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ある本屋で、コーヒーと。4

続きものです。
からお読みください。

 私はコーヒーの海で泳いでいた。いや、正確には溺れていた。
 胃の中は黒くて苦い液体でいっぱいになりかけていた。
 必死でもがいていた。こんなところで死にたくはない。
 すると、固い物体が手に当たった。それは大きな板のようだった。
 その板にしがみ付いて、私はようやく呼吸をすることが出来た。
 空を見上げると、大きなぐるぐるキャンディが太陽のように輝いていた。

 私は本を閉じて、天を仰いだ。とは言っても室内。無機質な天井が視界に入る。大きく息を吸い込むと、香ばしくてほろ苦く、ちょっぴり切ないコーヒーの香りと、真新しく刷られたばかりのインクと紙の匂いが鼻の中を通っていく。私はいつもの、カフェが併設してある本屋に来ていた。目の前には、ホットコーヒーのS。もう、背伸びしてカフェモカを頼む必要なんてない。そして、一緒に2冊の本があればいい。今日は月曜日。彼はやってこない。たとえ彼がいたとしても、関係ない。私は【待津野ひまわり】の世界に浸って生きていければそれでいい。いつか彼女の本がベストセラーになって販売サイン会を開くことになったら、きっと会いに行くだろう。サインの横に「○○さんへ」って私の名前を書いてもらった後、握手をしてもらう。私は彼女の手を両手で握って「ありがとう」と言う。その一言に、今までの感謝全てを込めて伝えたい。彼女はどんな人だろう。前髪はオンザ眉のパッツンだと思う。おかっぱみたいなサラサラヘアで、丸い眼鏡を掛けているかもしれない。あれ?そんな感じのヴィジュアルの女の子、どこかで見たことがある気がする…。

 バッシャーン!!

 突然、目の前がパーーーーンと明るくなって私は目を強く瞑った。
 恐る恐る目を開くと、溺れていたはずのコーヒーの海は一瞬で消えていて
 5mくらい先に、色が白くて華奢で背の高い男の子が立っていた。
 彼はゆっくり歩いてきて、目の前に来たと思ったら、
 座っている私の真ん前に顔を近付けて、じっと眼の中を覗き込んだ。
 そして、そっと私の丸眼鏡を外してから、言った。

「こっちのほうが可愛いよ」

 あぁそうだ。この本の主人公の女の子だ。きっと、この子はひまわりさん自身なんだろう。不器用だけど真っすぐで、いつも明るく元気で、強い意志を持っている。そう、向日葵のような人。その明るさが本から滲み出ているから私は魅かれるんだ。私にないものを持ってるから。

「それ、何?」

 私は声のする方を向いた。声の主はいつもの笑顔で私を見ていた。その視線に耐えられず、私は目を背けた。手にしている本をパタンと閉じ、強く目を瞑った。本の展開とは逆で、目を開けたら、前に立っている人がキレイさっぱり消えてなくなっていることを願った。そして、顔を上げてから、恐る恐る目を開いた。

「残念。消えてないよ」

 彼、いや、アオイ君は面白そうに言った。私はこういう時の回答を持ち合わせていない。自分が真っ先にすべきであろうことが頭の中に3つ浮かんで、正解を導き出せない。何か言って「繋ぐ」ことでも出来たらいいのに、今私が行っているのは「沈黙」だ。

①逃げる ②戦う ③呪文を唱える

 いや、私はドラクエをしているのではない。この選択肢すら誤りだ。頭を振って、新しい回答をひねり出す。

①逃げる ②謝る ③笑う

「あ、あ、あの・・・ご・・・はは・・・」

 口角がピクピクしていた。謝りたいんだか、笑いたいんだか、そしてお尻は少しだけ椅子から浮いていて、逃げだしそうにもなっていた。そんな私に彼は優しく言った。

「どうしてこの前の水曜日来てなかったの?」
「え、、ちょっと、、、仕事が」
「忙しいんだ」
「きょ、今日は、、お仕事?」
「違うよ。ちょっとリサーチ」

 そう言って彼は悪戯な顔して歯を見せて笑った。私はやはりその笑顔が愛おしくて、でもそう思ってしまう自分が悔しくて、拳を握り締めた。彼は「飲み物買ってくる」とレジカウンターへ行った。

 私は立ち上がり、向こうへ行こうとする彼の手を取った。
 ほとんど何も見えなかった。それに、何も考えていなかった。
 掴んだ彼の手は、あまりに細くて、固く、ザラザラしていた。
 目を凝らして見ると、私は彼じゃなくて案山子のカッシーの腕、
 というか枝を握りしめていた。ささくれが手に刺さって真赤な血が流れた。

 ひまわりさんの本は、人の気持ちを何度も上下動させる。ものすごく幸せな気持ちにさせてくれたと思ったら、谷底まで突き落とすような残酷なことも平気で書く。そのジェットコースターのような展開に私は魅了されているのだけど。私が今持っている本は、彼とあの女から持ち去ってしまったその本。彼は本を見たはずだけど、何の変化もなかった。きっと犯人が私だということには気付いていない。そのことが何だかものすごく心地よくて、ちょっとだけあの女に勝てたような気分になった。だから私は、その本とコーヒーを並べて、インスタ用の写真を撮って、すぐにアップした。
#待津野ひまわり
#コーヒー
#犯人
もう何回も読んで内容も覚えているくらいの本だけど、あの日以来、不思議と毎日持ち歩いて、しかも気付くとページを開いてしまう。

「それ、何回目?」

 彼がホットコーヒーのSを持って、戻ってきた。

「3回目、くらいかな」

 嘘だ。本当はもう5回は読んでる。

「僕は5回は読んだよ」

 どうして、いつも彼は重ねてくるんだろう。どうして、いつも私はしょうもないことでも運命に感じてしまうんだろう。どうして、彼は私の目の前に現れたんだろう。どうして、私はこの本屋でこのコーヒーを飲みながら本を読んでいるんだろう。どうして、どうして、どうして。

「どうしたの?」

 彼が心配そうな顔をしていた。心配そう、というよりも少し困っているように見えた。どうしてそんな表情をするんだろう、と思っていたら、頬に冷たいものが流れていることに気付いた。私は、泣いていた。彼もひまわりさんと同じだ。私の気持ちを揺さぶる。残酷なことを平気でする。


なのに、どうしようもなく、好きだ。


だから、どうしようもなく、好きなんだ。


「あなたは誰なの?」


私は彼の眼鏡をそっと外して、眼の中をじっと覗き込んで、そう聞いた。


続く。

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