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【2021/10/18】月にうさぎはいない

月にうさぎがいるという話はいつ、誰から、聞いたものだろう。物心ついたときには知っていたし、月を見上げるたびに「あぁ、うさぎいる」と思っていた。月にいるうさぎは餅つきをしているらしく、そう見えなくもない。

その話の由来は仏教説話から来ているらしい。

『昔、あるところにうさぎときつねとさるがおりました。ある日、疲れ果てて食べ物を乞う老人に出会い、3匹は老人のために食べ物を集めます。さるは木の実を、きつねは魚をとってきましたが、うさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができませんでした。そこで悩んだうさぎは、「私を食べてください」といって火の中にとびこみ、自分の身を老人に捧げたのです。実は、その老人とは、3匹の行いを試そうとした帝釈天(タイシャクテン)という神様。帝釈天は、そんなうさぎを哀れみ、月の中に甦らせて、皆の手本にしたのです』
引用:http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/otsukimi/tsukiusagi/

池に落とした金の斧・銀の斧とか、こういった類の昔話やおとぎ話って多いけれど、人(この場合は動物)を試す神様ってなんやねんって今は思う。もちろん、説法だからしょうがないけど。

しかもこのうさぎの話、正直ちょっと怖い。何を持ってそこまでして老人に身を捧げる決心に至ったのか。うさぎはもはや老人が神様だと知ってたんじゃないのか?じゃないとできないよ、身を焼いて捧げるとか…。こんなに考えてしまうのは、職業病?

今日はとても月がキレイだった。満月じゃない、何か足りない月だったけれど、それすらも美しいと思った。

だから、うさぎさんが見えるかなと思ったけれど、もうわたしにはうさぎさんは見えなかった。いくら目を凝らしてみても、逆に薄目にしてぼやかしてみても、うさぎさんは現れてくれなかった。

私の心にはもううさぎはいない。

月のうさぎに会えないと思うと、ちょっとだけ悲しかった。


ふとTwitterを開くと、月に関する素敵なツイートを見つけた。

今日は「十三夜」らしい。うさぎは見えなかったけれど、とても美しい月だということは正しかった。

でもいつか、月にうさぎが生きられる時代も来るかもしれないな。

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