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<陸自幹部の米陸軍留学体験記> その5

2年以上ぶりに続きの記事をアップできました・・・

今回の記事では、米陸軍のCaptain Career Course(大尉が受講する教育課程)がどのようなものであるかをご紹介します。

将来、米陸軍のCaptain Career Courseに留学したいと考えている方、留学が決まっている方の参考になれば幸いです。

ちなみに、前回の記事は↓↓↓↓

Captain Career Courseが始まるまでのPREP教育についての記事を記載しました。

記憶が薄れていると思いますので、興味があればもう一度「その1」から読んでいただけると嬉しいです。

*Captain Career Course始まる

約2週間のPREP期間を経て、やっとCaptain Career Courseが始まりました笑

PREP教育は、米軍の退役大佐が教官となって、Captain Career Course開始前の留学生のみの準備教育でした。

ここからは、米陸軍の学生との教育が始まります。

ドキドキです。

英語能力や米陸軍の背景知識の乏しさもあり、授業についていけるか不安でした。

そして、授業開始。

1クラス20名の小規模のクラスで、それが2クラスあり、全体で40名の学生がいました。

それに留学生6名が2クラスに分けられての教育で、こぢんまりとしたクラスです。

各クラスは、パーティションで区切られただけで、教育内容は同じです。

それぞれのクラスには、大尉(陸自でいう1等陸尉)の教官がつきます。

ここも米陸軍の面白いところで、Captain Career Courseは大尉を教育する教育ですが、教官も同じ階級なんです。

陸自だと、幹部上級課程(AOC)の課程主任はCGS卒の3等陸佐クラスがつき、その上に教育を統括する2佐の幹部が付きます。

米陸軍のCaptain Career Courseは、基本的にこの大尉の教官が教育し、技術的な専門性の高い内容の教育は、退役軍人や民間人のスペシャリストが教育を主に行います。

退役軍人や民間人のスペシャリストが教育するんですね。

こういう点は、さすが米軍という感じでした。

僕が留学から帰国した際に陸幕に提言したんですが、未だに改善されていません。

人材不足がいつまで経っても解消されない所以です。

ここではあまり語りませんが・・・

ちなみに、授業は議論中心の教育で、学生同士の議論が終わった後に、教官が総括するような感じです。

授業中は、↓こんなにラフです笑

クラスメートの中には、イラクやアフガニスタンでの戦争を経験した人もいました。

実際に、銃弾を受けて重症になったという人もいまして、銃弾を受けた腹部を見せていただきましたが、何とも言えない痛々しい傷痕でした。

実戦経験のない僕たちからしても、こういう実戦を経験した人から戦場の経験を聞けたのは、本当に貴重な経験でした。

Sponsor制度

おそらくどこの教育課程もそうだと思いますが、留学生には「スポンサー」がつきます。

クラスメートで、教育期間、留学生をサポートしてくれる人たちです。

防衛大学校で言う「対番(タイバン)」のような役割を担う人です。

英語での課題の指示事項がわからなかったときなどは、スポンサーに助けてもらったり、一緒に飲みに行ったりと教育機関は本当にお世話になりました。

僕のスポンサーは、アメリカのシカゴ出身で、奥様がノルウェー人。
高身長で超美人でした。

ドイツで勤務した時に出会ったんだとか。

未だに手紙のやり取りは続いています。

いつかは、日本に招いてこの時のお礼をしたいと思っています。

朝礼

1週間に一回のみ朝礼がありました。

開始時間は、05:00。早いんです。

冬の時期は、外は真っ暗だし、寒いし・・・

クラス毎に報告して、上級曹長が少し話して終了。
10分くらいで終わってしまいます。

朝の05:00の朝礼のため、キャンプ外からわざわざ車で移動して参加するんです。

中には30分ほどかけて車通勤している人もいます。

そして、朝礼が終わったら授業まで時間がかなりあるため、みんなまた家に戻ります。

大抵の軍人は、そのあとトレーニングをするんですが、たった10分朝礼だけのために30分以上も車を飛ばして参加するなんて非効率ですよねぇ〜

出欠も取らない。

途中、「こんなに朝早くやる必要ある?」「これ参加する意味ある??」

と思ってしまって、冬の時期はサボりたくなったことが多々あったんです。

でも、とある事情があって必ず行かなければならなかったんです。

Campがバカでかいので、朝礼場まで結構遠いんです。
だから、Camp内のホテルに住んでいる留学生は、車で朝礼場まで行きます。留学生で車を持っていたのは僕だけだったので、必然的に留学生の「足」を提供することになっていました。

彼らが買い物に行くときや出かけるときは、いつも車を出していましたね。

自衛隊では、朝礼をやってそのまま課業開始なので、朝礼は自衛隊方式の方が良かったかな。

でも、1週間に1回だけなので耐えることができました。

朝礼後のトレーニング

朝礼後、課業開始までに時間があるので、たまにクラスメートが集まってスポーツをすることもありました。

  • フリスビー

  • ゴルフ

  • 乗馬

  • サッカーなど

朝礼後に、ゴルフや乗馬って如何にも米国らしいですよね。

ハンガリーからの留学生

こういう活動をするために、朝礼が早いことはいいんですけど・・・

自衛隊では出来ない経験をさせていただきました。

体力検定

教育期間の最後の方で1回のみありました。

課目は、

  • 腕立て伏せ

  • 腹筋

  • 2マイル走

の3種目だけ。

自衛隊の体力検定と比べて課目数が少なくシンプルです。

これには、命かけてました!

クラスでトップを狙うことを目標に、毎日ハードなトレーニングと食事には気をつけていました。

04:00 起床
   ランニングでジムへ
04:30 トレーニングジムで筋トレ
05:30 トレーニング終了
   ランニングで宿舎へ
12:00-12:30 筋トレ
15:00 20km走
20:00 トレーニングジムで筋トレ

「何しに留学したの?」って感じで、トレーニングばかりやっていました。

体力検定でクラストップを取るために。

何かでトップを取って日本に帰国したかったんです。

そして、体力検定当日。

体力検定には、回数やタイムで点数が決まっていて、各種目満点が100点でした。この点は、自衛隊と同じですね。

目指していたのは、全種目100点の300点満点。

結果は、

  • 腕立て伏せ→ 100回

  • 腹筋→ 100回

  • 2マイル走 → クラストップ(タイムは忘れました)

ということで、目標の300点満点を達成できました。

なんか表彰でもあるのかなと思っていましたが、特にありませんでした泣

でも、クラスで何かでトップになるという目標が達成できたので良かった!

総合訓練

戦術の机上訓練になります。

陸上自衛隊でいう「兵棋演習」

教育期間で、唯一の1泊2日の訓練です。
と言っても、23時には一旦状況を中断して、次の日の朝から再開。

ちゃんと睡眠時間があるんです。

ここはさすが米軍です。
休息の重要性を良く理解できていて教育にも反映されています。

自衛隊のように、寝ないで作戦をすることはありません。

>陸自のAOCの机上訓練は、2日くらい寝ないでやるのが当たり前でした。

会議、会議、また会議。

大量のプレゼン資料をパワポで作って、印刷して、ホチキスで留めて。

会議時間に間に合わなければ、教官に怒られ・・・

資料に誤字脱字があれば、また怒られる。

疲労と睡眠不足で仲間がどんどん脱落し、生き残った学生の負担が増大し…

阿鼻叫喚な状況になった訓練でした。

米陸軍の机上演習では、詳しい内容は忘れてしまいましたが、一番初めにやったアゼルバイジャンでの戦術想定を発展させたものでした。

訓練では、途中、米陸軍の学生と留学生は完全に分けられていました。
恐らく、米軍の秘密事項を扱うため。

米陸軍の作戦は、米陸軍の学生のみで行い、留学生たちは米軍の同盟国として参加しました。

米陸軍の連絡将校から数回電話がかかってきて、同盟国の状況を応答するだけ。特にシナリオが決まっているわけでもなく。

陸自のAOCの兵棋訓練に比べれば、楽な訓練でした。

ワシントンD.C.研修

教育期間、米陸軍への留学生を対象に1週間くらいでワシントンD.C.研修がありました。

またこれが最高なんです♪

年に何回か行われるんですが、同じくらいの時期に留学している軍人が集います。

陸自からの留学生も3名いまして、帰国したらCGS同期です。

そのうちの一人は、幹部の期別同期、POE同期、空挺団で一緒に勤務。

ホワイトハウス、ペンタゴン、国立ホロコースト記念博物館、アーリントン墓地、スミソニアン博物館、海兵隊記念館などを研修しました。


*陸上自衛隊の教育等との違い

授業時間

>>>>> 米陸軍のCaptain Career Courseの教育

陸上自衛隊のAOCを経験していた僕からすると、ありえないくらい楽な教育期間でした。

授業時間は、09:00から14:00が基本!

基本的には、こんな感じの生活です。

08:00 起床
09:00 課業開始
11:30 昼休み
12:30 午後の授業開始
14:00 課業終了
          自由時間

天国です!

課題なんてほとんどありません。

陸上自衛隊では、考えられないほど余裕のある教育です。

ですから、朝も、夕方も、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

>>>>> 陸上自衛隊の幹部上級課程(AOC)の教育

一言で言うと、地獄です。

戦術の想定教育の時期は、特にヤバいです。

一般的には、こんな感じの生活です。

06:00 起床
07:30 小テスト
08:00 課業開始
12:00 昼休み
13:00 午後の授業開始
17:00 課業終了
18:30 課題、テスト勉強
24:00 就寝

なんで同じ階級が受ける教育にこんなにも違うのかと思うくらい違いがありました。

戦術教育

米陸軍での戦術教育で、感銘を受けたのは、戦術想定の戦場が、米国の国外であることです。

陸自では、国内の想定しかやってこなかったので、他国の国土を想定しての戦術教育は新鮮でした。

陸上自衛隊では、基本的に国土防衛線を主体としているので、想定される戦場は国内のみに限定されます。

米国軍は基本的に外西軍のため、国内での戦闘と言うのは基本的に想定されていません。

このため、米国で戦術教育を受けた際には、作戦の戦場は、アゼルバイジャンという国における戦場でした。

日本では、あまり馴染みのない国ですよね。

日本国内の想定なら「あー、あそこね!」とすぐに頭に入ってきますが、外国の馴染みのない国だと、英語表記の地名からよく分からず、想定の内容を理解するのに一苦労でした。

同時期に留学していた同期に聞くと、同じ想定をやったようなので、米陸軍のCaptain Career Courseでは、職種が異なっても同じ想定を使用しているようです。

もう一つ、おっと思ったのが、

攻撃、防御と言う一般的な戦術だけでなく、「戦後復旧」も考慮に入れた戦術想定だったということです。

陸上自衛隊の戦術想定では、純粋な攻撃、防御の戦術行動だけで、基本的には住民の保護などは想定されていません。(最近は、若干考慮するようになっているようですが)

この当時、米軍はイラク戦争後のイラク国内の治安維持に苦労していた時期で、COIN(対反乱作戦)理論を導入し始めた時期だったこともあります。

戦争を通じて得た教訓を理論化して「Field Manual」に落とし込み、教育や作戦にすぐに反映するところは流石だなと感じました。

陸上自衛隊の指揮幕僚課程においても、このような戦後復旧に関する教育は、僕がCGS学生の頃はほとんど行われる事はありませんでした。

この点に関しては、米軍の戦術を学んで非常に勉強になった点でした。

このため、僕はCGS時代の防衛論文に、この民事作戦についての論文を執筆しました。

また、日米共同指揮所訓練(YS)においても、陸自側の「民事調整所」に配属され、米軍のG9をカウンターパーととして参加させていただいたこともありました。

陸上自衛隊では、ほとんど教育されることなく、というかそこまでの計画はなく、教育も受けた事がなかったので、この時のYSは非常に勉強になった記憶があります。

戦史教育(南北戦争振り返り)

戦史教育では、南北戦争について学びました。

教育の手順としては、以下のように行いました。

① お題に基づいて、南北戦争に関する論文を作成します。

② 各戦場での戦闘や指揮官のリーダーシップについて教場内でプレゼンを行います。

③ 戦場の様相などについてフィールド(現地)でプレゼンを行います。

戦術の話も若干はありましたが、基本的にこの教育の目的は、戦史とリーダーシップを学ぶ教育でした。

陸上自衛隊の幹部教育でいうと、

  • 防衛大学校の硫黄島研修

  • 幹部候補生学校の沖縄研修(昔の)

  • 幹部学校の硫黄島研修

のような感じです。

これも、僕にとっては、言語の壁がありかなり苦労しました。

Camp内の図書館で書籍を借りてきて、南北戦争について一から勉強するんです。

論文を英語で作成するのも大変ですが、昔の兵器の名前など、よく分からない単語がたくさん出てきたり、どこに自分が調べたい箇所が記載されているのか探すのにも時間がかかり、課題が遅々として進まず本当に大変でした。

そして、そのよく分からない内容のものを英語でプレゼンするんです。

米軍にとっては南北戦争は自分たちの国内での戦争なので、ほとんど頭に入っていたと思いますが、僕にとっては非常に苦痛を伴う作業でした。

当日は、バス2台を借りてクラスを2つのグループに分けて実際に南北戦争が行われた戦場へ向かいました。私服での教育です。

僕にとっては、みんなの前でやらなければならないプレゼンテーションのことで頭がいっぱいでしたが、それも何とか無事に乗り越えて、南北戦争について、詳細に学ぶことができました。

まずは、学生のプレゼンテーションを行なって、

その後にガイドの人の話を聞く機会もありました。

あぁ、この地で南北戦争が行われたんだぁと感銘を受けました。

非常に新鮮な教育でした。

課題

>>>>> 米陸軍のCaptain Career Courseの教育

陸上自衛隊の、幹部上級課程(AOC)は、ありえないくらい毎日大量の課題が出されますが、米陸軍では苦痛を感じるほどの課題が出される事はほとんどありません。

半年間の教育の中で、個人的に負担がかかった課題は、3つ程度でした。

これは論文作成とプレゼンの課題です。

課題の多くは、論文とプレゼンの組み合わせです。
論文といっても、CGSやTACの試験対策のようなものではなく、陸自のCGSやTACの教育で行うような研究系の論文です。

まぁ、僕が苦労したのは英語能力のためで、多分米軍の学生からすれば大した事ないんだと思います。

>>>>> 陸上自衛隊の幹部上級課程(AOC)の教育

ちなみに、陸上自衛隊のAOCではありえないくらい毎日課題が出題されます。

戦術教育の間、僕はチャッチャと課題を終わらせて0時前には課題を終了させていましたが、(ちゃちゃっとやってもそれくらいかかるんです)学生の中には課題が終わらず、教場で課題を一晩中やっていた学生も少なからずいました。

朝に教場に行くと、疲弊しきって机にうつ伏せて寝ている同期がいつもいるんです。

一晩中、教場にいたんですね。

こうなったら最悪です・・・

睡眠が十分取れていないので、授業中もボーッとして頭に授業の内容が入らない。

だから、授業が終わって課題をやろうとしても、寝不足と授業の内容が頭に入っていないので、余計に時間がかかる。

さらに睡眠時間が削られる。

さらに悪いことに、指揮幕僚課程や技術高級幹部課程 CGSやTACの論文対策として、毎朝、小論文テストが行われます。

ですから、日々の課題に加えて、小論文テストのために教範の暗記も求められます。

一度失敗したらまた地獄・・・

次の日に、再テストが行われます。

早々に合格しなければ、どんどんやるべきことが増えていくんです。

手一杯になったら、当然処理しきれなくなります。

テストの失敗が足枷になって、負のスパイラルに陥り、自分の時間がどんどん奪われていくことになります。

どうしようもなくなったら、休みの土曜日の時間を使って再テストが行われます。

もう二度とやりたくないと思うほど地獄の教育期間でした。

それが陸上自衛隊の幹部上級課程(AOC)。

こういう生活が約半年続くんです。

*課業外の過ごし方

筋トレ三昧の日々

米軍は朝が早いんです。

トレーニングジムは朝の4時にオープンし、夜は23時まで。

そして、自衛隊にはない、かなり立派な設備が整っています。

朝4時にジムに行っても、何人かトレーニングをしていました。

こんな素晴らしい施設を使わない手はないので、留学中はトレーニングに明け暮れました。

毎朝4時に起きてトレーニングジムに行って早朝トレーニング。

そして、授業が終わったら20km走って、

夜は8時くらいにまたトレーニングジムに通う日々を送っていました。

かなり自由に自分の時間を過ごすことができた。

毎週末のイベント

毎週末、クラスメートの誰かしらがパーティなどを計画し、金曜日になるとメールで案内が来ていました。

ほぼ毎週末です!

毎週行くことはありませんでしたが、暇なときには参加させてもらっていました。

パーティーと言っても、大概はBBQとビールかな。

留学生同士も仲が良かったので、結構な頻度で集まっていました。

クウェートからの留学生が外に家を借りていたので、時々パーティをしていましたね。

留学生同士が集まって、各国料理を振る舞うんです。

この時は、台湾とブルガリアの料理を作っていたところかな。

そして、こっちは、料理はまだかと・・・

最後は、こんな感じで終わります笑

ホストファミリー

留学生をサポートしてくれるホストファミリーにもお世話になりました。

3回くらいお招きいただいたかな・・・

課程の異なる留学生も一緒に参加して、優しいホストファミリーと楽しいひと時を過ごしました。

中には、ホストファミリーをしている退役軍人もいて、大東亜戦争についてお話を聞く機会もありました。

大学生の時など、海外に長期留学をしたこともなく、ホストファミリーと過ごすっていいなぁと憧れていましたが、このような経験をすることができ、温かい人たちと触れ合うことができて本当に幸せでした。

陸上自衛隊の幹部学校にもホストファミリー制度があって、海外からの留学生と年に2回ほど交流がありました。

僕もCGS学生の頃は、留学生の対番をしていたため一緒に参加させていただきました。

こういう制度は、留学生からすると本当にありがたいんです。

アトランタBravesの試合観戦

クラスメイトで野球観戦に行こうということになり、車で約2時間半のアトランタBravesスタジアムにみんなで出かけました。

僕のスポンサーがいいオープンカーに乗っていて、天気も良くて最高のドライブでした。

試合開始までに2時間くらい時間があったので、近くの公園でビールを飲んだり、コーンホールで遊んだりして時間を潰しました。

『コーンホール』ってご存知でしょうか?

https://en.wikipedia.org/wiki/Cornhole

おじゃみみたいなものを投げて穴に入れる単純なゲームなんですが、結構ハマるんです。

野外でビールを飲んで過ごす時は、誰かしらが必ず持ってきてました。

そして、試合会場へ。

https://mlbtours.jp/?venue_guide=112198089

初、米国の球場でした。

https://mlbtours.jp/?venue_guide=112198089

そして、試合開始。

みんな米国各地から来ているので、それぞれのファン球団はあるんでしょうが、アトランタに来たのでやはり応援するのはアトランタBraves。

試合結果は忘れましたが、かなり盛り上がりましたね。


やっぱりこれもないとね。

試合が終わった後のスタジアムが、ピーナッツの殻やドリンクのカップなどが散乱し、ゴミだらけになっていたことには驚きました。

というか、ピーナッツの殻の量には驚きましたね。
地面が殻で埋め尽くされていたんです。

ピーナッツ、食べ過ぎじゃね??

米国の野球スタジアムは初めてだったので、良くも悪くも貴重な経験をさせていただきました。

LAKE SPRINGSへ

クラスのアクティビティーの中で1番楽しかったのは、陸軍キャンプの近くにある湖に行ったとき。

スプリングレイクと呼ばれる湖で保養施設です。

釣り、ハイキング、ピクニック、スイミングなどが楽しめます。

ほぼクラスの全員が参加し、中にはボートを持ってきた学生もいました。

日本ではなかなかできませんが、大きなボートと大きな浮き輪を持ってきて、その際をボートで牽引すると言う、マリンスポーツでよくあるようなアクティビティー。

また、SUP(サップ)と呼ばれる、水上を移動するボードを持ってきた学生もいました。

今では、日本でも、メジャーなマリンスポーツになりましたが、当時はまだ日本ではあまり知られていないスポーツでした。

中には、ウクレレを演奏する学生もいました。

上の写真の右の女性は、ハワイ出身です。
沖縄生まれで日本語も少し話せます。

そして、やっぱりこれは欠かせない!

コーンホール!

そして、ビール。

やっぱ、アメリカいいよねー

あー、これがアメリカスタイルの休日の過ごし方なんだと思うっち娘に羨ましく思った記憶がある。どっち日本ではなかなかこういう経験ができない。


NY個人旅行

教育期間、留学生が受講できない教育があるんです。なので、その期間にクラスメートの台湾からの留学生とNYに旅行しました。

その留学生は奥様も帯同していたため、3人で旅行。

宿泊場所は、クラスメートの妹夫婦がセントラルパークの近くに住んでいて、丁度家を空けてるから、その家を使っていいと・・・

マジで寛大な人!

会ったこともない外国人を自分の外出中に家に宿泊させるって凄いですよね。

猫が1匹いて、餌をやってくれればそれでいい。鍵はポストに入っているからとのこと。

流石に悪いと思ったので、旅行の最後に、お礼として台湾からの留学生とスタバのプリペイドカードを100ドル分ずつ買って机の上に置いて帰ってきました。

ということで、陸上自衛隊にいながら、本当に数々の貴重で楽しい経験をさせて戴きました。

最高でしょ??

あなたも、是非、米軍留学を目指してみてください。

異なる文化に触れることで、きっと新しい視点や考え方などを得ることができる、一生の宝物になることでしょう。

もちろん、世界カ国に友人もできます。

まさかの再会

僕が在日米陸軍で勤務していた時、いたんです。

当時のクラスメートが!!

たまたまパーティがあって、それに参加していた時、「なんかみたことのあるやつがいるなー」と思って、声をかけたら、やっぱりクラスメートでした。

日本人の彼女を連れていました。

こんなこともあるんですね。

はいと言うことで、一年以上ぶりにこの留学シリーズの続きの記事を書くことができました。

これでやっと、留学シリーズ終りました。

*最後に

僕の記事を読んで、
「米陸軍への留学っていいなぁ。自分も行ってみたいなー」と思った人や、
逆に、「自分には留学なんて絶対無理」と思った人もいると思います。

多分、多くの人が後者だと思います。

僕がこの記事を書いた目的は、正しい努力を継続すれば、いつかはこのようなチャンスが待っているということです。

いつかは必ず報われることがあるということを伝えたかったからです。

僕は、初級幹部時代、このような留学のプログラムがあることや、こういうチャンスがある事は全く知りませんでした。

ただ、運よくチャンスが降ってきて、それを掴めたんです。

それは、部隊での仕事を一生懸命頑張ったり、CGS試験合格に向けて努力を怠らなかったためだと思います。

努力をしなければ、そのようなチャンスには絶対に巡り会えることはありません。

失敗もたくさんして、たくさん怒られて、大変な時期もありましたが、そういう時期をずっと我慢して、努力を継続してきたことで、上司の目に留まり、さらに上の仕事を行うことができるチャンスに巡り会い、また、新たな任務や仕事に対して必死に努力をしていた成果だと考えています。

このように、自分ができることを、当たり前に継続していくことが、将来への成功の近道になるんだろうと思います。

ここでは、米陸軍への留学の記事について記載しましたが、ここから、CGS教育や米陸軍司令部での勤務、南スーダンPKOへの1年間の個人派遣など、普通の幹部自衛官ではできないような沢山の貴重な経験をさせていただきました。

今は、陸上自衛隊を離れた身ですが、民間企業では陸上自衛隊での経験をもとにさらに知識と経験を深め、努力を継続し、どんどん自分がやりたい道へ進むことができています。

それに伴って、様々な優秀な人や魅力的な人と巡り会うことができ、視野が大きく広がって、家族にとっても周りの人たちにとっても良い影響を与えられるようになりました。

どんどん未来が明るくなっていることを実感しています。

「当たり前のことを当たり前に継続する。」

このことが自分が思い描く夢の実現への近道なんだろうと思います。

今やっていることを全力で頑張って、将来を見据えてやるべきことをコツコツと継続してください。

努力の先に、最高の未来が待っていますから!


最後まで読んで頂きありがとうございます。
この記事があなたの将来の成長に役立つことをお祈りします。

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