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オーディションと中銀カプセルタワー

先日、久しぶりにオーディションに行った。
事務所から場所と時間を告げられ、てくてくてくてく会場へ向かう。
Googlemapを見ながら、てくてくてくてく。

ん?

中銀カプセルタワービル
カプセルを積み重ねてできたような独創的な建物

ここまでちゃんと説明が入る建物ってあるの?
それにこの建物、何かのテレビで見たことあるぞ。行きたいと思っていたぞ。
ラッキー!!

オーディションに行くよりも、そっちが楽しみになってしまった。

どんどん近づいていく…

ドキドキ。

あれ?

ない?

間違いなくこの場所だが、そこは工事中なのか、白い衝立とシートで覆われていて、中が見えない。衝立には工事の内容が書かれた紙が貼ってあって、そこには

「解体工事」

と書かれてあった。

解体工事?
うそ、無くなるの??

ちょっとした衝撃を受けつつ、オーディションに向かった。

スタッフの方に所属事務所を告げ、プロフィールシートに記入して、写真撮影といういつもの流れ。

それから部屋に呼ばれて、わたしの前の方が「○○してください」とか「○○のセリフを言ってください」とか、指示を受けて、表情つくったり演技したりするのを眺めていた。

前の方がとても上手で、勝手にプレッシャー感じつつ、わたしだったらこうするかな、とか思案したりシミュレーションしたりして。

いよいよわたしの番になって、前の人と同じ指示なはずなのに、一瞬「セリフなんだったっけ」となって初っ端から軽くテンパっている。スタッフの方はとても優しくて、ひとつひとつ丁寧に同じ指示を出してくれたお陰で、落ち着いてできた、と思う。

落ち着いてできた、というのは、よくできた、とは違う。
つまり、よくはできなかった。

何でもそうだし、いつもそうだし、そういうもんだし、分かってるのだけど、やったあとに、「こうすればよかったかなー」「ああしとけばよかった」とオーディション終わりは特にそう思う。考えたって仕方ない。つまり終わったことだ、結果を待つだけだと、頭では分かっていても、頭の別の部分がそうはさせてはくれない。

後悔というのとはちょっと違う。もっとできたのに、という自己肯定や自己評価が高いというのともちょっと違う。全然違うわけじゃないけれど、ピシャリと的を得ていない。

そんなことをつらつら考えながら歩いていたら、また中銀カプセルタワーの前にやってきた。建物の側面というか、大通りに面してない側に回ってみると、工事の様子が少しだけ覗けた。

まさに崩壊途中の、剥き出しのそれだった。
もうカプセル部分はどこにもなく、そこがカプセルタワーと知らない人が見たら、ただの古い建物の取り壊し現場だ。

栄枯盛衰。

どれだけ魅力的な建物でも、築年数には敵わない。
どれだけ技術が進んでも、永久にそこに建ってられる建造物はない(たぶん)

でも、記憶と記録には残る。
それを愛し、大切に思った人がいる限り。

調べてとても興味を惹かれたのは、この建物は黒川紀章氏によるメタボリズム建築であったということ。

メタボリズム(新陳代謝)運動:社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。中銀カプセルタワーはそれぞれの部屋の独立性が著しく高く、部屋(カプセル)ごとに交換することも、技術的には可能な設計になっていたが、実際には一部のカプセルが交換困難だったことなどから、実施されずに終わった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%8A%80%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AB

これが実現できていたらとても素敵だと思ったけれど、現実はなかなか難しかったようで…取り壊されたメタボリズム建築も多いが、現存するものもある。

調べれば調べるほど、興味深く、引き込まれていく。
その現存する建造物が見たいと思うし、黒川氏が別荘として建てたカプセルハウスKは宿泊ができるというから予約寸前までいった。

が、一棟貸し切り1泊20万以上したので諦めた…

メタボの意味は新陳代謝。

生物の機能として備わっている新陳代謝を、建築にも応用してみるという考え方がとても好きだ。

わたしの脳みそや身体ももっと新陳代謝を高めて、新しいことを生み出したいと切に願う。

そうなればきっとオーディションの出来も変わるような気がする…


本当に知らないことが多すぎる。
それは決して「悪」ではないけれど、もっと色んなものを見て、感じて、新陳代謝しなければ、人生あっという間に終わってしまう。
だがのんびりするのも大切。

生き方を決めるのは自分。

新陳代謝。考える。

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