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毛布#23『セルフラブ・自信がつくまで』

みなさんいかがお過ごしですか?
今週はどうにも体調がすぐれず、遅くなってしまいましたが今週の毛布です。

先週に引き続き、ルポールの話と、自分を愛する・セルフラブのお話です。

ルポール熱は続く

ルポールのドラァグレース熱は冷めやらない一方、これは一気見するのが勿体ない……と思い始め、いったんお休みすることにした。そして今はシーズン5に出場した人気クイーンのアリッサ・エドワーズの密着ドキュメンタリーを結局見ている。
最近は耳から入ってくるのは日本語より英語のほうが多いかもしれない。

ルポールの本を読んだ。
内省的な自叙伝というよりは、写真多めなポップな作りになっていて、割とすんなり読めた。書かれていることはどれも自分が普段考えていることにも似ていて、語り口や佇まい、精神性、いろんな意味で同じ「種族」だ、といいたくなるような何かがあった(スーパースターというものは、皆にそう思わせるのかもしれないけれど)。Vogueのインタビューを見て、自分がなぜすぐに惹かれたのかもすぐにわかった。

本の中に、「裸で生まれてきて、後のもの全てはドラァグ(仮装)である」という一文があった。

ドラァグクイーンとして装っていても、スーツを着ていても、パジャマを着ていても、バイトの制服を着ていても、それはすべてDragなのだというその部分を読んだ時、風が吹いたみたいにとても自由な感覚になった。その時きていた自分の服や、これまでたくさん着てきた、会社に行く時の服を走馬灯のように思い出した……というと大袈裟かもしれないけれど、思い出して、確かにあれは全部仮装だった、と思ったのだ。

そうだ。これは全て平等に仮の姿であり仮の装いなのだ。だとしたら、その中でできるだけDrag upしたい。そして、それと同じくらい、Naked、no make-upでいる自分を祝福していたいと思えた。

裸で生まれてきて、後のものは……

裸で生まれてきて、後のものは全部、ただの装い。
たったそれだけのこと。

だけど、「装い」にまつわる社会の要請や同調圧力というものをまともに受けると、まあ面倒くさいことになる。

自分の容姿を醜いと思っていることで、化粧をすることでやっと「人並み」に見えるというとても辛い自己認識があったり。
一方で、「私なんかが化粧をすると笑われる」という言葉も何度も聞いたことがある。化粧をすると何を女ぶっているのだと過去に言われて傷ついたので化粧をするのが怖いという人もいると思う。
また、化粧をしていないと「マナーがなっていない」などという謎ルールを押し付けられるというルールの中で生きていたり、そのルールを内面化して、ルールを守らない民をいじめ始めたり。
そしてそもそも化粧をするのは女だけだという社会通念の中で生きていたり。

メイク、装いにまつわる物事は、まともに受けると辛いことばかりだ。
特に、自分を十分愛せていない時は。

“Love yourself first”/「自分をまず愛する」

ルポールのドラァグレースで、番組の最後にマントラあるいはキャッチフレーズのように繰り返される、“If you can’t love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?(自分自身を愛せないで、どうやって他の人を愛すことができる?)”という言葉。
(この言葉については一体どういうことなのだろうとか、果たして真理なのだろうかと昔からずっと考えてきて、まだ答えは出ていないけれど、まあ示唆の多い言葉だと思う。)

番組を見続けるうちに、段々、「自分をまず愛すること」/ “love yourself first”は、決してただのキャッチーでファンシーな言葉ではなくて、現実を生きる上で実際に必要な、サバイバルのための掛け声なのではないかと思うようになってきた。
ドラァグレースでは、クイーンの元々の家庭環境が崩壊していたり、いじめだったり、自分のセクシュアリティを家族や周囲に受け入れられなかった過去が多く語られる。
Rejection, rejection, rejection。拒絶され心に傷を負った話が延々と続く。
心に傷を負うだけでなく、薬物やアルコールに依存していく人もいる。社会や周囲のサポートよりももっと近くに簡単に、酒と薬物がある。番組に出ているクイーンの中にも薬物中毒やアルコール中毒に苦しんでいる人が何人もいて、それはクイーンに限らずだけど、傷を癒すために薬物やアルコールに手を伸ばす人は少なくないのではないかと思う。
それを見ていると、Love yourselfというのは、自衛の手段のような、切実に必要な訴えなのではないかと思った。

また、拒絶された過去の傷や失意、あらゆる困難を、意志の力、努力で乗り越えようとする人もいる。番組の見せ方で誇張されているだけなのかもしれないけれど、悔しい思いを、力をつけて見返してやろうとした人は、自分にも他者にも当たりが厳しい傾向がある。

特に年配のクイーンに多かったように思う(これも番組的な見せ方なのかもしれないけれど)。若者のクイーンに怒っている。私は努力して乗り越えてきたのに、お前はそれをせずに自分が得られなかったものを享受している。そんな人に、これだけ努力してきた自分が負けるなんて、許せない。そうした怒りが、「自分が負けるかもしれない」という不安と焦り、「認められていない」という怒りが、プレッシャーの中で圧力に押し出されるようにして、表面に出てくる。

勇壮で獰猛なクイーン達が不安になっている姿を目にしながら、“Love yourself first”という言葉を聞くと、なんだか滲み入るようだった。不安になる時は、大体怯えた自分がいる。自分を十分愛せていないとき、まるで空き家に幽霊が住みつくように、人は簡単に不安や恐れに乗っ取られる。

改めて、自分を愛するしかないのだなあと思う。怒りの裏側には、認められなかった自分、認めて欲しかった自分がいるのだと思う。そしてそれを本当に認めてあげられるのは、陳腐かもしれないけれど、自分だけなのだ。

人と違うことをするということ、異端であるがゆえに、人よりも多くの拒絶・rejectionを受けてしまうからこそ、自分をまず愛すること/Love yourself firstには意味がある。自分を人に見せる仕事は、傷を負うことが多いし、実際に耐えられなくなる人も多い。そうした部分をまず自分自身で満たすことを知るのは切実に必要なことなのだと感じた。

***

「何かをする勇気」

前回の毛布で、過去に傷ついた経験や、馬鹿にされる恐怖から、化粧をするのが怖いという人もいるのではないか、と書いた。

シーズン7(先週の毛布は6の途中だったのにさりげなく7まで進んでいる)の最終回、Topを決める回は、スタジオではなく大きな会場で、ファンや歴代のクイーンが集結して開催される。ファンからの質問コーナーがあるのだけど、優勝候補とみなされていた、若く自信に満ちたクイーンに向けて、ファンから「ドラァグをやってみたいけど周りに何と言われるかわからない十代の自分にアドバイスをください」という質問があった。

そのクイーンは、一瞬考えるような顔をして、
「自分の場合は、ドラァグを始めた時は、夜中に鍵を閉めてやっていた。
そしてある時、部屋の外に出てみた」と答えた。
「自信がついて、自分でも心地よくなるまでは家の中で練習すればいい」と。

笑ってしまった。なんて現実的なアドバイス。
てっきり、ドラァグをやることに対する他人の反応について話すのかと思ったけれど、そのクイーンは、自分自身の目で自分に自信ができるまでの話だけをしたのだ。他人の反応について聞かれて、自分の自信がつくまでの話を当たり前のようにしたのが印象的だった。

それでいいんだと思った。
挑戦してみるのが怖いことも、他人の目が怖くてどうしようもないことも、それでもやってみたいなら、興味があるなら自分の部屋で鍵をかけてやってみる。
そして、そんな自分にloveを感じて、自分をいいなと思えたら、扉を開けて外にでる。
何か傷付いたら、誰よりも自分が愛で満たす。

他人の目線なんてどうでもいい。自分が自分を愛せているならば。

私もまた、前から毛布で度々(毎回?)書いてるように、自分が自分をまず愛すること、というのをある時から本気で腰を据えてやろうと思い、色々試してみた。

その結果、時々、その辺を歩いていて、温泉に浸かっている時のような感覚に包まれることがよくある。
温泉に行かなくてもいいやというくらい心地よい瞬間が続くなんて、自分に訪れる日が来るとは思わなかったし、どこかでそんな日が来たら私は書くことがなくなってしまって、読んでくれていた人も皆どこかに行ってしまうのではないかと怯えていたことがあった。そしてそれは全て、単なる怯えだった。
だけど、温泉に浸かっているような感覚は、はっきりと訪れる体感だ。
油田を掘り当てることも温泉を掘り当てることもできないけど、自分を愛で満たすことくらいはできる。
そしてそれは、油田と温泉が自宅の庭で沸いたくらいの価値があるのだと思う。

といいつつ調子が良くない時に

さて、ここまで書いていたのだけど、アップするのに時間がかかってしまった。

ここ数日調子が良くなかったのは、こうやって書いている割に最近Love myself firstができていなかったのだな、と思った。どんな自分も愛をもって受け入れるということ。なかなか難しいのだけど、それができない時、びっくりするほどエネルギーが枯渇していく。

今朝、起きて、郵便を出しに行くついでに、思い立って化粧をして、バス停に向かった。目の前で走り去ったバスを見送って、行き先の違う次のバスに乗った。前から気になっていたオーガニックカフェがその進路にあることに気づき、入ってみてこれを仕上げている。

調子が悪い時は、私の場合だけど、簡単な選択というか判断がちょっと難しくなる。寝た方がいいのか、もう少し起きていた方がいいのか。何を食べたいかもわからなくなる。感覚と判断が一致しない感じになる。ゆっくり時間をかけてメニューを見て、これかなという感覚のもとに野菜カレーを頼み、これかなというハーブティーを頼み、ゆっくりもそもそ食べているうちに、なんだかバラバラになっていた自分自身がゆっくり寄り集まって、のりづけされるみたいにまたくっついて、五体と五感が動くようになったような気がした。結局、砂糖や卵を使用していないというバナナ・ストロベリーケーキも頼んだ。キャロットケーキのような、茶色でぼそぼそしていそうな素朴なケーキを時々無性に食べたくなるのだけど、まさにそれで、これを求めていた、という味だった。ハレルー。

そんな風に調子を崩したりはするものの、ルポールに学んだことの一つに、人はFierce(強く激しい)でありながらSensitive(敏感)であることは可能なのだということがある。センシティブで時々調子を崩す、そんな自分も愛して受け入れていこうと思う。


\お知らせ/

新刊と、刊行記念展のお知らせです。
テスト印刷を見ながら、本がお手元に届く時のことを想像しています。
詳細はまたお知らせしますので、楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。


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