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人生ガチャ①

薄暗い路地に入って、指示通り右に1回、左に2回曲がると、どういうわけか全部の道が細い五差路に出た。そこでアカツキは再びスマホを見た。画面には道案内が表示されているが、次の指示はこうであった。

「これだと思う道を選び、進んで下さい」

アカツキは選ぶのが苦手だ。うどんかそばの2択だって少なく見積もって15分はかかるのに、5つのうちから1つを選ぶなんて、途方もない重労働だ。しかもこの道には特徴がない。全部同じ幅で同じ色で、一寸先は見えない。一体どこにつながっているのか。戻ってしまおうか、とも思った。

しかし。

元来た道を進むのも1つの選択である。そして来た道も同じように一寸先は闇。この分岐点に辿り着いた時点で、選ばないという選択肢は選べないのだと、そう悟ったと同時にこうも思った。

選ぶのが嫌なくせに、運命だとか宿命だとかは受け入れたくないんだな。

人生は選択の連続だと誰かが言っていた。だが人間は楽をしたい生き物だから、決断することを避け、言われるがままに行動する傾向があるとも言った。それがカルトや宗教にハマってしまう根本的な理由らしい。

じゃあ俺は本来カルトにハマるべき男なのだろうか、アカツキは考えた。

確かに怪しいDMを開き、そこに書いてある内容のままにここへやって来た。まだ目的地には辿り着いてないが。もしとんでもない事件に巻き込まれても世間は同情してくれないだろう。しかし彼は今の人生が変えられるなら、それくらいのリスクを冒しても構わないと思えた。努力や苦労をいくら積み重ねても変えられない、運命とか宿命とかによって一方的に押しつけられた今の環境を変えられるならば…

俺は全てのガチャに外れた。
親も、親戚も、友達も先生も、ハズレ。

もしかしたら自分に問題があるのかもしれないと、自己分析したり、いろんな啓発本を読んだり、唯一の友人ヒグレに相談したりした。だが調べた限り問題は見当たらなかったし、「アカツキは普通だ」とヒグレは言ってくれた。結果、どう考えても周りの奴らが狂っている、という結論を出したのであった。

不思議と、ヒグレとは出会ったときから気が合った。誰かを悪く言うこともないし、俺の話を興味深げに聞いてくれる。ヒグレの話は突拍子もないが面白い。思い返せば、カルトの話をしてくれたのもヒグレだったような気がする。

二人の関係性を手っ取り早く説明するとするならば、友達、いやどちらかというと、親友よりの友達、だとアカツキは思っていた。ただお互いに確認などはしたことはない。「俺らって友達だよな」などは、この世にあるありとあらゆる恥ずかしい言葉に認定していたからだ。

そのDMには「人生にまつわるガチャを1回だけ引ける」と書かれてあった。その代わり、元々持っていたものは一生返すことが出来ない、と。例えば「親」が出たら今の親とはおさらばで、新しい親と暮らしていくという意味であった。

アカツキにはアルコール依存症でDVが趣味の父と、若年性認知症で奇行の絶えない母がいる。家はゴミ屋敷で親戚や近所からも疎まれている。もちろん貧乏でその日暮らし。そのおかげで毎日バイトに明け暮れていて、学生生活を楽しむことすら許されない。

ヒグレ以外の友人(というかクラスメイト)はアカツキからすると、思考能力が低く、バカ、ヤバ、ウザ、が唯一持ち合わせた言語かと思えるくらい、大抵の会話をそれでやり過ごしているように見える。中身のないくだらない話にシンバルを叩く猿のオモチャように爆笑している彼らを視界の端っこの方で捉えている。

アカツキの担任は彼らを「元気だなぁ」と呆れながらも可愛がっているように見えた。元気というよりも単細胞なだけで、その存在が明らかに迷惑だと言わんばかりに睨みつけるが、担任も彼らも一切アカツキを見てはいない。気に掛けられたくないが、全く無視に近い無関心だとどうも苛立ちを覚える不具合をアカツキは常に抱えていた。

とにかく自分の周りを取り囲む人間が、もはや人間のみならず、そこら中にいる犬猫や、自然現象である天気すらも、ガチャに外れたと考えてしまうようになっていた。だから、怪しいDMに従ってここまで来た。

アカツキは五差路の真ん中で長いこと思案していたので、既にどこから来たかは分からなくなっていた。

すると、彼の向かって右斜め前の道に人影が見えた。正確には見えたような気がした。もしかしたらその人影も、同じような経緯でここにたどり着いたのかもしれない。その人影の亡霊に導かれるように、アカツキは自分の右足を前に出した。

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続く。

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