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満月苑で会いましょう

  日本の色は青でしょう、あるいは紺とか? 
「青は藍より出でて藍より青し」とか
「紺屋の白袴」とか
「水色は瓶に覗く青空の色」とかいろいろあるじゃないですか。古来からの藍染めが意識に蘇ったのではと思ったりします。ほんとうに洗練された世の中になったと思ったりもします。

  関係はありませんが、一九八 ○ 年あたりからの、日本の色は金でした。貧乏なわたしすら浮かれ騒いでいた気がする。デリケートな陶酔にふわふわしていた頃のおはなしです。

  山手にひっそり裏通りがあり、深紅の小プレートを撫でる柔らかな光だけが、色がある家の目印だった。階段を擁壁の上まで行くと夢の入り口があり、格子にガラスをはめ込んだ扉の先は、小さなラウンジだった。奥まったところに止まり木が在り、座ると微笑みが迎えてくれる。笑顔の主は、つべこべ言わずに「ふるいつきたくなるようないい女」なんだから、隠れ屋が隠れ屋になっていなくて、本来の「男の世界」を取り戻したい社員たちで賑わいを見せていた。

  かといって焼き鳥屋で怪気炎をあげるような振る舞いは一切無く、ある者は、カサブランカのリックよろしくシガーを燻らせているし、隣の男は、ウオッカマティーニ・ステアにレモンピールを添えて、と言っている。この人は完全なるジェームズ・ボンドだった。無芸のわたしは一番端で、それでも「とりあえず生中」みたいなことはなく、ウイスキーの水割りを啜っていたのだし、時には「ウイスキー・オンザロック」とか叫んだりしたのだし。

 深更に差し掛かると「男の世界」も歪みをみせて、まあミステリアスな女主人を弄るような者はいないけれど、カウンターの中にもうひとり、ミモザというぴちぴちガールが居たのである。この人は機転が利く頭が良い人で、可愛く蠱惑的なパッケージに包まれ、シャッシャッと歯切れ良く動くものだから、言ってみりゃ「たまらない」。

「ミモちゃん、あなたいくらなんだい」シガーの煙がせりふの吹き出しのように、リックから吐き出され、カウンターの上に停滞した。凍り付いたわけです。誰も何も言わない。

 ブレイクしたのはミモザその人で、歌舞伎の見栄のように軽いしなを作り、
「愛があれば、タダ!」一同オーとどよめいた。

 そこでやめときゃいいのに、バカの上塗りをするジェームズが、
「そうなんだ、タダってのは誰なんだい。あいつだろ? 表の菓子屋の上に引っ越してきた転勤族の男。たびたび来てるよな」なんて言い出し、ミモザが
「ありえなーい」と切り返し、一堂安心する。

 だけれど、もはや「男の世界」なんてものはがらがら崩れ、たちまち母ちゃんの拳固が恐くなり、家路を急ぐわけであります。

 あの家の表通りは、片道三車線に広い舗道がついた、それは立派な、もうブールバードと言える目抜きの端だった。月光がシンシン落ち、ほろ酔いも醒める静謐な夜だった。と思ったのはわたし一人きりで、なんと月明かりを避け、店の庇から庇へ渡っていく怪しい男女の影があるではありませんか。「瓶に覗く……」などという清らかな思いはたちまち失せ、出歯亀になったのです。 男に抱き寄せられる女の姿が儚げで、世の中にはこういう美しい動物がいるのだとひとしきり感心してみたり、しかし例え後ろ姿とはいえ、あの絶妙なカーブはミモザ以外考えられないじゃないですか。 見栄を切るミモザを思い出すと涙すら溢れそうになるのですが、やがてふたりは小さな店の横階段を上がり消えた。

 二回三回深呼吸をしたと思う。きっとラジオ体操第一ヨーイくらい掛け声をかけたとも思う。シンシンたる月光を浴び、ようやく清らかさを取り戻したわたしは、もうひとつ月明かりに浮かぶ木の銘板を見た。金泥が大分寂びているけれど「満月苑」という菓子屋の名前が浮き上がり、長い歳月に色褪せることもなく、時折頭の中にぽっかり浮かび上がるのです。

 いつかまた、満月苑で会いましょう


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