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あの子はあに子②「猫舌」

あに子には現在の勤務先唯一の同期がいる。その名を美奈代と言う。自分とは正反対の性格で理解できないことも多いのに、一緒にいて楽なのだ。

美奈代の口癖は「いつ死んでも後悔しない」。

それは人生を謳歌しているから、やりたいことをやっているから、と言う類のポジティブな思想ではない。理由は美奈代にとっては単純で「生きるのが大変だから」だという。死ぬつもりはないから仕方なく生きている美奈代にとって、死はいつ訪れてもいいらしい。

一方のあに子だって「いつ死んでも後悔しない」そう思っている。

それは「意外と幸せ」だというポジティブな理由。確かにアラフォーで独身で彼氏もいなくて、身体の衰えも徐々に感じ始めていて、TikTokやInstagramにはイマイチ乗り切れてない現実はある。だけれども、今のところ自分のために生きられているし、好きなことも100%じゃないけれど70%くらいはやれているし、食べたいものを食べて、行きたいところに行っている。これが幸せでなくしてなんだろう。幸せのハードルは低い方がいい。これは向上心がないのとは違うとあに子は考えている。世の中、上を見ればキリがないし、でも下は下でキリがない。今の自分に見合った幸せを感じつつ、ちょっと上を目指すのが人生ではなかろうか。昨日できなかったことが今日はできたり、今日はサボったけど明日は2倍頑張れたり、下らない会話で腹がよじれるほど笑ったり。

理由はどうであれ「いつ死んでも後悔しない」人生を歩んでいるという点で、あに子と美奈代は同じ線の上に立っている気がしている。

ただ、美奈代に対してあに子が思うのは「猫舌は人生損してる」と言うことである。美奈代は猫舌で、猫舌であることを自負している節がある。「熱い料理を無理して食べる必要はない」「少し冷めても美味しい」などと御託を並べて自分が猫舌であることを肯定している。美奈代は猫舌だから仕方ないか、と諦めていた。

しかしあに子は知ってしまった。「猫舌は生まれ持って舌が熱さに弱いのではなく、食べ方(飲み方)が下手くそなだけだ」と。

美奈代の猫舌を(勝手に)改善しようと、あに子は自らの食べ方(飲み方)を研究した。あに子は毎日コーヒーを飲む。淹れたてあっつあつのコーヒーはこの世で一番おいしく、この世で一番身体を目覚めさせる。注意深く自身のコーヒーの飲み方を意識すると、”舌の下”と”下の歯”の間に液体を流し込んでいることに気付いた。そこで舌が耐えうる熱さになるまで冷まし(慣らし)、舌を介して胃の中へ運んでいるのであった。これは偉大なる発見であった。自分は無意識に熱いものをちゃんと食べる(飲む)方法を身につけていたのだと、誇らしささえ覚えた。

仕事の休憩中、あに子は美奈代に熱いコーヒーを渡し、猫舌である原因を突きつけた。美奈代に飲み方を訊ねると、まず舌でコーヒーの温度をチェックし、熱いと判断したら、従順に冷めるのを待つ、と言う。舌先行なのである。そりゃ熱いわけだ。舌の先端が一番熱さを感じやすいのだから。そして美奈代に熱くない飲み方を伝授した。すると何ということでしょう。いつもなら飲めない温度のコーヒーを美奈代は飲むことが出来た。もう飲み方をマスターしたとさえ言った。

これから美奈代と鍋でも食べに行こうか、それとも鉄板焼き?ラーメンか?この世にはありとあらゆる熱くてうまい料理が溢れているのだ。

死んでも後悔しないふたりだが、生きている以上、熱いものは熱く食べたいし、解決できる問題はクリアしたい。あに子はもつ鍋にしよう、と心に決めた。

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