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専用車両は居場所がない。④両目


「助けて下さい」

 私はとても焦っていた。というよりも、かなりヤバい状態だった。一緒に乗っていたはずの娘が見当たらない。とは言っても、ここは仕事専用車両なので子連れで乗ることはできない。二つ隣の車両「子ども専用車両」に乗せて、私が来るまで待っているように言っておいた。子ども専用車両は未就学児のみの乗れる車両で、車両には保育士が二人乗っている。娘はその車両でよく友達を作っていて、これまでいなくなるなんてことはなかった。少し前に様子を見に行ったら、姿がなかった。いくつかの車両を探してみたが見つけることが出来ない。一旦落ち着こうと思ってこの車両に戻ってきたが、どうしていいのか分からない。もしかして、どこかで降りてしまったのだろうか。誰か知らない人に着いていってしまったのだろうか。考えれば考えるほど、悪い方向に思考は流れていく。
 すると隣の席に、ここが仕事専用車両にも関わらず仕事をする気配が全くない、どう見ても暇そうな若者が乗ってきた。それは20代前半の男性で、どこか遠い目で焦点が合ってないように見えた。もしかしたら危険な男かもしれない。しかし、その掴みどころのない目をした彼に引き寄せられた私は、思い切って助けを求めることにした。スマホに「助けて下さい」と入力して、画面を見せたのだ。が、画面を見て表情を変えた。それもそのはず、何を助けてほしいのか、伝えきれていないのだ。私は続いて文字を入力した。

「娘がいなくなってしまって。子ども専用車両に乗っていたのだすが」

 打ち間違いはこの際気にしない。とにかく早く伝えないと怪しまれてしまう。男性はそれを読んで、何か言った。口元と表情を見て、私は読み取ろうとした。

「本当ですか?」

 おそらくそう言った。私は大きく頷いた。そしてまた文字を入力した。

「代わりに探してもらえませんか。娘の名前は、星野ひかり」

 画面を見せた後、娘の写真を彼に見せると、また何か言った。しかし、読み取れなかった。私は手で耳と口を指したあと「×」を作った。彼は目線を左斜め上に動かし、眉間にしわを寄せ、何かを思案しているようだった。私はもう一度大きく、口元に置いたグーにした手をパーに開く仕草と、両耳を両手の人差し指で指し示し、首を振りながら両手で「×」を作った。それで彼はようやく私の耳が聞こえず、話も出来ないことを理解した。それで私は彼にスマホを渡して、入力するように合図した。彼は少し悩んだ後、ゆっくりと画面上で指を動かし始めた。

「年齢は?服は?特徴は?」

 画面にはそう表示されていた。

「5歳 ピンクのワンピース ポニーテール 左目元に小さなほくろ」

 私は素早く打ち込んで彼に見せた。私はひかりの目元のほくろが大好きだった。泣き顔をひときわ悲しそうに見せ、笑顔を二倍にも三倍にも可愛らしく見せるその黒い小さな点が。ポニーテールはひかりがいつも結んでとせがんでくるのでしてあげていた。彼女の髪の毛は少ないから、ポニーのしっぽみたいに存在感はないけれど。
 しかし改めて考えてみると、見ず知らずのどこの馬の骨とも分からない青年に、娘を探してくれなんていうのはおかしな話だと気付いた私は、申し訳なさそうな、笑っているような泣いているような表情を作って彼を上目遣いに見た。すると彼は、スマホに何かを素早く入力してから私に寄越し、意を決した顔で突然立ち上がって隣の車両へ移動していった。

「必ず探してみせます。僕の名前は 羽田 光です」

 どこかで聞いた…ことのある名前だと思った。だけど思い出すことは出来なかった。

ハネダ…ハタ…?
ヒカリ?ヒカル?ミツル?

 どうにでも読めるけれど、どうにも読めないような気がした。しかし、その名前に私は一筋の光が見えたような気がしていた。

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 その女性が慌てていることは表情を見て理解した。だが、突然「助けて下さい」と言われても、僕は戸惑うことしかできない。しかも言葉で「言われた」のではなく、文字を「見せられた」のだ。彼女が今どういう状況なのか、なぜ話が出来ないのか、何を僕にしてほしいのか、まったく分からない。すると彼女は自分の口元と耳を指した後、「×」を作った。僕は思った。彼女を盗聴しているスパイか、同じ組織の仲間がいて、今まさに何か大きなミッションか裏切りを行おうとしているのではないかと。僕がそれに関わったら命の危険に晒されるのではと、同じ車両に乗っている人たちをくまなく眺め、それらしい人物を探した。が、そんなこと分かるはずもない。誰しもが忙しそうにパソコンやスマホとにらめっこして、我が我がと誰かと大きな声で電話で交渉をしている。そんなことを色々と想像していたら、女性は僕の肩を強くたたき、もう一度大きなジェスチャーをした。それを見てようやく気付いた。

 彼女は話が出来ない。耳が聞こえない。

 彼女の眼は真っすぐに僕を捉えていた。そこから逃げることなど出来ないと手錠を掛けられているような強い視線だった。声ではなく目力で直接心の中に語り掛けているような錯覚を覚えた。気が付くと僕は、彼女の娘の特徴を聞くための文面を自然と入力していた。僕は自ら何かアクションを起こすタイプではない。ひときわ飛び出しもせず、ひときわ出来が悪いわけでもない。目立たず、落ちぶれもせず、個性を出さず、生きてきた。しかし、与えられた仕事はきちんとやり遂げる、このことに関しては自信があった。だから僕は、彼女から娘を探してほしいと言う任務を与えられたからには、そこから逃げることはしないし、ゴールに向かって走るだけと思った。その任務を全うしますと言う誓いをこめて、スマホに僕の意思と名前を入力した。彼女は文字に目を走らせた後、角度にして10度くらい、少しだけ首を傾げた後、また力強い目で僕を見て、大きく頭を下げた。

 気付いたら、隣の車両に僕は立っていた。

🚋

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