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大人の事情③

私はずっと考えていた。どうしてこの会社に入社したのか。
「合格したから」「いい会社だから(待遇・知名度・企業規模含め)」「地元で働いてお金を貯めたいから」。これら全ては『YES』ではあるが本質ではない。それに、これが理由だとは大きな声では言えない、社会的に。大人の事情的に。

 もう少し踏み込んで考えてみる。なぜ人材派遣という仕事を選んだのか。
正直なところ、やりたくて仕方なくて選んだ業種ではない。私は大学を卒業したら本当は留学したかった。とにかく、海外に行きたかった。私のサイズ感に合う、欧米に。在学中、短期留学にも行ったし、教育学部の体育科だったにも関わらず、ちょっと背伸びして英語科の授業も受けていた。トレードマークのジャージを脱ぎ捨て、クラスの中で言葉少なにミステリアスな雰囲気を醸し出していた。それはほとんど喋れないからだけど。とは言え、元々英語は好きだったし、成績も悪くなかった、それに英語の授業が楽しかった。海外に行って英語を身に付け、柔軟な価値観を纏えば、どこでだって生きていけると信じていた。しかし現実は甘くない。卒業したら留学したいと親に告げると猛反対された。ただ海外に行って何になるの、と。お金はどうするの、と。私の持ってる反撃カードはいつだって一つ。
「どうにかなる」だ。
もちろんそのカードは効かない。当時の我が家の家計は楽ではなく、母には、どうして急にそんなこと言い出すの、と泣かれた。私は前々から決めているのに、ギリギリになって言う傾向があった。そのくせ「いやいや、あなたなら分かってたでしょう、私のこと」と思ってしまうタチの悪さを兼ね備えている。私も20歳を越えた大人だったし、泣いている母を放っておけるほど非情ではなかったので、一旦「就職活動するよ」と言っておいた。言っておいたがポイント。とりあえず、”活動”してたら安心するだろうと踏んでいた。それに私は、就活だって「どうにかなる」と思っていた。
 ところがどっこい、またもや現実は甘くない。就活を始めたはいいが、最初のSPIが通らない。それもそうだ。就活対策なんて全くやってないのである。私は教育学部体育学科であるから、クラスの9割は教員志望か大学院進学。就活なんて誰もやっておらず、みんな教員採用試験の準備に取り掛かかっていた。就活をやっていたとしても消防士や公務員が多く、一般企業を志望している人は本当に少なかった。慌てて、SPI対策をしたり、ES(エントリーシート)の書き方を調べたりし始めた。しかし就活は早い者勝ちなところがある。特に大手企業は採用を決めるのが早い。かろうじてまだ間口を広げてくれていた大手企業を片っ端から受けたが、玉砕した。その中でも印象深いのが、出版業界って楽しそうだな~と思って受けた「○談社」(出版社を受けていたとは、今考えると、遠からず縁があるな…笑)。○談社の試験には、SPIの適性・能力テストだけではなく、時事問題も含まれていた。テレビドラマに関する問題だったと思うが、答えは「唐沢寿明」であった。しかしいくら考えても 「とし」の漢字が全く出てこない。俊、敏、利、、、、名前は分かっているのに漢字までたどり着けない。間違いだと分かっていながらも「年明」と書いて出した苦渋の決断を私は忘れない。いつか唐沢さんに会えたら言おう。「唐沢さんに落とされました」と。ただ、唐沢寿明を書けたとて、私は絶対に合格していないのだけど。
 こんな感じで始めた就活だから、なかなか内定をもらえなかった。それに教育学部であるということは意外にもネックになった。「どうして先生にならないんですか」この質問に対する完璧な答えがあったとしたら、教えてほしいと今でも思っている。そうしている内に徐々に地方で採用活動をしている企業は減っていき、広島から東京へと出向かなければ就活が出来なくなっていた。お金だけが消えていき、手元には何も残らない。就活の辛さは、金銭不足でも、内定がもらえないことでもないと私は思っている。内定がもらえないことで生じる、『自己否定』が問題なのだ。自分は誰にも必要とされていないのではないか、ここまで受からないなら自分には何か欠陥があるのではないか、などとネガティブな考えが頭を埋めつくし、自分を追い込んでしまう。私の場合は、腰かけ就活だったお陰で、そこまで落ち込むことはなかった。ただし、ある面接を受けるまでは。

 その会社は、出版つながりで受けた某大手フリーペーパー会社。SPIとESも通り、梅田にあるガラス張りのビルに面接を受けに行った。面接官はおしゃれスーツを着ていて、髪はウエーブが掛かっていた。どう捉えても上から目線な感じで、私は良い印象を持たなかった。そのいけ好かない面接官の質問にうまく答えられなかったのが本当に悔しくて、そこから私の心に火が付いた。もちろん面接は落ちていたが、リベンジしようと誓った。ただその会社に直接的にはリベンジは出来ない。私は寝る間も惜しんで(もちろん寝ている)、そのグループ会社で採用を行っているところを探した。
 すると何ということでしょう。そのグループの人材派遣会社が、広島で説明会と採用試験を行うというではありませんか。すぐに私はエントリーした。説明会の後に一次試験があり、無事通った。そして面接。グループ会社なんだからきっとまたいけ好かない奴が来ると思って、臨戦態勢で向かった。そしたら、お笑い芸人レギュラーの西川さんに似た、ものすごく優しそうな面接官が現れたので拍子抜けした。しかしまだ刀は手にしたままだ。気を抜いてはいけない。だがその人は見た目通り、ものすごく優しくて、私はすっかり気を許してしまった。この会社を受けに来た本当の理由、系列会社の面接に落ちてリベンジしに来たこと ーつまり、この会社で活躍しまくって、こんないい人材を採用しなかったことを後悔させてやろう作戦ー を洗いざらい話してしまった。さらに、派遣はものすごくやりたい仕事ではないということまでも。ここまで言ったら普通落ちるだろ、と言うレベルまでぶちまけた。にも関わらず、その面接は受かった。そして何度かの面接を経て最終面接で東京に行き、人事部長だったかお偉いさんに会い、見事、人生で初めての内定をもらった。ちょうど今頃の暑い時期だった。こうやって振り返ってみると、どうして受かったのか改めて不思議に思う。だけど、この会社に入って本当に良かったと思っている。

 つまり、私の入社動機は極めて不純であり、「なぜこの仕事を選んだか」の問いに対する答えを持っていないのは、至極真っ当なことなのである。私は仕事を始めてから、この答えられない問題の壁にぶち当たり、悩み、諦め、またぶつかりを繰り返していた。私は答えを欲しがる人間だから、答えがない問題は解きたくない。しかし、その答えは自分自身でしか出せないことは分かっていた。

 この答えをこの回で書こうと思っていたのに、就職活動の話が思いのほか長くなってしまったので、また次回にお会いしましょう。読んでくださる皆様本当にありがとうございます。

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