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大晦日の買い物は安定のあの店へ

2023年最後の日、大晦日。
朝のうちに料理を粗方済ませて、小腹が空いたらそのまま食べられるものを冷蔵庫にストックし、軽く普段の掃除洗濯をしたら、年内最後の買い出しへ。
花びら餅が売られていたら買おうと思ったのだけれど、あれは年が明けないと販売されないものなのだろうか、どこの和菓子屋にも見当たらず。
ひとまず、今回は家族の趣向を考えずに自分が好きなものでまとめようと思い、鎌倉は鳩サブレーで有名な豊島屋さんへ行き、お正月限定のお菓子を調達することにした。豊島屋さんは大抵本店で買い物をするのだが今回も迷わず段葛に面した本店へ。日持ちのするお菓子のお正月バージョン「鎌倉の彩『正月』」を選んだ。開封するのは年が明けてからの楽しみにするので、素敵な中身の写真はまた後日。


豊島屋さんは包みもシンプルで好み

大晦日の豊島屋さんは鳩サブレーの辰年限定パッケージを買い求める人たち、鳩サブレー缶入りを複数買っていく人たちに混じって、スーパーの買い物袋を持ちながら地元の人たちがお正月用の限定生菓子や切山椒や限定羊羹類をまとめ買いする様子も見られ、お客さんは本店の外まではみ出すほどの長蛇の列ができていた。
本店はお菓子だけではなく、本店限定の鳩グッズもたくさん販売されており、それ目当ての人たちも多い様子。大晦日の夕方前でこの混雑。年始はもっともっと大賑わいになることだろう。


豊島屋本店を出た後は、混み合った小町通りを抜けて、鎌倉の香司鬼頭天薫堂さんへ。
雪ノ下に住んでいたころから自宅用も贈り物用もお香やお線香は大体この鬼頭天薫堂さんで購入している。普段使いから高級品まで揃い、香りも伝統的なものから香水のような洋風のものまで、多様なシーンに対応するお香が揃っているし、何よりもお店の雰囲気が私は好きだ。小町通りの八幡さんに近い辺りにある店舗は、賑やかな通りの喧騒とは一転し落ち着いた空間で、穏やかな気持ちでお香を選ぶことができる。

引っ越し前後は、古いものをしっかり洗い出して新しいものを清浄な気持ちで入れていきたいという思いを抱きながら選んだ「老松」を炊いていたのだけれど、今日は新年を少し華やかな香りで迎えたくなり、時期限定の「迎春香 白梅」を選んだ。


円錐形のコーン型のお香10個入り

そのまま鶴岡八幡宮にいつもの参拝をし、今年の感謝を述べる。
境内の参道沿いにはすでにたくさんの屋台が立ち並び、多くの人で賑わっている。毎年拡声器を使った人の列の整理が新年の朝から行われているのだが、流石にこの列に加わったことはなく、いつもサッと参拝できる隙を狙って伺っている。

日が傾き始めるとあっという間に暗くなるので、帰りは慌てて小走りで帰宅。
ウィリアム(犬16歳7ヶ月)をカバンに入れて背負い、小坪の港に降りる。
リゾートショップ根岸の素敵な人たちと話していたら近所の犬たちがワラワラと集まることになり、お犬様時間を満喫しながら、年末のご挨拶をしてウィリアムのお散歩へ。
気温12度。暑からず寒からず、年中これくらいの気温であったらいいのにと切に願うのだが、ずっとこうでも桜が咲かないし、たんぽぽもひまわりも見られず、サボテンも元気がないだろうし、何よりも他の季節があるからこそ大好きな寒さを隅々まで堪能しようという気になるのかもしれないので、それはそれで受け入れていこうとも思う。

散歩から帰り、ウィリアムも私も軽く晩御飯を済ませ、今年は残り5時間となった。
静かである。実に静かで心地よい。

幼少期、大晦日はバタバタと出かける準備をして父方の実家へ行くというミッションがあった。父も母も朝から忙しく、母はイライラし、義母に気を遣い、私もそれに巻き込まれ、あげく早く寝ろと言われ、あまり良い思い出がない。とにかく、ミスをしないように注意を払いながら息を潜めて過ごすのが私の幼少期のお正月の思い出だった。それでも子供のこと。何かしらのミス、というか親から見たら気に入らないことや失態を犯すことはしょっちゅうで、正月から叱られるというのは常であり、自分が大人になったら絶対にこんな正月にはしないぞと幼稚園の頃から心に決めていたのだ。

念願叶って、結婚以来、お正月は家族で静かに沈没することが出来ている。出歩かない。騒がない。家で静かに新年を迎え、神様とご先祖様に感謝をし、自分自身と向き合う。それが理想のお正月であり、それを叶えてくれている夫に感謝したい。

子供時代のお正月といえば、我が家はなぜかお正月飾りを31日のバタバタと出かける直前に飾り、父方の実家と母方の実家を巡るお正月ツアーを終えて帰ってきた時に取り外し(つまり全てタイミングを逸している)、鏡餅は包丁を十文字に入れて4つに切っていた。
つまり全部、やったらダメなことしかしていなかった。
今回自分でお正月の準備をしっかりしてみようと思い立った時に調べてみて発覚したのだが。恐ろしい。お札貼ればいいってもんじゃないし、物を供えればいいってもんでもなかろうに。もちろん実家の運が良いはずもなく。さもありなん。

運の良し悪しについての原因はそれだけではないだろうし、あまり気にしない方も多いかもしれないのだが、リアルな実例があるとどうにも気になってしまう。
そもそも、何事も順番やしきたりというのはそれなりの理由があってのことで、やはり大切なのではなかろうか。順番で言うならば、例えば「ドミソ」という音は3つの音から構成されるが、「ソミド」と鳴らす時と「ドミソ」と鳴らすときでは全然違う。「ソミド」で下降してきたら終結感があるし、「ドミソ」と上昇していったら続きが気になる開放感がある。同じ3つの音だが鳴らす順番を変えただけで大違いだし、まして3つの音を同時に鳴らしたら全く違うものにもなる。
日本の伝統的なしきたりなどはルールも細かかったり、地域によって違いもあったりと難しいこともあるのだが、「それは最低限ダメだよ」というところくらいは、なんとか自分なりに調べて押さえて行きたいものだと思う。

さてここ最近は、幼少期の「サンタさん来るかなあ」以上のレベルで「歳神様うちにも来てくれるかなあ」と楽しみに掃除をしたり準備をしたりしていた。
住む環境が変わると、こうも変わるものであろうか。不思議なことだが、自分が感じていることを素直に受け取っていきたい。

我が家にはもう何年もテレビがないので、今夜は某歌合戦も某笑ってはいけない何某も某年越し特番も某大賞の発表も縁がないのだが、皆様はいかがお過ごしであろうか。
皆様が2023年を穏やかに終え、新しい年を素晴らしい気持ちで迎えることができますように。

最後に
2023年、お仕事でお世話になった皆様。環境が変わったにも関わらずお声がけいただき、感謝の気持ちはここには書ききれません。本当にありがとうございました。
そして、しばらく潜伏期間があったにも関わらず、ずっと静かに見守ってくれていた仲良しのお友達の皆さん。本当にありがとうございます。じわじわ復活していくので、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さらに、肩書きが変わったにも関わらず、以前と変わらずここやインスタグラムを通じていつも良いねをポチッとしてくださったりメッセージをくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんの温かさを本当に強く感じます。遅々として進まないことも多いのですが、私たち家族はどうにかこうにか一歩ずつ進んでいる、はず、です。今後も楽しい報告ができるように精進いたします。


来年は三宝をちゃんと選んで買おうかな。

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