あたたかな水面に浮かび ショート・ショート 3

「マサー」
「あやあ泳げるだか」
「浮いとやがる」
「マサー、こっち帰ってこお」
「答えん、生きとるだか石ぶつけてみりん」
「あ、もぞもぞ動いとる」
「お前助けに行ってこりん」
「おら泳げんだもん」
「おらも泳げん、どうするだん」

三河湾の町々はいずれ西の新興都市に飲み込まれる運命で、矢作川の主流はすでに西へ変更されているから、矢作古川のほうは水量が少なく、中洲の周りをせせらぐ程度だ。しかし海から上げ潮がやってくる。三人が中洲の縁で魚を叩くうちに、いつしか潮が満ち、中洲は水底に沈み、子供の腰の深さになっていた。

スジ公とトミが、吉良町の土手に上がっておろおろしていると、折よく自転車に乗った駐在が見回りにきたのである。
「お前らこんなとこで何しとる。満潮が上がってきとるで、川に入っちゃだちゃかんぞ」
「マサが流れていってしまっただ」
「なにいマサとはもうひとり居るのか? そんでその子は川ん中にまだ居るというのか?」 ふたりが激しく頷くものだから駐在も泡を食った。
「こりゃえらいこった。おまえらどこの在だ」
「一色だ」
「わしは吉良だから、一色の消防に出てもらわにゃなるまい。おまーらは動くじゃない、おっとそうそう危うく忘れるとこだった。木橋の上から、もんぺ姿のお婆さんが流されて行くのを、見た者が居る。流れてきたら吉良の駐在所まで知らせに来お」と言い残して、巡査は行ってしまった。

「敵だら」
「ああ、あの駐在は吉良もんだら。土左衛門が流れてきたら、おらたちで捕まえるだ」
「婆さんは土左衛門になっとるだか」
「なっとらなしてやるまでだが、吉良なんかにくれちゃだちゃかん」
「そんでもスジ公泳げんがん。おらも泳げんから、どうやって土左衛門を捕まえる」
マサが流れてからというもの、震えるような小声のトミだが、降って沸いた溺死者回収の話に、しだいしだいに頬に赤みが差してきた。

「お前おらをばかにしとるだか」スジ公はスジ公で、持ち前の「ほんとうに納得のいく」提案をするのだった。ただの溺死者を土左衛門と呼ぶわけではなく、内部でガスが発生し膨れて水に浮くようになってから、初めてそう呼ばれる権利ができるのだ。
「だでわかるか、ただ土左衛門を信じてしがみついとればいい、なんもせんでいい、なんも考えんでいい」
「おらたちの目の前にどんぶら流れ着きゃいいだろうが、真ん中流れたらどうするだ。泳げんぞ」というトミの一撃には、さすがのスジ公も消沈し、目をぐるぐる回すしかなかった。

そうこうするうちにも、矢作古川河口のあたりに夕暮れが迫まり、紅に染まる雲ばかりがやたら美しく、この世とも思えない世界に包まれる気分を、少年たちは味わっていた。
「ああそうか、うってつけのやつがおるぞ」
「誰だ」
「マサだ」
「マサ?」

「あいつは水の上に浮かんどるだら。いわばもう土左衛門みたいなもんだで、あいつが浮かんどるとこへほんとの土左衛門も流れてくるはずじゃん」
「そういうことになるだか」
「ならんでどうする。そうと決まりゃこんな吉良の土手におっちゃかん。いったん木の橋まで一目散で、一色側へ渡ったら一気に海岸まで行くだ。そこらにふたりは浮かんどる。ああ絶対浮かんどる。行くぞマサを探しに行くぞ」
「おー」
少年二人は脱兎のごとく駆け出した。いったんはマサに背を向け木橋まで。それから対岸をマサに向かい、残照に向かい、走りに走るのだった。
                                続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?