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なみだ

今日は3日目、マチネソワレ(昼公演・夜公演)の2公演。

公演が終わるといわゆる”ダメ出し”と呼ばれる、演出家からのフィードバックがある。

この”ダメ出し”という表現すら、最近は「どうなの?」って言われる時代になってきたらしいけれど。ダメ出しという言葉の中にネガティブな要素が強く、否定や批判と捉えられてしまうことかららしい。本来の意味は『注意点や改善点を挙げて改善を促すこと』なので、良くするためのアドバイスである。「ダメ」という言葉が受け入れられにくいのかもしれない。

わたし自身、演出する機会があるし、このダメ出しをしたことも、されることも、どちらも経験がある。ダメ出しの中には指摘や改善だけでなく、「褒める」ことも含まれる。それに、ダメ出しされないと何だかソワソワする、という感覚も、役者をやっている人間ならあるのではないだろうか。演出家から何も言われなければ「そのままでいい/その調子で」という意味であることが多いが、何も言われないと不安になるのは何とも不思議なのもである。

ある若手男子が、今日の公演後、泣いていた。

わたしが「どうだった?」と聞いたのが引き金になってしまったのだが、彼は今日ダメ出しをされていて、そこが思うように出来なかったようで悔しくての涙だった。

思ったような芝居が出来ないのは当たり前のことで、芝居は生ものであるし、自分だけでつくり上げることなんて出来ないので、悔しさなんて毎日ある。よく「”完璧”と思ったら役者は終わる」とか「完璧な芝居が出来たら役者を辞める」とかテレビに出ているような有名な役者さんがコメントしているのを聞くが、本当にそうで、「完成しないのが役者」なのではないかとすら思う。

そうやって泣いている彼を見て、わたしは何も言えなかった。言えなかったというよりは言わなかった。慰めもアドバイスも必要なくて、自分でしか解決できない問題だから。悔しさと向き合って、出来ない自分を受け入れて、それでも昨日より今日、今日より明日が、少しでも前進できたと、自分が思うことができないと意味がないから。

自分が悔し涙を流したのはいつだろうと思いを馳せた。長く生きていると悔しさにも慣れる。自分が悔しいと思った時の、心の処理の仕方が分かってくる。もちろんひっそり泣いたこともあるし、何日もそのことが頭から離れないこともある。でも彼の悔し涙は、その行方がまだ分かってないような気がして、もうある程度年を取り、折り合いをつけることができるようになった私には羨ましく映った。いい悔し涙だ。もっと泣け、そう思った。

涙活でもするかな。

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