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わたしは嵐でした。

先日、ジャニーズグループ『嵐』が活動休止を発表した。詳しく書かなくともそのニュースはほとんどの人が知っていることだろう。5人揃っての会見を開き、2020年12月31日をもっての活動休止とその決断に至るまでの経緯について語った。活動休止については寂しさを感じるものの、5人それぞれの葛藤やグループへの思いがストレートに伝わり、ますます好感度が上がったのではないかと思う。

私が「嵐」と聞いて思うのは、「わたし」である。それは、同世代である彼らと共に成長してきたような気持ち、という意味ではない。

ではなぜ「わたし」なのか。それは、私のコートネームが「嵐」だったからである。コートネームに馴染みのない人が多いと思うので説明させて頂く。簡単に言うと、コート内での呼び名である。私はバレーボールの特待生として高校に入学した。バレーボールの強豪校は大抵、コートネームが存在する(バスケット界にもある)。年が上でも下でも気を遣うことなく、コート内で名前を呼び合うためのあだ名であると認識している。先輩を本名では呼び捨てしにくいが、あだ名ならば呼びやすいということだと思う。

私の高校では入学した時の3年生が名付け親となる。「ヒカリ」「アオイ」など現代でもありそうなコートネームから、「スカイ」「ライム」などキラキラネームっぽいもの、「ムサシ」「ジョー」などアニメチック系など、その種類は多岐にわたる。また、〇代目△△△のような、かつて活躍した先輩方の名前を、期待を込めて襲名させられることもある。逆にかつていた先輩方でも、途中で退部してしまった方などはその名の歴史が途絶えてしまうこともあると聞いた。

もちろん、どんな名前にも「思い」が込められている。「ヒカリ」なら分かりやすく「光り輝く」だし、「ライム」は「来夢」と書くので「夢が来る(叶う)」の意味がある。3年生が1年生への、思いが詰まった名前のプレゼントなのである。

私へのプレゼントは「嵐」であった。入部した高校1年時は1998年。グループ『嵐』結成の1年前である。そして1999年に『嵐』が誕生し、翌2000年から4年間、春の高校バレーの応援ソングを歌っている。そうなるともう、私のコートネームである「嵐」よりも、ジャニーズの『嵐』のほうが当たり前だけど有名になるのである。そうなると、私のコートネームも「ジャニーズから取ったの?」となっちゃうのである。私の方が先なのに……。

ちなみにグループ『嵐』の由来は

「世界中に嵐を巻き起こす」という意味のほか、五十音で最初の「あ」、アルファベットでも最初の「A」で始まることから、「頂点に立つ」という意味も込めて「嵐」と命名された。

とあるが、私の「嵐」も『嵐を起こせ』から来ていることだけ伝えておく。「あ」と「A」のほうの由来は特に先輩からは聞いていない。

このコートネームと言うのは、部活内だけで使われるわけではなく、校内でも使われる。クラスメイトもみんな私のことを「嵐」と呼ぶ。だから私は高校時代、紛れもなく「嵐」だったのだ。今でも、高校時代の友人は「嵐」と呼ぶ。オシャレなカフェでお茶していても。だからもう私の名前なのだ。

『嵐』が活動休止すると聞いて、私の「嵐」も一区切りついたように感じている。高校を卒業して20年近く経とうとしている今、嵐と呼ぶ友人に会う機会も減った。また長い付き合いの中で、「嵐」から私の本名へと呼び方を変える友人も多い(呼ぶのが恥ずかしいのか?)。つまり、私のことを「嵐」と呼んでくれる人はもうほとんどいないのだ。ちょっと寂しい気もするけど、それが現実。それが年を重ねると言うことだろう。

『嵐』はこれから約2年の期間を持って、活動休止へと向かっていく。

--じゃあ、私は。

「嵐」であった自分を大切に胸にしまって、本名である「麻利央」を背負って、しっかりと歩いていきたい、そう思う。

『嵐』のメンバーである、大野智さん、櫻井翔さん、相葉雅紀さん、二宮和也さん、松本潤さんも、しばらくは『嵐』の看板を下ろし、それぞれの名前で活動していくのだから…。


ちなみに。
大学時代のコートネームは「ルイ」でした。

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