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自分だけの美しいものを求めて。-ヨルシカ『盗作』を聞いて-


最近、ヨルシカの新しいアルバム『盗作』を聞いている。最初はピンとこないかもなんて思ってたけど、スルメ曲が多くて今ではずっと聞いてる。

好きな曲は色々あるけど、表題曲『盗作』を聞いたとき、すごく感じることがあったので、今日はその曲を聞いて考えたことを書いていきたい。

嗚呼、まだ足りない。もっと書きたい。こんな詩じゃ満たされない。
まだ知らない愛を書きたい。この心を満たすくらい美しいものを知りたい。

『盗作』のサビの歌詞だ。このアルバムは、「音楽の盗作をする男」というコンセプトがあって、この曲はその男の思いを歌った曲になっている。

この歌詞を初めて聞いたとき、私はnoteを書いている自分に重ねてしまった。

私がnoteを始めたきっかけは、あるクリエイターさんのnoteを読んだことだった。

何度も読み返したくなるような、美しい言葉たち。自分の思いを表現してくれているような胸に刺さる文章や、読んでほっとするような心温まるエピソード。

私もこんな素敵な文章が書けたらどんなに楽しいだろう、と思った。だから私の書く文章は、自然とその人の文章に近しいものになっていった。

ほかにも好きな作家さんの物語や、いつも読んでいる他のnoteのクリエイターさんの文章にも、無意識のうちに、時には意識的に寄せていると気づくことがあった。

これってある意味、盗作なんじゃないか。そう思うことがあったし、実際この曲を聞いてそう感じた。

でも、好きだから真似してしまう。自分が一番心地いいと感じる文章だから、思わず寄せてしまう。それって、本当に悪いだけのことだろうか。

憧れの文章に近づきたくて、自分の理想の文章を書きたくて、追い求めて、追い求めて、結果的に模倣してしまった。

それって、文章への、音楽への、尽きることのない欲望や、上手くなりたいという果てしない願いがあるからこそ、起きることなのではないか。

その人には、それだけ言葉や音への熱意がある。思いがある。それって、ものづくりをする人にとって、必要なことなんじゃないだろうか。

目標があって、少しでも近づきたくて、沢山調べて、真似するところから、ものづくりは始まる。

そのうちにだんだん自分らしさとか、自分だけの言葉や音が生まれてくる。だから模倣は、自分だけのものづくりのスタートなんだと私は思う。

それに地球に何千年、何万年もの歴史がある以上、その中の一番最初になることって、きっとすごく難しい。自分ではオリジナルだと思っていても、どこかにはそのもととなるものがあって、誰かの意思や思いが入り込んでいるはずだ。

だから、私はこの『盗作』に登場する男のことを一概に悪者だとは思えなくなった。

だって、その男は、理想を追い求めるたくさんのクリエイターなのかもしれないし、歌を作ったヨルシカ自身なのかもしれないし、いつかの私かもしれない。

まだ足りない。まだ足りない。まだ足りない。まだ足りない。まだ足りない。僕は足りない。ずっと足りないものが分からない。
まだ足りない。もっと知りたい。この身体を溶かすくらい美しい夜を知りたい。

私は今日も、こんな思いを抱えてnoteを書いている。いつか、私だけの美しい文章に出会えることを信じて。