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仕事もしないで漫画読む|2021年9月15日・16日の日記

仕事もしないで漫画読む ハイ、ハイ、ハイハイハイ




9月1日から毎日更新をめざしてきた日記、ついに記録がとぎれた。わはは! まったく気にしていない。

彼岸花、毎年気がつくと街路樹のところににゅっと生えているので、一夜にして茎を伸ばし花を咲かせているのかと錯覚する。花の造形めちゃくちゃかっこいい。大量にあるとゾワッとする気持ちはわかるが(赤いから)、不吉な印象を抱いたことはない。



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9月15日 水曜日

朝起きて前日分の日記(↓)を書き、始業時間前になっても熱が37.5度のままだったので仕事を休んだ。

ここ1か月でめちゃくちゃ休んでいる。今年に入ってからこれまでまったく有休をとっていなかったのに。いろいろと差配する立場なので自分がいないといけないような気がしていたけど、不可抗力で休んでみるとぜんぜんそんなことはなくて、もちろんほかのひとに負担をかけてはいるが仕事はなんとか回っている。そんなもんなんだよな。社長が「あなたの稼働力が貴重なのではなく、存在自体が貴重なのです」とメールしてきて、こそばゆいがそういうことをまっすぐ伝えられるのはすなおにすごいと思う。

まあわたしは仕事の内容も就業条件も気楽なものだからいいけど、ほんとうに休めない状況のひと、休めない性格のひとにはたいへんな世のなかだ。みんな自分をだいじにしなね。


頭痛はするものの体のつらさはあまりなかったので、起きているあいだはずっと『ゴールデンカムイ』を読んでいた。おもしろい。途中ねむくなったので17時ごろから21時すぎまで寝て、目がさめてからはねむれずに5時までつづきを読む。おもしろすぎる。

14日のうちに22話まで、きょうで147話(15巻の途中)まで読んだ。野田サトル、「絵が」とか「話が」とかじゃなく「漫画が」うますぎる。そうたいした量を読んだことがあるわけでもないので語ることばをもたないが、コマ割りひとつとっても天才的じゃないか? こんなにいろんな要素をつめこんでも散漫にならない構成力もすごい。

オタクの友だちにすすめられて読みはじめてから7月末までの4か月半くらいのあいだに228話(23巻の途中)まで読んで、それから無料公開を機に最初から読みかえそうと1か月ちょい置いていたわけだけど、自分でもおどろくほど内容を忘れていた。もちろんキーになる部分はだいたい覚えていたけど、登場人物の名前がやはりあいまいで、とくに月島ツキシマ軍曹についてはほぼ認識していなかった。けっこう出てきているのにね……。二階堂ニカイドウについても初出の記憶がほとんどなくて、なぜか杉元スギモトに執着していて、イマジナリーフレンド?に話しかけているやべえやつだと思っていたので、理由がわかってよかった。

あと夏太郎カンタロウ亀蔵カメゾウね! 初読のときは完全に「誰???(顔も知らんし状況もわからん)」と思ったままスルーしていたので、服にめっちゃ「日泥ヒドロ」って書いてあるじゃん!!!と気づいておどろいた。アハ体験。

各陣営(もとは三つ巴ととらえていた)のメンバーが展開によって一緒に行動したり二手にわかれたりするのもかなりの混乱のもとだった。けっして描きかたが悪いとかではなく、漫画を読みなれているひとなら大丈夫なのだと思うのだけど……。それは単にことを複雑にしているわけではなく、キャラクター間の関係性がよくみえたり話の展開の柔軟性につながったりしているように思うので、必要なことなのだろう。

あいかわらずどのキャラクターがとくに好きとかはないけど、みんな魅力的ですごいなあ。こりゃ人気出るわけだわ。杉元とアシㇼパさんみたいな年の差コンビの「よさ」もようやくわかってきた(「みたいな」と書いたがわたしはほかに例を知らない)。アシㇼパさんがハイティーンだったり、しゃべりかたがちがったりするだけでこの作品はがらっと色を変えてしまうような気がする(そういう受け取りかたを望むと望まざるとにかかわらず)ので、絶妙なバランス感覚だなと思う。

まとめて読むと、牛山ウシヤマのおでこのはんぺんがどんどん立体的になってきていて笑ってしまう。あれはなんなんだ。



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9月16日 木曜日

朝5時ごろの時点で熱は36度台までさがっていて、始業前にはすっかり平熱に戻った。丸2日かかるとはね。朝は接種部位にまだ鈍い痛みがあった(いまは押すとちょっと痛いくらい)。

平熱に戻ったからには仕事をしなければならない。気持ちのよい秋晴れで、週末からいままでにたまった家事などを片づけながら仕事もすすめる。あまり集中できなかった。あしたはがんばる。




旅のラジオ、先週分をまだ聞けていなかったので追っかける。

ゲスト武田秀太郎さん! 日本人で唯一のマルタ騎士団員というこの方、4月のイベント「超旅会談」のときにちらっとお話に出てきていたけど、冒頭の経歴紹介ですごすぎて笑ってしまった(以下はAmazonの著者ページより。個人HPもある)。

1989年三重県生まれ。京都大学大学院総合生存学館・特任助教。京都大学工学部卒業、ハーバード大学大学院修士課程修了、京都大学エネルギー科学研究科博士後期課程短縮修了。博士(エネルギー科学)。京都大学在学中、東日本大震災に際し休学し陸上自衛隊技能公募予備自衛官(語学)として任官、復学後も青年海外協力隊員としてバングラデシュ赴任。日本学術振興会特別研究員(DC1)、笹川平和財団アドバイザーを経て現職。専門はエネルギー政策、発展途上国援助政策、開発哲学(ハイデガー技術論、西洋騎士道)。英国王立技芸協会フェロー、王立歴史学会正会員。

Satoruさんの経歴も(わたしがまだよく知らないだけかもしれないが)まあ謎だけど、こんなひととつながっている人脈っていったいどうなっているんだ……?

ラジオの内容はこれまででも有数のおもしろさだった。「騎士団業界」についてはまったく知らなかったのであたらしく知ることばかり。ジョージアの騎士団には課金すれば入れるらしいです(基本的に騎士団は招待制)。

この内容で再生数が伸びていないの絶対におかしい。というか旅のラジオはもっと聞かれるべきなのよ!!! とりあえず今回のはもう一回聞こう。後半もたのしみ!




さいきん読んだ/読んでいる本の話をした。佐藤究『テスカトリポカ』読みたい! 助けて~~~

吉川浩満『理不尽な進化』のことを話した。とてもおもしろく読んでいるが自分で概要を説明するのはむずかしく、やはり本をおすすめできるひとはすごいなあと認識をあらたにする。ダーウィンの話をするのに「自然淘汰説」のことばかりにふれて「生命の樹」の仮説に言及しなかったのは片手落ちだったなとか、絶滅進化をそれぞれどうとらえて一冊にまとめあげているかがおもしろいところなのにとか、例として出した内容は正しかったのか、とか。自省するときりがない。


きょうは「終章 理不尽にたいする態度」をすこし読んだ。第三章で取りあげられた論争できっちり退けられたと思われたグールドの主張をなおもくわしくみていく。グールドがなぜみずからの考えを曲げなかったのか、そこを掘りさげていくことが「私たち自身を知ることでもある」のだという。構成めちゃくちゃおもしろい。

学者たちが侃々諤々やりあっているさまがどうにもおもしろくて、これは以前にサイモン・シン『フェルマーの最終定理』を読んだときと同種の興味だということに気づいた。わたしはこれまで「歴史」をほとんど通ってこなかったが、「三国志」やヨーロッパの王族史のような国単位の存亡の話ではなく、なにか科学的な発見(と確立、受容)のような話だったら興味をもって読めるかもしれない。自分にもわかるくらいやさしく書かれたものを探す必要があるが……




ところでさきほど「片手落ち」と書いたが、これはいまでは推奨されない表現であるという向きもある。「盲目的」も同じだ。「唖のように黙る」のような直喩がだんだんと使われなくなり、比喩もタブー視されていく。

それによって傷つくひとがいて(すくなくともそう考えることができて)、それが伝わってくる世界だから、そういう方向に進んでいくのはある意味で当然のことだと思う。それに異論はない。

一方で、おなじように失われていくであろうものに、罵倒表現がある。これには一抹のさみしさをおぼえる。たしか旅のラジオでSatoruさんが、言語が罵倒語を豊富に擁することについて言及していたようなおぼえがある。たしかにそういう独特の熱を内包した表現にはえもいわれぬ魅力がある。皮肉や冷笑をふくむとしても、本質的に相手に「ぶつける」ためのことばは外に向いていて、ある種のコミュニケーションを生む。

くわしくないが、ラップやHIPHOPの世界がそれらを守っていってくれるだろうか。表現の自由はどこまで生き残り、どこまで許されなくなるのだろうか。


ところで(2)さきほど「侃々諤々かんかんがくがく」と書いたが、これは日本語の “誤用” 指摘マンたちが好きな用語で、よく聞く「喧々けんけん諤々」というのは「侃々諤々」と「喧々囂々ごうごう」が混ざってしまった語なんですよねえ~~~という顔で使っているものだ。が、当の「喧々諤々」はとっくに辞書に載っていたらしい。

〘名〙 (形動ナリ・タリ) さまざまな意見が出て、口やかましいこと。また、そのさま。「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」と「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」とが混同して用いられた語。
(精選版 日本国語大辞典)

なにを “誤用” とするかはいろいろな考えかたがありえるだろうが、日本国語大辞典さまに載っているものを “誤用” と言いきることはできない(わたしには)。知らなかった~。調べてよかった。調べるのだいじ。


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1日書かなかったら書きたいことたくさんあった! 毎日書くことに体が慣れてきていたのかもしれない。きょうはあと家族のことも書きたかったが、遅いのでまたこんど思い出したときにする。


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