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カンピロバクターと"怖い"

「カンピロバクターと"怖い"」という題名だが、カンピロバクター腸炎にかかった経験談、ではない。今、まさに、カンピロバクターにかかるんじゃないかと怖がっているっていう少し特殊な状況に置かれている人の話だ。そして、怖いという感情について少し考えてしまったっていう話でもある。

カンピロバクターの恐ろしさ

そもそもなぜカンピロバクターを怖がっているかというと、つい最近、生焼けの鶏肉を食べてしまったような気がするからだ。調理時の加熱が甘かった自覚があり、若干赤みが残っていたにもかかわらずそのまま食べてしまった。そのときはたぶん大丈夫だろうと思っていた。

あとから調べて、血の気が引いた。鶏肉のほとんどにはカンピロバクターが存在しているとされている。殺菌するには75℃で一分以上加熱する必要がある。明らかに加熱が足りなかった。
発病率も高く、数百個程度が体内に入るだけで増殖すると考えられ、2~5日の潜伏期間を経て発病する。症状としては腹痛、下痢、嘔吐、発熱などがあげられ、一週間以内でおさまる。特に下痢の症状が重いそうだ。治療は対症療法となる。

ここまで調べて恐怖におののき、やるべきことにも手が付かないのだが、ちょっと不思議に思っていることがある。

死にやしない

カンピロバクター腸炎にかかったところで、生命の危機が迫るところまで重症化することは滅多にないそうだ。たかが一週間、腹痛や下痢といった症状に苦しむだけである。それなのに、なぜこんなに怖いと思うのだろうか。
しかも、自分はまだ発症すらしていない。もし菌を保有していない鶏肉だったら?もしちゃんと加熱出来ていたら?発病しない可能性だって当然あるのに、なんで怖いと思うのだろうか。

ここまで考えて、一つのアイデアが浮かんだ。

可能性・未来に起こる事に「怖い」と思う

つまり、「怖い」というのはこれから起こるかもしれないことに対する感情なのではないかということだ。
カンピロバクターにかかったかもしれない。発病する前に出来ることはない。これから一週間下痢や嘔吐に苦しむかもしれない。それが怖い。

シマウマがライオンに襲われそうになっている。そのときおそらくシマウマは「怖い」と感じているが、もしかしたらライオンは、シマウマの頭の上に生えてる黒い毛を一束頂きたいと思っているだけかもしれない。食べられてしまうかはまだわからない。それでも普通のライオンなら食べるだろう。それが怖い。

可能性に対する感情は損?

怖いという感情は、未来に対する負の感情だが、未来に対する明るい感情もある。捕らぬ狸の皮算用というように、何かに期待するような感情はその一例だ。このことわざでは、そういった感情に振り回されず、地に足をつけなさいと説いている。

では、可能性に対する感情は損なのだろうか。
怖いという感情が損になることは当然ある。シマウマが過剰に怖いと思ってしまったら、安心して草を食べることもできないし、水飲み場に出かけていくこともできない。F1レーサーが過剰に怖いと思ってしまったら、攻めたレースができず良い結果は出ない。
一方で、怖いという感情が無かったら、シマウマはすぐにライオンに捕まるし、F1レーサーは大事故を起こす。怖いという感情は、命を守る点で得になる。

期待するという感情が得になる場合としては、例えば投資などをするときに生かされるように思うし、受験で自分の実力より上の学校を受けるときにも役立つ。

まとめ : 怖がり方が大事では?

というわけで結局、「バランスが大事」というありふれた結論に落ち着いたのだが、大切なのは怖がり方だと思う。

カンピロバクターにかかりそうになっている今の自分の場合、外出時に吐き気をもよおしたらどうするか、自宅で寝込むだけの食料があるか、といったことを解決すれば、あとは気にせずいつも通りの暮らしをするべきであろう。
怖い、怖いと言っていても物事は先に進まない。感情は感情として持っていても良いので、落ち着いたらまずは一度感情を外に置き、合理的にやるべきことを整えることが必要だ。それをすぐに出来る人が、「デキる人」なのだと思う。

というわけで早速、エチケット袋を持って、アクエリアスとうどんを買いにスーパーまで行ってきます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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