ程度だった。特にチョコがけのポッキー系は練習の合間に食べやすく、いまだに時々無性にあれが食べたくなる時がある。

大学時代の部屋作りは、母や叔母が最初から大いに干渉していた。カーテンから食器棚、謎に大きいテーブルから狭いところに無理やり押し込まれたタンス、お客さん用の布団(彼女たちが泊まりたいからなのだが)まで全て私の意向は無視し、どんどん買い与えてくださり、それらが部屋にぎゅうぎゅうに押し込まれており、明らかにキャパオーバーだった。カーテンも謎の花柄、食器も先に述べた通り料理なんてほぼしない生活のため今思えば不要なものばかり。巨大な寸胴のパスタ鍋まであった。あの部屋はむしろ彼女たちの部屋なのかと思うような状態であり、今思い出しても恐ろしい話である。

思えば、それらの物はどんどん捨てるなり売り飛ばすなりすればよかったのだが、当時は今のようにネットも便利ではなく、キーキュルキュルゴゴゴという音と共に電話回線でインターネットを接続するパソコンが最新であり、情報も手に入りづらかったし、今と同じように不用品を簡単に買い取ってもらえたりできる状態ではなかった気がする。

しかしある時、そんなほぼピアノ練習と数時間の睡眠だけのための部屋と化していた私の部屋に来た友達が言ってくれた一言で、私の収納への意識が一気に変わった。

友達曰く

「これって、お母さんが使いやすい収納方法になっているわけで、まりちゃんは暮らし辛くない?まりちゃんの脳の片付け方と全然違うから、混乱してるんだよ多分。」

衝撃だった。
それからよくよく考えてみれば、思い当たる節しかないのである。
母の思考回路と私の思考回路は全く違っていた。
母は、例えば電気コード類はどこで使うものも全てまとめて一つの場所に収納する。電気ポットのコードもシェーバーを充電するためのコードもミキサーのコードも全て、コード類としてまとめて一つのボックスに入れるのだ。
なのでいざとある家電を久しぶりに使おうと思った時は、まず家電を取り出し、そのあと電気コードのボックスの中からその家電用のコードを捜索するところから始まる。
当然のことながら、電気コードのボックスから大量のコード類が取り出され、「どれだったかしら」とどんどんコードで部屋が散らかっていく。コードを取り出したあとは、その家電を使い終わるまでボックスは出しっぱなし。一応、使い終えたらまたボックスの中にコードは収納するのだが。私にはこのやり方が全く合っていなかったようなのである。

母としてはしっかり片付けたと思っているらしいのだが、私にはどう考えても作業効率は悪く感じられた。そして物を探すというその無駄な時間が蓄積して、他の片付けや掃除がどんどん溜まっていく。母は常に物の捜索と片付けに追われてイライラしていた。当然の結末である。人間、誰しも平等に24時間しかないのだから。

私は、母が私に「片付けなさい」と教え込もうとしていた方法が私の思考回路に合っていないなんて、思いつきもしなかった。母は我が家の絶対君主だったため、「でも」と言おうものなら劣化の如く怒鳴られていたし時々平手も飛んできた。「生意気だ」「口ごたえするんじゃない」怒れる母は般若そのものであり、一人っ子の私は逃げ場もなく、ただ黙っているのが生き延びる得策だと考えるようになっていた。そして私にとって理解不能であり効率が非常に悪いように感じる母式の収納方法をマスターできないのなら、私はつまり片付けができない人なのだ、という謎の思い込みに何十年も囚われていたのだ。

しかし友達の何気ない一言で、ガラリと考えを変えることになったのである。
ここから少しずつ、私は私にとって最もストレスのない収納や片付けや掃除の方法を見つけたいと思うようになった。

収納方法を変え、掃除や片付けの本を読み漁り、結果、行き着いたのは
「物量が私に対して多すぎだった」
ということと
「ルーティンが好きなので、仕組み作りが肝心」
ということだった。

物量については、引き出し収納をいくら整えても片付かなかった私が、最後に気がついた結果である。引き出しの中に何がどれくらいどのように入っているか、常にパッとイメージできるようにしておけるくらいの物量に抑えることが、私にとっては重要だった。
プラケースや箱と、その中を仕切るための収納グッズをしっかり買い込んで、きっちり隙間なく詰め込んで目隠ししたらお部屋はスッキリしまーす、という昔流行っていたような気がする収納マスター的なパターンは、私には全く向いていなかったのである。

ルーティンが得意であることは大学で時々やってくる論文誌の送付手伝いや宛名シール貼りのような作業を助手室に篭ってみんなでやっていた時に気がついた。
明らかに、その作業をストレスなくできる人と、ストレスマックスで頑張っている人がいたのだ。私はストレスを全く感じず、むしろ単純作業をすればするほど心地よく、作業の導線が研ぎ澄まされて作業スピードが上がるにつれて快感を覚えていくようなタイプだった。
ちなみに、ピアノ科の子はルーティンが好きなタイプが多く、声楽科の子はルーティンにストレスを感じるタイプが多かったようにも思うのだが、それは私が居合わせたメンバーがたまたまそうだった、という話だけかもしれない。

さて片付けのためのルーティンであるが、ルーティンといっても長いものはだめ。
二つの要素を組み合わせるパターンをいくつか持っておくというのが、私にはちょうどよかった。
AをやったらそのあとはBもやるのがセット。
このパターンである。
例えば、1階の雨戸を開けたら外回りに散らばっている落ち葉の掃き掃除をする。
Aが雨戸、Bが掃き掃除である。

洗濯機を回す前に玄関の三和土を拭き掃除する。
Aが洗濯機を回す前、Bが三和土の水拭きである。

食器を洗ったら必ずシンクとその周りや排水溝も一気に掃除する。
Aが食器洗い、Bが排水溝掃除である。

特にここが汚れたら嫌だなと思う場所について、いくつかの単純なルーティンを作っておくのだ。
難しい組み合わせではなく、なるべく単純な組み合わせにしておくことも重要である。
お風呂に入ったら、排水溝の掃除と周囲の掃除を軽くしてから出る。
Aが入浴、Bが排水溝と周囲の掃除。
朝起きたら布団を畳む。
Aが起床、Bが布団の片付け。
これくらい、当たり前だろうと思えるレベルの単純な動作を、いくつかシーンごとに組み合わせて設定するのがポイントである。

最近の引越しでワンフロア完結型生活が終わり、家が二階建て構造になることによって生活導線が変化したため、新しいルーティンも加えることにした。
帰宅したら鍵を定位置に、カバンは二階のクローゼットに収納し、カバンの中から全部出してクローゼット内の定位置へ戻す。
少し複雑な組み合わせにはなったが、AをやったらBをするというやり方に慣れているので、ここまでは大丈夫だった。
Aが帰宅、Bが鍵とカバンとその中身を定位置に戻す、である。

さらに言えば、AとBを設定するときのコツがあり、Aには必ずやる行動を、Bにはちょっとわざわざやるような行動を持ってくる。
自分の生活の中で絶対に発生する出来事に、サボりがちになりそうな部分を組み合わせてしまうのだ。
この方法に慣れていくと、Aをした後にBをやらずにいるのはソワソワして気持ちが悪くなってくる。AとBのルーティン方式は組み合わせが肝心なので、やってみようと思った方は、まず自分が必ずやることAはどんな要素があるかから考えてみてほしい。

2024年、生活空間を変えることで何かを変えていきたいと感じているなら、これまでの方法や小さい頃から染みついたものを一度全て疑ってみることも重要かもしれない。
親子といえども脳の仕組みや思考回路が全く違うこともあるのだ。
大切なのは、本来の自分にピッタリと合う方法に出会うこと。
常識や習慣や思い込みにとらわれないように気をつけてはいるものの、まだまだ疑いの余地はあるのだと私は常に思っている。

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