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ひきこもり日記*note疲れ、マンネリ どうする?

レビューしたい本が10冊ほど積んである。電子書籍で読んだ本も含めれば相当な数になる。書かないで放置したまま、本たちはわたしの記憶からなくなるのだろうか。
今読んでいる本は1行読んだだけで「あ、これ読んだことある」と思いつつ全く記憶になく、初めて読んだように進めてもうすぐ読み終わる。書いて、記憶に定着させることが目的で、今までレビューを書いてきた。
もちろん読んだ本を全部、書いてるわけじゃない。
Notionにだけ感想を書いてる本だってあるけど、なんとなく人に読んでもらう前提で書いた方が、こころを込めて感想を記録できるような気がしてる。

感じたことを切り取ること。それに夢中になった、今までのnote時間。
note疲れというほどまめに書いてないし、それほど飽きてもいないが、やっぱりマンネリというか馴れ合いというか、そんな感覚になって、しかし、ここまで生活の、いやじぶんの一部になったnoteをスパッとやめることは難しいような気もしてる。

前回書いてから1週間noteを放置した。1週間前のこころの切り取り記事がそのまま放置したように、画面に残ってる。1週間前のわたしのまま終わっていると、いいも悪いも違和感がある。
刻々と変化してる世界にじぶんだけが取り残されたようにそこにいる。
世界中が1秒前とは違う世界だから、その時を切り取って書いておきたい。変化が見えるのは楽しいし、ささいなことだって残しておくことで、あとで読んだ時に違うってことを認識できるから。

あんまりスタンスは変わってないけど、無理なく書いてることが続けられてる秘訣かなと思う。
じぶんが書くことだけじゃなく「スキ返し」も、もちろん読みたいから読みにいってるけど、スキ制限やそもそも時間をとれないとき(いや時間はあるけど他のことに夢中でnote時間をとってないとき)に、「あーお返しスキができてないー」と焦るじぶんがいる。
わたしの記事をスキだと言ってくれる人の記事を知りたい気持ちはたくさんあるけど、世界は変化してて、じぶんも相手も変化しながら進んでる。
焦ることないんじゃないかなあと思ったりして。
勝手だけどじぶんがしっくり読めるときに味わって読みたいから、相手も待ってくれてると信じて、ひとつひとつの記事を丁寧に読みたい気持ちになっている。

空の写真を撮っていて、二度とこの空を再現できないからこそ、切り取りたいって思う。それと同じ感覚かなあ。

あ、いくつか空の写真に「Thank you」の言葉の画像と読書日記と映画感想の画像をみんなのフォトギャラリーにあげてます。使っていただいてありがとうございます。(PONOで検索した方が早いのでわたしは検索して使っています)

なんかずっと変わらない人と久しぶりに話して、わたしは変化していきたいし、大事なものを見極めて、進みたいなとあらためて感じた秋の1週間でした。



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