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【歴史/架空】『Southern Victory』(SV)解説・解読/アメリカ南北戦争で南軍が勝ったら……この前提でも特に濃厚な未邦訳長編シリーズを概観

こちらのポストですね。

ははあ、名作映画『市民ケーン(Citizen Kane)』のチャールズ・フォスター・ケーンがおそらくニューヨーク州知事選挙でつまづかず、ジェデッドアイア・リーランドとともに大出世を果たした世界か。面白いな。

そう考えておったところ。

確かに、そこにはifの楽しみが眠っとりますわいね。

そうなると、せっかくなら日本語に翻訳されてない歴史改変モノに面白いのが眠っとりゃせんか。そう考えた結果、アメリカで10冊を超える大型歴史改変モノを見つけました。しかも、SF的要素なしタイプの歴史if、世界史ifです。

それがファンタジー作家から歴史改変タイプの作家へ転身した「ハリイ・タートルダヴ(Harry Turtledove)」による、『Southern Victory』シリーズです。1862年から1882年までの歴史を描く1冊目の『How Few Remain』が1997年に出版されたところ、これがヒットした様子。

1998年から2007年にかけて、「Great War(大戦)」三部作、「Amerian Empire(アメリカ帝国)」三部作、そして「Settling Accounts(決済)」四部作、合計10冊の長編によって、南北戦争の南軍勝利からWW2終戦までを描く超大作になりました。

ハリイ・タートルダヴの著作は、かつて彼がファンタジー作家だったころの著作が1冊、『精霊がいっぱい!(The Case of the Toxic Spell Dump)』としてハヤカワ文庫から上下巻が出ていますが(1999年翻訳版発売)、ほかはすべて未邦訳ですね。

では、個人的にはわりと好みな『Southern Victory』シリーズの歴史を見ていきたいと思います。

なお、海外にファンが作家かつシリーズということで、HoI4のMODもあるんですが、α版で開発が止まってます。その意味でも、ちょっと掘り下げてみるのは楽しそうです。

【2023年9月8日:6時過ぎくらいに書き始め、22時くらいに記事書き終わり後に追記】

軽い気持ちで、書き始めた記事だったんです。

14時間経ってました。

という内容を末尾に書いたんですが、末尾に書いたって困るはずなので……。

本来、小説で描かれている部分は年表と断片情報がメインです。なので、それをつなぐために、自分の小説技法を使いました。なので、情報記事にしては冗長な箇所があるため、適度に飛ばし読みをしてください。具体的には、戦間期が中くらい、WW2の後半はほとんど"つなぎ"です。

【2023年9月9日:20:54追記】
この世界が滅びそうな結末要素の遺漏を発見したので、原作の内容であることを確認したうえで再構築し、最後から2番目の見出しとして追記しました。

以下、『Southern Victory(SV)』世界の包括的な概観が始まります。


すべては"Special Orders 191(特別命令191号)"から始まった

葉巻3本の入った箱とそれを包む紙に
"Special Orders 191(特別命令191号)"

このシリーズの歴史が史実から分岐するのは、アメリカ南北戦争のなかでも特に重要な1862年、「アンティータムの戦い(Battle of Antietam)」の直前です。

当時、アメリカ連合国(CSA)と南軍(Confederate)に優秀な人材が多く流れたことから、アメリカ合衆国(USA)と北軍(Union)は苦戦を強いられていました。

とりわけ、エイブラハム・リンカーン大統領は戦局を打開するための奴隷解放宣言の準備を整えていましたが、「敗勢のなかでの宣言は苦境を明らかにし、北部に残る奴隷制擁護者たちの反発が想定より強まりかねない」という事情があったため、どうしても大きな勝利の後に同宣言を発表する必要がありました。

しかし、現代に至るまで神格化されるほどの人気と指導力を誇ったロバート・E・リー将軍は、急造の南軍を郷土愛に燃える軍隊に育てあげ、米墨戦争などの実戦経験豊かな将軍たちにこれを託したことで、数的不利を幾度となく覆したのです。

ただ、結果的に2倍の数の北軍、ならびに総指揮官のマクレラン将軍の高い軍政能力と慎重さによって、アンティータムの戦いで勝利を得ることになるのですが……史実として、この戦いの直前にリー将軍直筆の命令書が紛失するというイベントが起きています。

これが「"Special Order 191(特別命令191号)"の紛失」であり、北軍兵士がこれを畑で回収したことで、マクレラン将軍が「私は南軍の意図を理解した!」と狂喜したと伝えられています。

もっとも、マクレラン将軍が慎重居士に過ぎる性格であったために「南北戦争が3年延びた」とも言われ、他方で「その慎重さゆえに物量を完全に活かしきり、リー将軍をして『北軍で最も優秀な指揮官はマクレラン。疑いようもなく』と述懐せしめた」伝説にもなっているため、そもそも特別命令191号の内容も偽情報として疑っていたもと考えられています。

一方、リー将軍の特別命令を入手した後に限って、マクレラン将軍はほかの場面に似合わずに攻勢を決意。北軍名称「サウスマウンテンの戦い(Battle of South Mountain)」、南軍名称「ブーンズバラギャップの戦い(Battle of Boonsboro Gap)」へと突入。勝利を得ます。

この作戦行動によって、「D-Dayや911テロよりも多く、1日で最も多くのアメリカ人が死んだ日」であるアンティータムの戦いへと至る決定的な契機になりました。

それは人的資源を始めとした、各種の余剰資源に劣る連合国と南軍にとっては大きな痛手であり、対照的にリンカーン大統領が奴隷解放宣言を勝利の栄光のなかで発表する最大の機会を提供するものでした。

長くなりましたが、そんな「スペシャルオーダー」が、"南軍の兵士によって無事に回収されたところ"が、『Southern Victory』シリーズにおける歴史の大きな分岐の始まりであり、同シリーズが「Timeline-191」とも呼称される理由になります。

これは南軍から見れば、「失われた文書(Lost Dispatch)」や「失われた命令(Lost Order)」とも呼ばれる出来事が"起きなかった"ということにもなるでしょう。

なお、特別命令191号の内容は、「リー将軍が統率する北バージニア軍すべての行動計画の詳細」であり、すなわちこのメリーランド方面作戦と呼ばれる一連の戦役の「各軍の戦略方針の記述」であり、当初はマクレラン将軍が誤認していた北バージニア軍の規模が「想定より少ない」ことさえ示していたと言います。なるほど、ifを書きたくなる題材です。

ロバート・E・リー将軍は合衆国を叩きのめす

Robert Edward Lee

ロバート・エドワード・リー。父はアメリカ独立戦争において竜騎兵を率いて英雄的活躍をしたヘンリー・リー3世。叔父は大陸会議の第6代議長であるリチャード・ヘンリー・リー。母のアン・ヒル・カーター・リーは、祖先にトマス・モア、より遠くはスコットランド王国ステュアート朝(1714年アン女王で断絶)の創始者であるロバート2世がいるという、「アメリカに歴史の連続性をもたらす血筋」です。

1807年生まれで、アンティータムの戦い直前は満54歳。ウェストポイント陸軍士官学校を次席で卒業し、1846年から1848年まで米墨戦争に従軍。ここで功績をあげたことで、ウェストポイントの校長に抜擢され、3年後には中佐に昇格してテキサス州へ赴任。

1859年には、現代でも「偉人であり、アメリカのあらゆるテロリストの源流」とさえ言われる急進的奴隷制廃止運動家の「ジョン・ブラウンの反乱」を鮮やかに鎮圧し、南北戦争の直前には合衆国陸軍の司令官就任を請われたものの辞退。いくつもの理由が考えられるものの、生まれ故郷のバージニア州への郷土愛……というのが基本線です。

● 奴隷制には哲学的に反対ながら、法律に則った合法性も認めていて、実際に奴隷を所有していた。

● 南部の離脱(反乱)には反対であり、もし戦争に突入したなら南部に待つのは破滅だろうと予期した書簡が残っている。

● 北軍退役ならびに南軍所属の後も、まずはジェファーソン・デイヴィス大統領の上級軍事顧問となって、自ら総司令官になろうとはしなかった。

● 寡兵でめちゃ勝つ、偵察衛星持ってんのかってくらい的確な軍隊の運用で勝つ。

などの伝説によって、現代に至るまで「アメリカ史上有数の名将」かつ「南部の正義or大義を代表する英雄」に押し上げられたお方。

そんなリー将軍の命令が滞りなく実行された場合、少なくとも有力な評として「軍政家としてはともかく、慎重さと細心さが勝ちすぎて大軍の司令官に向いていないマクレラン将軍(でも、一番司令官としての才能も認めたのは皮肉にもリー将軍)」なら、これを打ち破ってワシントンD.C.さえも陥落せしめるのでは……?

本題/キャンプヒル決戦/アメリカ連合国独立成功(1862)

CSAの前半期の国旗"Stars and Bars"

はい、リーおじさんの伝説で長くなりましたが、特別命令191号が敵の手に渡らなかったため、1862年9月1のメリーランド方面作戦はすべて南軍の主導権のもとで進行。

マクレラン将軍率いる北軍主力のポトマック軍は、ペンシルベニア州キャンプヒルで壊滅することになります(キャンプヒルも実在の地名で、当地の平和教会の会衆が分裂したことに由来するのが通説とのこと……この歴史の題材として象徴的な場所だなあ)。

リー将軍と北バージニア軍は、勢いに乗ってフィラデルフィアまでも一気に占領。事ここに至り、状況を見守っていた列強の英仏がCSAに国家承認を与えたため、USAはこの戦争の敗北を認めることになりました。正義のもとでの「離脱戦争」は完遂されたのです。

戦争終結後、CSAはケンタッキー州やインディアン準州(史実オクラホマ州)を獲得。加えて、1871年にはスペイン王国からキューバ島を購入。カルロス・マヌエル・デ・セスペデスが主導した史実の第一次キューバ独立戦争(アメリカ併合要求)、続く完全独立を目指した第二次キューバ独立戦争、さらに発展して米西戦争という流れとは、まるで違った形でアメリカ勢力圏に入ることになりました。

これより少し前、史実どおりにロシア帝国がアメリカ合衆国にアラスカの売却を提案します。提案価格も史実どおりの720万USドル。当時は「巨大な冷凍庫(保冷庫)」と揶揄されたアラスカは、のちに金やら石油やらが出て「冒頓単于くんも土地は国の根本やぞ言うとったわ」展開になりますが……。

CSAにズタボロにされたUSAは終戦直後の1863年に経済崩壊を起こしており、1USドルの価値が33分の1にまで下落。リンカーン大統領肝いりの大陸横断鉄道の完成によってやっとこさ回復に戻る中途であり、この段階でアラスカを購入することはできませんでした。

という前史があって、やっと『Southern Victory』シリーズの第1作である『How Few Remain(残りわずか)』が始まります。まだ本編は始まってなかったんですか!?

なお、ほかに前史の情報は以下のとおり。

1863年:カナダ自治領が成立
(史実は1867年に英領北アメリカ法で自治領成立)

1864年:エイブラハム・リンカーン(共和党)が大統領選挙で落選
(史実は南北戦争継続中で再選)

1871年:普仏戦争でプロイセンが勝利、ヴェルサイユ宮殿鏡の間で戴冠式
(史実どおり)

1876年:USA大統領選挙でサミュエル・ティルデン(民主党)が当選
(史実でも1876年大統領選挙に民主党から立候補、合衆国史上唯一の選挙人投票1票差で落選)

1879年:CSA大統領選挙でジェイムズ・ロングストリート(ホイッグ党)が当選
 史実では南軍の有力な将軍。戦後、ユリシーズ・グラント将軍と旧友だったこともあって、合衆国の発展に貢献……という選択をしたため、南部の大義を主張する勢力から叩かれたし、今でも世代を超えて叩かれ、何なら「南軍が負けたのはこいつのせい」くらいの扱いを受けている。
 ゲティスバーグで珍しく冷静さを欠いていたリー将軍に抗命し、しかもこの会戦の敗北を決定づけた最大要因とされる「ピケットの突撃(Pickett's Charge/寡兵で勝利し続けた南軍が、この時だけは損失率5割を超えた)」を黙認したことで、「偉大にして無謬のリー」と対比する存在として最適な条件がそろってしまった。

1880年:USA大統領選挙でジェームズ・G・ブレイン(共和党)が当選
(史実ではガーフィールド政権およびアーサー政権で国務長官。1884年大統領選挙に出馬するも、スキャンダルの拡大で落選した。では、次の項目をご覧ください。この世界でもひどい目に遭います)

第二次米墨戦争(1881)

グアダルーペ・イダルゴ条約割譲領域(赤)
1853年 ガズデン購入による追加譲渡(橙)

史実では、1846年から1848年まで、アメリカ合衆国がメキシコ共和国(1824年から米墨戦争勃発まで。以降はメキシコ"合衆国"に戻る)と戦ったのが米墨戦争でした。この戦争によって、グアダルーペ・イダルゴ条約が締結。

アメリカは現在のテキサス州、コロラド州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、ワイオミング州にまたがる領域、そしてカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州を獲得し、とうとう太平洋岸を広く占める巨大な土地を買い上げることになります。

そのうえ、米墨戦争終結の年である1848年にはカリフォルニア州で金が見つかり、アメリカ合衆国の勝利も手伝って「Go West」する者たちが1848年から翌1849年にかけて急増。彼らは「フォーティナイナーズ(Forty-niners/49ers)」と呼ばれ、西部開拓の原動力になり、ツルハシ売り、ジーンズ売り、テント売りが大儲けしました。リーバイス狙い撃ちかな?

ところが、この世界での北米大陸の動乱は続きます。いよいよ始まった小説本編、1881年。CSAはメキシコ帝国からソノラ州とチワワ州の購入を決定します。なお、両州とも史実では現在もメキシコの領土です。

マクシミリアーノ1世の史実における悲劇的最期(1867)

Maximiliano I

また、メキシコ帝国は史実で存在しましたが、これはメキシコ皇帝マクシミリアン、スペイン語名「マクシミリアーノ1世」が、フランス第二帝政のナポレオン3世の支援によってメキシコ王党派を母体とする帝政創設を成し遂げたもの。

ムスカ大佐より長いフルネームもあり、「フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン」と……かのマリア・テレジアとフランツ1世に始まるハプスブルク=ロートリンゲン家の出自です。WW1勃発の時のヒゲのおじいちゃんこと、フランツ・ヨーゼフ1世の弟といったほうが早かった気はする。

史実では諸外国の承認を受けられず、国内でも支持を伸ばせず、しかもナポレオン3世がメキシコ放棄を決定し、軍事裁判の後に銃殺刑という最期を迎えました。1863年の戴冠から3年強ののち、1867年のことです。


「私はメキシコの独立と自由という大義のために死のう。今ここに流される血が、私の新たな祖国の不幸を終わらせんことを望む! メキシコ万歳! 独立万歳!」

Voy a morir por una causa justa, la de la independencia y libertad de México.
¡Que mi sangre selle las desgracias de mi nueva patria!
¡Viva México!
¡Viva la Independencia!


マクシミリアーノ1世が貴顕の覚悟を見せたこと、同時に処刑された将軍たちがともに皇帝への万歳を叫びながら死んでいったこと、しかも銃殺刑による弾丸で皇帝が即死せず、ついに当時19歳の若い兵士が至近距離から"介錯"をしたこと。これはショックだったのか、銃殺刑の責任者は「諸君、これらの責任はすべてフランスにある」と言葉を発したそうです。

なお、皇帝にとどめを刺したと主張する19歳の少年の名前は、アウレリアーノ・ブランケ。

この処刑から46年後、史実の1913年2月9日から2月19日にかけて「悲劇の十日間」と呼ばれるクーデターが発生。アメリカ合衆国タフト政権の支援を受けたウエルタ将軍らが大統領および副大統領を拘束し、裁判なしに暗殺。ブランケはこのクーデター側についた有力な将軍として名を連ね、事件の前後を通じて革命派を虐殺したことで「最も残虐で血に飢えた男」と評されるまでになりました。

いずれにせよ、「メキシコを見捨てたナポレオン3世」が今も昔もがっつり白眼視されるエピソードなわけですが、なんと南北戦争が"離脱戦争"として1862年から63年にかけての早期のCSA誕生につながった結果、無事に「アブスブルゴ朝メキシコ帝国」が軌道に乗り、1881年を迎えていました。

残念ながら、マクシミリアーノ1世は当人の気質はどうあれ「王党派に担ぎ出された不人気な君主」という史実の延長線上にあったものの、CSAとフランスの支援によってどうにか権力を維持。仲の良かった兄フランツ・ヨーゼフ1世(1916年没)に比べれば早いとはいえ天寿を全うし、息子のマクシミリアーノ2世が帝冠を戴こうとしています。

マクシミリアーノ2世は後援勢力であるCSAに感謝し、金銭的にも困窮しつつあったこととあわせて、ソノラ州とチワワ州のCSAへの売却に同意したものでした。

第二次米墨戦争勃発(1881)

Theodore Roosevelt Jr.

USAはメキシコの売却を口実とし、メキシコ帝国へ宣戦布告。この時、CSAのロングストリート大統領は巧妙に立ち回り、英仏を味方につけることに成功。こうなると、USAに勝ち筋はありません。USAはCSAだけでなく、カナダ自治領からやってくる英仏軍にまで攻められ、敗戦。ブレイン大統領はメイン州の一部などをカナダに割譲することになりました。

なお「USAvsCSA/GB/FRA/etc.」という悪夢のような構図からもわかるとおり、「第二次米墨戦争なんだけど、実はメキシコは戦場になってすらいないし、戦争において役割も果たしてないので、あくまできっかけになったことを示す名称でしかないよ」という設定がついています。カンブレー同盟戦争みたいなこと言わはる。

一方、USAがこの戦争で大きな勝利を獲得した会戦もあり、そこで活躍したのがセオドア・ルーズベルト将軍とジョージ・アームストロング・カスター将軍でした。

セオドア・ルーズベルトは棍棒外交で知られる、史実のアメリカ合衆国第26代大統領。1901年、副大統領を務めていたF・ルーズベルトは、マッキンリー大統領が無政府主義者に暗殺されたため、当時史上最年少の42歳で大統領に就任しました。

George Armstrong Custer

ジョージ・アームストロング・カスターは、史実でも北軍の騎兵隊で活躍したことで知られています。戦時昇進によって23歳で少将の地位まで手にしたものの、戦後の降格によって不満を抱き、メキシコ軍への移籍などを試みたのちに、代名詞とも言える第7騎兵隊の連隊長に就任。

南北戦争時から変わらぬマスコミ戦略に長けた伊達男っぷりの果てに、ネイティブ・アメリカンが8倍の数で集うところへ無謀な突撃で戦死。それは米国史において、"インディアン戦争"と呼ばれるネイティブ・アメリカンとの戦いのなかでのことでした。

かくて、若くして散華したカスター将軍。20世紀中盤までは「合衆国市民を悪しきインディアンの手から守るために戦い、命がけで抵抗した偉大な英雄」であり、20世紀終盤からは「女性や子どもも含む和平派のネイティブ・アメリカンさえも虐殺した邪悪な白人」という極端な評価の振れ幅を経験する、人間の宿業を体現するかのような存在になりました。

これはカスター将軍について取り扱うウェブサイトにせよ書籍にせよ、概ね触れている点ですが、彼はその最期に比して理知的な一面を持ち合わせています。なお加うるに、南軍やネイティブ・アメリカンに対して破壊的な作戦を実行したウィリアム・シャーマン将軍と同様に、「繊細な一面があり、当時の白人としての常識に則っていて、なおかつ軍人として政府および軍上層部には忠実に従う」共通項があると言われています。

「カスターについて誰か論じる時、中立的な意見は殆どなく、終わりの無い批判と擁護が繰り返される。カスターが知っていた事、知らなかった事、そして知りえなかった事について様々な議論が続けられている。」
— 『ジョージ・アームストロング・カスターの人生と死、そして神話』ルイーズ・バーネット(en)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・アームストロング・カスター

この評価軸の推移は、そうそう無くなるものではないでしょう。

ちなみに、カスター将軍はあのスクウェアの名作ゲーム『LIVE A LIVE』の西部編でも名前だけ登場します。

彼と第7騎兵隊は「1960年代まで映画の主役かつ悲劇のヒーロー」「1970年代からは力弱き人々を文明の力で圧殺してまわった悪党」という描かれ方で絶えずフィクションに登場しており、同ゲームではまるでその大きな風潮すらも飲み込んだかのような、知れば知るほど味わいのある扱われ方になっています。もっとも、登場するのは本人ではなく、第7騎兵隊で生き残った馬ですが……。

復讐のUSA(1900年代へ)

Abraham Lincoln

さて、第二次米墨戦争でもボコボコにされたUSA。お隣のCSAは英仏との妥協によって段階的に奴隷制を廃止しつつ、史実の南部のように人種差別を合法的に残すための取り組みを継続していますが、USAは半世紀もしないうちに2度も大きな敗戦と領土の喪失を経験し、復讐主義が国内で伸長します。

御年73歳のエイブラハム・リンカーンは、そもそも暗殺されるほど偉大な状況でもないものの、彼自身が戦場で負けたわけではないので元大統領としての威光は健在。ブレイン大統領がド派手に失策をやらかしたこともあり、政界再編もド派手に進むわけですが、その主役として大きく働きます。

すなわち、米国における二大政党制は崩壊。共和党は分裂し、リンカーンおよび彼に従うリベラルな共和党員によって「USA社会党」が誕生しました。

民主党は北軍少将のベンジャミン・フランクリン・バトラーの影響力が上がり、大きく右傾化。多数派としての機能を保持しています。共和党本体は残っているものの、社会党に大きく勢力を奪われ、中西部以外では存在感を失った中央集権主義の第三政党に転落しました。

史実のベンジャミン・フランクリン・バトラーは、南北戦争において「北軍の足を基本的に引っ張った」政治家将軍……そのなかでも特に"象徴的な"存在として知られています。何しろ郷土愛や求心力も鍵となる内戦のため、人を集められる存在としての能力を買われた彼は、出る戦役ほとんど失敗や敗戦を連発。

そのうえ、占領下のニューオーリンズで「町の女性がアメリカ合衆国の士官や兵卒を侮蔑したと認められる場合、すなわち売春婦であると認定し、そのように扱われる」という布告を発布したのがさすがにまずかった。

「断固たる軍政によって規律を保ったバトラー将軍」という評判以上に、「けだものバトラー」「南部の家庭から銀食器を盗むスプーン野郎」と、CSAはおろか味方のUSA、さらに情勢を見守っていたヨーロッパにまで名前が伝わり、さすがに方面軍司令官を解任されます。

作戦に参加すればすごい勢いで負け続けるも、戦後は下院議員としての立場を保ち、1875年にはより実効性のある人種差別禁止のための公民権法を提案。これが違憲とされたことで、約90年後のキング牧師らの公民権法運動まで、公共の場の人種差別は継続することになります。

ちなみに、「けだものバトラー」という和訳から察せられるとおり、英語でのあだ名は"Beast"でした。

扇動者、敏腕弁護士、合衆国再建の立役者、マサチューセッツ州の有権者を魅了した男、口論のたびに信頼を損なうあいつ、連合国から名指しで処刑対象に選ばれた豪傑、黒色人種を含むすべての人々の平等な権利を守るために戦った数少ない政治家の1人……。なんとも、人間の面白さがあふれています。

ドイツ帝国はロバート・E・リーに学んだ(1900年代へ)

Alfred Graf von Schlieffen

かくて、世界は帝国主義の沸騰、ひいてはWW1へ向けて加速します。特に、USAはモンロー主義の伝統を克服する必要性を政治家も国民も認識し、ドイツ帝国との同盟締結を決断。19世紀末にドイツ帝国軍参謀総長に就任したアルフレート・フォン・シュリーフェンは、この同盟から大きな成果を得ます。

史実でも対仏侵攻作戦「シュリーフェン・プラン」を構築した彼は、あまりに理論と理想に寄りすぎた計画、何より彼の想定しなかった機関銃による防衛側有利な塹壕戦、ならびにとてつもない消耗を伴う国家総力戦を前提にしていませんでした。

ところが、SV世界では新大陸でドンパチやらかした戦訓が早期に、それも"敗北した側からの客観的で適切な知識共有"という形で、その名も高きドイツ帝国参謀本部に流れてきたわけです。

とりわけ、ロバート・E・リー将軍によるキャンプヒルでの鮮やかな大勝利は、プロイセン王国が誇るフリードリヒ2世すらも凌ぐ殲滅戦および短期決戦の手本でした。これを底本にしたことで、「現代の技術革新にあった『シン・シュリーフェン・プラン』」ともいうべきものを作り上げます。

大日本帝国、世界へ殴り込み(1901)

米西戦争ならぬ日西戦争で
大日本帝国がすべての植民地を平らげる

1901年、日西戦争が勃発……しますが、その前に「なんで1901年にスペインなんかと戦争してるんや、日本、おそらく大日本帝国は」と思われるはずなので、サブルートとしてまとめてあった判明している日本の前史を簡単に並べます。

1854年:黒船来航。この段階ではまだ歴史が分岐していないので、普通に日米和親条約を結びます。

1863年:アメリカ合衆国が衰退してて草。太平洋からの圧力が大幅に低減し、結果として「USAvsCSA/GB」というアングロ・サクソン殴り合いデスマッチ状態が形成され、実際に定期的に殴り合ったことで、幕政日本はアジアおよび近隣太平洋地域への野望を推し進めることになります。

1863年補足:やたら日本に好意的というか、なんか詳しく書いてないわりに大日本帝国には国体が変化しているみたいなんで、たぶんあまり日本地域に興味ないんじゃないかな……。ファンの考察としても、「このシリーズ、アジアには興味ないみたいだから、中国も日本もどうなったのかよくわからん」と書いてあります。

1863年補足2:主役は北米大陸だし、かつ英仏といった大戦前列強がそこに介入する構図がメインテーマだから、HoIシリーズみたいな全世界どこでも詳しく頑張りました(あとはMODで補填してね)みたいなのが異常なことを再認識します。この記事みたいにテーマがブレてはいけない(戒め)(でも、個人的に寄り道が大好きなのです)

というわけで、大日本帝国は1890年代に台湾を奪取し(日清戦争よりさらに注力して圧勝したらしい)、1901年から始まった日西戦争でスペインに大勝したことで、フィリピンやグアムなどすべての太平洋地域の植民地を割譲させることに成功しました。

なお、マニラ市を占領した後、日本軍兵士がスペイン軍兵士に対して拷問を実施しましたが、戦争に勝ったので特に追及されなかったそうです。WW2の両陣営のアレコレはもとより、南北戦争も捕虜収容所での死亡者数がえげつない数出たから、そこらへんはきっちり設定するわいね。

この日西戦争が米西戦争と日露戦争の代替となり、日本は欧米から強大な軍事大国の出現として、すなわち列強として認められることになりました。

じゃあ、ロシア帝国は南下政策を放棄したのかというと、USAにアラスカを売却しなかったことで、CSAとの仲が接近。ドイツ帝国が勢力を伸長するなかで協商へ加盟という史実の流れに乗った結果、ロシア、イギリス、フランス、CSAの四ヶ国協商(四国協定/Quadruple Entente)なる珍妙な勢力が誕生しています。これが1903年。

したがって、英国にはロシアを牽制する必要がなくなり、というかそもそも最大の敵がドイツとUSAになっているので、日英同盟が成立する余地がありません。日本は二大陣営のどちらにも属さぬまま、"1回目"を迎えます。

CSAが選んだ"白人至上主義"の大統領(1909)

Thomas Woodrow Wilson

1909年、ウッドロウ・ウィルソンがCSAの大統領として当選。史実の彼もまた、先にあげたカスター将軍なみに毀誉褒貶がハッキリしています。改めて、並べてみましょう。

● 行政学の父
● 国際連盟創設の立役者
● 日本次席全権大使の牧野伸顕らが提案した人種的差別撤廃提案を、11対5の賛成多数も議長権限で否決
● イギリス、フランス、オーストラリアに代表される白人至上主義の代弁者
● ディスレクシアを克服して教授、そして大統領にまでなった苦労人
● 民族自決の概念とともに大小の紛争の種を世界中に撒き散らした男
● 宣教師外交って何だよ
● 世界の主流意見と上院決議含む国内世論に押しつぶされた犠牲者

と、「大統領がその意志だけで決められたら苦労はしないけど、言うて肝心なところで退がったせいでえらいことになった」なエピソード等がもりもり出てきます。

そんな、史実では第28代アメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンは、バージニア州スタントンの生まれ。このスタントンはシェナンドー渓谷を通じてウィンチェスターとつながる街であり、南北戦争における"係争の地"としてたびたび激しい戦いが勃発しました。

そして、このSV世界ではCSAが元気に成立したため、バージニア州生まれの彼も連合国大統領として「白色人種の代弁者」の役割を仰せつかったようです。歴史に名を残すと、どれかの側面の色に染まらにゃならんから大変だ……大変だけど、どの側面を見ても概ねヤバい「金髪の野獣」とか「死の天使」とかもいるので、そこは客観的な評価も大切ですね。

USAが選んだ"復讐遂行"のための大統領(1912)

Eugene Victor Debs

1912年、USAではセオドア・ルーズベルトがユージン・ヴィクター・デブスを破って大統領に当選。セオドア・ルーズベルトは先に述べたとおりですが、デブスは史実のアメリカ社会党の創設メンバーです。もとはアメリカ社会民主党の創設者でしたが、社会労働党との合併によって、温和な社会主義の達成を目指しました。

デブスは社会党の代表として大統領選挙に5回立候補したものの、5回とも落選。しかも、WW1前後には愛国精神の高揚、ならびに「社会主義者は非国民である」という風潮が蔓延するなかで支持を落とし、ウィルソン大統領が社会党のお株を奪うかのような進歩的な政策を次々に実施しました。

そのうえ、アメリカの参戦後に戦争反対演説をしたことで諜報活動行為として逮捕されましたが、収監中にも大統領選挙へ立候補する気骨を見せます。

それでも、ロシア革命やドイツ革命、ドイツ国内での複数のレーテ成立やスパルタクス団蜂起など、左派運動は暴力革命の度合いを濃くしていきます。その風潮はアメリカにも訪れ、社会党からは共産党が分離独立。1924年にはノーベル平和賞にも推薦されたものの、もはやその輝きが顧みられることもなく、1926年にサナトリウムでの不適切な治療で急速に体調を悪化させて死去。

Sacco and Vanzetti

彼が獄中から立候補した1920年には、無政府主義者で良心的兵役拒否者でもあった、イタリア系移民でニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが逮捕され、冤罪(行政は1977年に冤罪認定、司法は2023年9月現在も冤罪であると認めず)のままに進んだ審理で死刑判決。国内のみならず、世界からの抗議が殺到するなか……1921年7月の死刑判決から5年9ヶ月後、デブスの死から10ヶ月後、2人の死刑は電気椅子によって執行されました。

デブス本人は一度も暴力革命を志向しませんでしたが、彼の逮捕や投獄に怒る支持者たちは、激しく暴動を起こしました。これはWW1戦後から戦間期にかけて「赤の恐怖」と呼ばれる思潮を生み出します。

まだボリシェヴィキ革命が理想的と捉える人が多くいた、「新しい社会の到来」への夢と希望にあふれた時代。しかしながら、既存の階級が打倒される恐怖は共有され、かのマッカーシズムがWW2後に猛威を振る前に、その前段階としての対決へと導きます。

それは、1919年に「赤い夏」として出現しました。なおも南部で「合法的に人種差別される」立場にあったアフリカ系アメリカ人たちは、南部から北部や西部へと大規模な移住を波を作ります。彼らは低賃金でも生きるためによく働く……スト破りにも使いやすい。こうなると、白人の仕事がまるごと黒人に奪われます。100年後にも移民がそれを成したように。

そして、100年後にも同じく排除運動が起きたように、1919年のこの時も同じでした。ついでに、まだ大統領という責任ある立場にいるウッドロウ・ウィルソン曰く。


「海外から帰国した黒色人種は、ボルシェヴィズムを我が国にもたらす最大の媒体となるだろう」

"The American Negro returning from abroad would be our greatest medium in conveying Bolshevism to America."


こんな発言が残っているので、「きみ、想像以上に人種差別的な政策も発言も多いよね」と、プリンストン大学の学部名と建物名から名前が除去されました。BLMの狂奔があったとはいえ、さすがにしゃーない。リー将軍の銅像よりも、気持ちがわかる。ちゃんとソースがあっていっぱいかなしい。

しかし、それほどに「赤い洪水」の現実味は差し迫っていたとも言えるでしょう。やがて「赤狩り」の名を借りた黒人リンチが始まり、すでにこの時に「奇妙な果実」案件が複数報告されています。

楽曲の"Strange Fruit"が有名になったのは1939年、ビリー・ホリデイが発想のもととなる写真を見たのは1930年ですが、「吊るす」文化は紀元前からようよう人類が繰り返してきた業でありました。

だいぶ本筋から外れましたが、すなわち史実どおりにデブスが勝てなかった流れは同じ。そこに持ってきて、本来は1900年に大統領になるセオドア・ルーズベルトが、このSV世界では「ほとんど何もいいところがなかった第二次米墨戦争において、唯一の朗報ともいえる大勝利をもたらした軍事的英雄(史実でも米西戦争において最前線で突撃経験あり)」の称号までひっさげて、"Great War"の地獄に望むことになります。

平和をもたらしたかったデブスが、史実ではウッドロウ・ウィルソンに負け、この世界ではより「反乱軍ども」への復讐に燃えるT・ルーズベルトに敗れる。

一方、本来は進歩主義者としての側面も見せるアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンが、白人至上主義と旧来の大勢力連合たる四ヶ国協商の一角のトップとして大戦を迎える。この皮肉な巡り合わせは、なるほど、好きですね。架空だから良かった。史実の底本をもととして、ifであるからこそ楽しめる。

"Great War"~この世界でも避けられぬ「すべての戦争を終わらせるための戦争」(1914)

Краљевина Србија

1914年6月28日。史実とまったく同じ日付。サラエヴォに、爆音が響きました。

ええ、銃声じゃなくて爆音……なんと、史実ではガヴリロ・プリンツィプがわりと出たとこ勝負、フランツ・フェルディナンド大公と配偶者であるゾフィー・ホテク、ならびにその胎児が運の悪すぎる暗殺劇の犠牲者になったわけですが、SV世界では大公夫妻の乗る自動車に爆弾が投げ込まれています。殺意が高すぎる。

なお、ここでの犯人は「匿名の親セルビアのテロリスト」とされており、そのままプリンツィプや彼の所属した「青年ボスニア(Mlada Bosna/Млада Босна)」、およびこれを統括した「黒手組(Black Hand/Црна рука)」の名前は特に出ていません。

そして、史実同様の動員連鎖……と思いきや、なんとオーストリア=ハンガリー帝国によるセルビア王国への非難、国交断絶、最後通牒、総動員、宣戦布告からの侵攻コンボが遅いです。なんと8月に入ってから始めています。代わりに、7月下旬にはUSAとドイツが動員を開始。中央同盟国の主力のほうが動くの早いです。きみら、もしや何かやったんか?

ともあれ、オーストリア=ハンガリーの最後通牒に対し、史実どおりにロシア帝国がセルビア側を擁護。ここにドイツ帝国がロシアへの開戦をほのめかすのは当然の流れながら、そこにUSAがついてきますし、宣戦布告対象にはCSAが入ってきます。

史実では1915年のルシタニア号事件、1917年のツィンメルマン電報を経て、同年に参戦するはずだったモンロー主義の星条旗。しかし、このSV世界においては、1914年から「普仏戦争をモデルとしつつ、"明白な天命"で手に入れられた土地を奪われる屈辱に基づく、壮絶な憎悪」つきで開戦を待ち望んでいます。

8月。それはかつて史実で起きた、かくて遠き創作世界で起きる、総動員に次ぐ総動員によって、「大戦」は起きました。それが1度目と数えられるかどうかは誰も知らず、ただ「すべての戦争を終わらせるための戦争」と信じて。

開戦……西部戦線、東部戦線、ならびに「北米戦線」(1914)

White House

さて、史実のWW1と違って、「戦争は古きヨーロッパの人々の話」と高みの見物をしている北米の皆さんではございません。

● 中央同盟国(USA / ドイツ帝国 / オーストリア=ハンガリー帝国)
● 四ヶ国協商(CSA / イギリス帝国 / フランス共和国 / ロシア帝国)

史実と最も違う点は「ドイツ帝国の協商への宣戦布告と同時に、USAもまた各国に宣戦布告し、カナダ自治領との"北方戦線"とCSAとの"南方戦線"を構築する」という、不謹慎に表現するなら、合衆国分裂維持ルートの醍醐味を存分に活かした展開が始まります。

夏から秋へ。USAはケンタッキー州とバージニア州西部で戦闘を生起させ、一方でCSAはメリーランド州およびペンシルベニア州といった沿岸地域をリー将軍直伝の機動戦術で逆侵攻。秋のうちにワシントンD.C.の占領に成功しました。

ここで、ifの重要な点。CSAが存在しているうえ、第二次米墨戦争に激しい砲撃を受けた経験から、ワシントンD.C.はすでに象徴的な存在に成り下がっていました。USA政府はすでにその主要機能をペンシルベニア州フィラデルフィアに移転していたのです。

アメリカ東海岸/各都市位置関係

で、私もそうなんですが、あらためて詳しい位置関係を簡単に確認しましょう。なんせ大まかな位置しか知らんので、距離感ダメダメなのです。

こうやって見るとわかるとおり、そもそも史実の南北戦争にしても、「手に届きそうな位置に相手の首都(ワシントンD.C./リッチモンド)があるのに、そこへ急ごうとするとどえらい負け方をする」を両軍が経験したことがわかります。

そして、リッチモンドからワシントンD.C.より、ワシントンD.C.からフィラデルフィアのほうが距離が長い。

さながら史実WW1において、ドイツ帝国軍がシュリーフェン・プランの挫折という形でフランスおよびベルギー領内に戦線を膠着させられたように……。

このSV世界においても、かつての第二次米墨戦争でUSAがしくじったのと同じく、各地で塹壕戦へ移行。動かない戦線による消耗戦の地獄へと移行します。

他方、このあいだに、USA海軍は「イギリス領サンドイッチ諸島」を占領しました。この世界ではあまりにもUSAが太平洋地域で活動しなかったため、そもそもハワイ王国さえも国際的な承認を得ておらず、結果としてイギリス海軍が「サンドイッチ諸島のパールハーバー」を根拠地としています。第二次米墨戦争においても、この諸島の海軍がUSA西海岸のシアトルやサンフランシスコを攻撃、港湾封鎖を実施しました。

やがて、冬が来ます。北米戦線と欧州西部戦線は完全に停滞。同時に、この世界では西部戦線のイギリス軍とドイツ軍のみならず、北米戦線のロアノーク戦線において、USAとCSAの一部兵士たちが塹壕から出て握手をし、プレゼントを交換し、フットボールかサッカーかをともあれ楽しみ、そろってクリスマスキャロルを歌いました。

SV世界において、WW1の激戦地は西部戦線、そしてこの北米戦線でもロアノーク戦線が熾烈を極めたことになっています。場所は現実に存在するバージニア州ロアノーク。ここはまた史実でも850対0の満場一致で合衆国離脱を決定し、非常に多くの兵士を出征させ、その多くが帰ってこなかった土地です。

街の名前の由来は、近隣を流れるロアノーク川。アルゴンキン語族ネイティブ・アメリカンが「貝のお金」と名付けたこの川は、春の洪水のすさまじさゆえに「死の川」とも呼ばれていました。

新兵器「キング装甲車」登場と「大反乱」(1915)

The Salt Lake Temple in Salt Lake City

アメリカ合衆国の分裂によって、今なお「インディアン準州」なる居留地的な代物が、CSAには残っていました。冬季のうちに彼らを戦力に加え、CSAの騎兵隊がUSAのカンザス州を襲撃。鉄道網および通信網の破壊を試み、一部の試みは成功したものの、恐ろしい抵抗によって多くは挫折しました。機関銃を装備した鉄板で覆われた車両。

それも馬ではない機械動力によって機動する、USAの新兵器「キング装甲車」の登場です。騎兵隊はこれによって蹴散らされましたが、史実の戦車同様に足回りが弱点とあるので、おそらく「サン・シャモン突撃戦車」のような「上半身に比べて下半身が貧弱すぎる」設計だったのでしょう。

というか、装甲車であって無限軌道ですらないので(もちろん装軌装甲車でもない様子)、「タイヤが欠点」と書かれるほどには機動性がメタメタで、野砲の餌食になりやすいという設定つきです。マークIVくんはよう設計してたんやなって……。

しかし、冬が過ぎて春が来ると、いよいよ北米ならではの異様な展開が起きます。1915年4月4日、ユタ州のモルモン教徒が反乱を起こし、USAからの離脱の試みを始めました。これはCSAの暗躍によって、支援された蜂起であるようです。

かくて始まった"The Great Revolt of 1915"。CSAおよびイギリス帝国とカナダ自治領から得た武器を使い、1915年のイースター(復活祭)を目安として始められたため、この日付となった様子。

しかも、同月4月22日の戦没将兵追悼記念日(USAにおける第二次米墨戦争の戦死者を追悼する日/休戦ないし終戦記念日だが復讐主義のため地味な記念日に留まっている)。

続いて、ニューヨークにおいて暴動が発生。原因は狂信的社会主義者か、モルモン教同調者かを史書は書き記しておらず、ともあれ暴動は社会主義者が主力となって継続された、少なくともUSAのT・ルーズベルト政権はそう判断したため、「全部あいつらのせいにしよう」と決断。

5月7日には、USA軍がロアノーク戦線にて毒ガスを投入。ドイツ帝国と結んでいて、完全に戦争する気で30年強を過ごしてきたからか、USA側から新戦術や新兵器がじゃんじゃん出てくる。

秋が到来すると、今度はCSAで変事が起きます。「赤い反乱(Red Rebellion)」と呼ばれる、カール・マルクスの著作に影響を受けた黒人たちの反乱でした。

40年前、USA社会党のエイブラハム・リンカーンは言いました。あくまでこの世界の、反乱軍を根絶やしにしろモードのリンカーンは言いました。

「南部連合において、社会主義革命はどのようにして起こるのか?」
「それは、黒人たちから始まる」

かくて、CSAの抑圧的な白人至上主義に対して、ついに黒人たちは思想による勇気と武装を得ました。"プロレタリアはこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するのは世界である"という文言は、史実日本における幸徳秋水と堺利彦の共訳とされていますが、SV世界においては階級打倒から人種主義および優生主義打倒への力学として働いた形です。

CSA新大統領「ガブリエル・セムズ」~元ネタはラファエル・セムズで『海底二万哩』や『宝島』に関連?(1915)

Raphael Semmes

この世界の歴史が、「南部連合1,000万人の黒人のうち10%が関与した」という赤き反乱で揺れ動くなか、CSAは大統領選挙を実施。ウッドロウ・ウィルソンの正統後継者として、副大統領のガブリエル・セムズが当選。ウィルソンは史実より熱狂的に理想主義的な短期決戦を叫んでいただけに、この"いつ終わるとも知れぬ戦争"を戦い抜く大きな命題が残っていました。

なお、ガブリエル・セムズは史実にいないものの、「ラファエル・セムズ(Raphael Semmes)」はアメリカ連合国海軍の士官として存在したので、おそらく彼がモチーフでしょう。名前は四大天使つながりですね。

このセムズ、1877年に亡くなった理由が「汚染されたエビを食べたことによる食中毒による合併症で死去」という、公害か、それとも別の何かか……と思っていたら、興味深い人物として逸話が乗っていました。

史実の1865年、アメリカ連合国は「降伏する前に消滅」したのですが、ともかく海軍が解体して歩兵部隊に編入された後も戦い続け、とうとう合衆国側から「海賊」と敵視されるに至った人物なのです。

そして、セムズが海軍として活動した軍艦『CSS Alabama』の船体が、ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万哩』に登場するネモ船長のノーチラスとよく似ているという発見が、1998年にジュール・ヴェルヌ研究者によって行われました。これはヴェルヌ自身も2つの船の比較を行ったことがわかっているそうで、一方ではネモ船長は反奴隷主義者、セムズはバリバリの奴隷制推進者という明らかな対比。

つまり、ヴェルヌがセムズという「人種差別の象徴を批判する人道主義者」として、ネモ船長を生み出したのではないか。一方、ネモ船長が"USS Abraham Lincoln"なる軍艦に追われたエピソードは、まさしく時の権力に反抗し続け、懸賞金までかけられたセムズの美点になりうる部分をそのまま持ってきたのではないか。

そういう話がありーの、と他のヴェルヌ作品でもセムズ的な存在が言及されているとか書いてありーの、「ともあれ、あなたがモデルになったかもしれんネモ船長、日本でショタになったうえ、すっごいエロ絵になってるよ」と伝えてあげるのが、たぶんハーグ陸戦条約違反級のダメージになるかもしれません。

ん、セムズは実はネモ船長ではなく、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』で言及されるフリント船長のモデル? なんでもありか!

つまり、これからCSAを待つ「運命」を背負わせるには格好の人材、かつさすがにしんどい役割(セムズにも子孫親族はいるわけで)なので、オリジナルキャラクターとしてほんのりモデル……といったところでしょうかね。

コンガリー社会主義共和国とT・ルーズベルト再選、そして「三海軍海戦」(1916)

Congaree National Park

1916年が到来。モルモン教徒の"The Great Revolt"は失敗に終わり、USA軍がそれぞれ勢力を伸長させます。

さらに、サウスカロライナ州において、革命家たちが「コンガリー社会主義共和国(Congaree Socialist Republic)」を設立。現実にもサウスカロライナ州に「コンガリー国立公園(Congaree National Park)」という広大な原生林があるので、この場所でゲリラ戦を始めたことが示されます。セムズ政権CSA、赤色革命を前にして前途多難です。

一方、サンドイッチ諸島(ハワイ)の南で海戦が勃発。「三海軍の戦い(Battle of the Three Navies)」という、アウステルリッツ三帝会戦みたいなノリのこちら。USA太平洋艦隊vsイギリス東洋艦隊+大日本帝国聯合艦隊。先に述べたとおり、大日本帝国は四ヶ国協商に加盟こそしていないものの、実質的には英国を側面支援しつつ、太平洋地域でドイツ帝国の植民地を制圧して回っているさなか。ここではイギリス海軍に助力しにやってきたようです。

海戦は、サンドイッチ諸島を制圧したUSA艦隊が、シンガポールから遠征してきた戦艦6隻ほか多数の艦艇からなるロイヤルネイビーから攻撃を受けて始まります。

より正確には、サンドイッチ諸島の真珠湾を制圧したUSA艦隊に所属する戦艦「ダコタ(USS Dakota)」。彼女が搭載している偵察機が早期にロイヤルネイビーを発見したのが先だったものの、その直後に英国艦隊の砲撃が始まり、ダコタは舵が操作不能に。

続いて、戦艦「アイダホ(USS Idaho)」がダコタに衝突しかけたものの、何とかこれを回避。ただ、そこへ日本の艦隊まで乱入してきて、USA艦隊は壊乱。ダコタが航行不能になったことから始まった悲劇のため、"The death ride of the Dakota"なるひどい出来事として語り継がれることになったそう。

そのダコタは29回も被弾し、戦艦ニューヨークも同じくらい被弾して大破。装甲巡洋艦「ミズーラ(USS Missoula)」は弾倉に直撃弾を受けて轟沈し、さらにほかの巡洋艦も巻き込まれる事態に。

とはいえ、これはどうやら真珠湾攻撃を底本としているからか、USA艦隊をさんざんに痛めつけた英日連合軍は、そのまま引き上げていったとのこと。

この"三海軍海戦"によって、日本の海軍力、ひいては作戦遂行能力は「世界に恐怖を与えた」という評価がついています。次なるプロセスへと至る道が、さらに整備されたわけですね。

ロシア革命、ケベック共和国独立、USA軍新兵器"バレル"投入(1917)

"バレル(Barrel/樽)"

マークなんちゃら戦車に見えるかもしれませんが、復讐に燃えるUSAの皆さんが開発した「バレル(Barrel)」です。樽です。ブリテン島の皆さんは同時期に開発したそれを「タンク」なんて呼んでますが、この世界では廃れました。戦車はすべて樽です。

1917年3月。ユリウス暦で2月。史実と同じくロシア革命が勃発。ただ、先に結論を言うと、ロシア内戦は10年弱続き、1926年にようやくニコライ2世および帝政支持者が勝利しました。フリチョフ・ナンセンさんが、史実よりドン引きしそうな状況になってそうですが……。

続いて4月15日。カナダにて、ケベック共和国が独立宣言。USA、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、チリ、ブルガリア王国、リベリア共和国、ハイチ共和国在フィラデルフィア亡命政府らの中央同盟国から国家承認。

なんか中央同盟国に見知った顔が増えてました。いや、全然知らん顔もいますが……。このWW1情報は長編小説3冊分の簡略版なので、たぶんえげつないくらい詳しい情報が隠れてると思います。

ケベック独立の8日後、4月23日。USA軍はバレルを集中攻撃で展開する新戦術「バレルロール攻勢(Barrel Roll Offensive)」を用いた大攻勢を企図。テネシー州ナッシュビルの突破に成功します。

テネシー州ナッシュビルと東海岸の位置関係

史実の南北戦争では、アパラチア山脈以西における西部戦線において、北軍が決定的な勝利を収めたのがこのナッシュビルでした。

その象徴的な都市を、バレルロール……本来は航空機が「樽をぐるぐる巻きにする動き」で名付けられたサムシングについて、どうやらUSA式に戦車(バレル)をたくさん活用し、なおかつフーチェル戦術的な浸透戦術を組み合わせた大突破戦術のようです。

樽をごろごろ転がして、塹壕を乗り越え、敵国を粉砕すれば勝ちやねんストラテジー。でも、浮かぶ絵面はドンキーコングなんですよね。

そして、この破天荒な作戦をUSA参謀本部作戦規定違反を承知で実行したのが、今や大統領になったT・ルーズベルトとともに第二次米墨戦争で大戦果をあげたジョージ・アームストロング・カスター将軍でした。ああ、カスター将軍ならやるわ。

なお、カスター将軍の戦略を支える副官の人たちは、もうほとんどがオリジナルキャラクターのようです。もうだいぶ史実世界からは離れましたね。

ヒューストン合衆国(1917)

Samuel "Sam" Houston

ここから、完全に架空の人物たちが停戦工作などを行うも、セオドアおじさんは「CSAを教育するから」と拒否。USA軍はカナダのマニトバ州ウィニペグを占領。続けて、占領したテキサス州南西部に、「ヒューストン合衆国」を建国。

これは現実に存在するテキサス州最大の都市、ヒューストンと同じく「サミュエル・"サム"・ヒューストン(Samuel "Sam" Houston)」に由来しています。1793年に生まれ、米英戦争にも従軍。テキサス独立戦争ではメキシコ軍と戦い、テキサス共和国初代大統領に選ばれ、アメリカ併合を経てテキサス州知事として迎えたのが南北戦争。

立地的にも奴隷州という素地的にも即座にアメリカ連合国へ入るであろうところ、「合衆国の強さ」を冷静に分析し、「何十万もの犠牲」を避けるためにこれを拒否。とはいえ、ついに知事を辞職することとなり、内戦中の1863年に亡くなったという経歴です。

かような人物なので、ついにUSAがこの地に顕彰のための命名をしたということになりますね。しかしながら、CSAは別の由来を持つヒューストンをテキサス州内に作り上げており、「すげえ紛らわしい」という小ネタが最終シリーズに用意されていたそう。

ブラジル帝国参戦……"すべての戦争を終わらせるための戦争の終わり"(1917)

Flag of the Empire of Brazil in SV

1917年7月。最後の、そして最大のコマが動きます。ブラジル帝国が中央同盟国側で参戦しました。

SV世界におけるブラジル帝国は、1881年の第二次米墨戦争時点で、明確な奴隷所有国家に数えられる大国の片翼でした。もう片方は、無論のことCSAです。そして、奴隷制度の段階的な解消を同年にすでに始めており、英仏とはまた別の独自の解放プログラムをCSAに課した歴史もありました。

そのうえで、史実のアメリカ合衆国よりもさらに抜け目なく、「勝利するであろう陣営」と「大きく恩恵を得られるタイミング」を図っていました。ブラジル帝国にはそれだけの人的資源と技術蓄積があったのです。でなければ、双方の陣営から殴られてしまいます。

史実のブラガンサ朝ブラジル帝国は、1889年のクーデターによってドン・ペドロ2世が廃位され、77年の歴史に幕を下ろしました。ところが、北米も南米もわりと世紀末風味だからか、この世界では帝室が安定して命脈を保ち、WW1のころにはドン・ペドロ4世の時代を迎えていました。

こうして、ブラジル帝国は中央同盟国として協商陣営に宣戦布告。この瞬間に最悪の立場になったのは、なんとイギリスと仲が良いために協商に加入し、中央同盟のチリと殴り合っていたアルゼンチンでした。もう南米にも戦線あったわ。

この世界でウルグアイ戦争(大戦争)やパラグアイ戦争(三国同盟戦争)が起きたかは不明なれど、パラグアイはすでに中央同盟陣営に加入しており、史実でもよく知られているバリバリのドイツ流を導入したチリとともに、アルゼンチン領内へ侵入。さすがに敵地で息切れしたところへ、今度はUSA海軍がアルゼンチンとイギリスの通交を絶ち、とどめにブラジル参戦。

「アルゼンチン / イギリス vs USA / ブラジル帝国 / チリ / パラグアイ」。

しかも、イギリスは史実ロイヤルネイビーほど絶対ではないし、USAはやたら軍拡してるし、ブラジルも「史実アメリカは100万人を外征軍で送り込んだんだ」というのに準じた規模を持っているらしい状況。HoI動画の超高難易度チャレンジ動画投稿者がやるような状況です。

なお、かような南米の絶望的な状況がイギリスの降伏のラストピースになったものの、アルゼンチンはWW1期において最後まで奮闘したとか。つまりは、史実のケマル・アタテュルク的な戦いに移行したようですが、「相手がメガリ・イデアを実際に作れるギリシャ軍」だったら、さすがの国父だって勝てなかったでしょう。この世界は、辣腕政治家かつ拡大主義者なエレフテリオス・ヴェニゼロスさんをインストールした指導者が多いのかもしれない。

WW1の終わり~どうしてそうなった?(戦間期)

Upton Sinclair

だいぶ史実の世界と離れて、「ミクロな違い」ではなく「マクロな違い」になってきたので、少し視点を引いてダイナミックな流れを駆け足で見ていきましょう。

ブラジル帝国の参戦はあまりにも衝撃的であり、参戦から1ヶ月ほどの1917年7月にはCSAがテネシー戦線で休戦を申し込み、さらに翌月の8月には正式に全戦線で休戦を要請。

また、月が変わった9月にはカナダ自治領がUSAに休戦を申し込み、これでWW1の主要な戦線における戦闘は終了しました。アルゼンチンくんは必死に戦っているみたいですが、もう歴史の蚊帳の外です……。

戦間期がまた、第2シリーズの『American Empire』で濃厚に描かれた様子。したがって、ここでの記載の詳細は本を買ってねということで、タイムラインを追うくらいの簡明さになっています。

1918年/1919年

【講和会議開催】
 主な内容は史実ドイツ帝国が受けた仕打ちの北米版。概要は以下のとおり。

 1. USAはCSAに対し、自らにハイパーインフレをもたらした2回の大規模な敗戦の復讐を行うべく、CSAに対して武装解除、および自らが受けた以上の"壊滅的な"賠償金要求を実施。

 2. USAはケンタッキー州、バージニア州北部、ウェストバージニア州、セコイア州(史実オクラホマ州)mヒューストン(占領したテキサス州西部)をCSAから併合。

【反動主義旋風】
 大戦期を通じてCSA内での革命運動が大戦下でヨーロッパに輸出されたが、その揺り返しとして反動主義、正統主義、権威主義的な運動が世界的に加熱。

 特に、CSAにおいては屈辱的敗戦の全責任を負ったガブリエル・セムズが任期満了まで務めあげたが、敗戦後から自由党のジェイク・フェザーストン(架空)が台頭し始める。この流れで人種差別的な考えを持つ国で、さらに特筆すべき差別主義者が台頭する。ドイツ帝国は勝ったのに、いったい誰がモデルなんだ……その先は言う必要ないですよね。

【黒色人種の黄昏】
 終戦と反動の潮流により、ついに「レッド・リベリオン」が完全に鎮圧。第二次米墨戦争でわずかに与えられていた黒人の人権は、これによって完全に踏みにじられることになった。

 そして、彼らが大戦中に行った反乱は「共産主義黒色人種による背後の一突き」伝説として、CSAを席巻する。史実ドイツ帝国よりおぞましい展開。

 ちなみに、原文は"The Red Negro"なので、もっとセンスのある訳語がつけられると思います。個人的には南部らしいヘイトまみれの「アカクロンボ」なんてのも考えたんですが、自分で作ってて気分が悪くなったので、まあ、カチカチの"共産主義黒色人種"とか、あるいはもう直接「レッド・ニグロ(ネグロ)」でもいいかなって。

1920年

【USA大統領選挙】
 USA大統領選挙にて、アプトン・シンクレアがアメリカ社会党の候補者として初めて当選。アプトン・シンクレアは史実でもアメリカ合衆国の社会主義者だった人物で、排撃を受けつつもユニークな人生をまっとうした人物です。

1921年

【CSA大統領選挙】
 CSA大統領選挙にて、ウェイド・ハンプトン5世(ホイッグ党)がフェザーストン(自由党)に僅差で勝利。ヒトラーより支持を得るのが早いぞ!(真名開示)

【ウェイド・ハンプトン5世補足】
 ウェイド・ハンプトン5世は、実在した南軍の将軍であるウェイド・ハンプトン3世の子孫という設定です。

Anthony Wade Hamptom III

 ウェイド・ハンプトン3世は、サウスカロライナ州の裕福な農園主の家庭に生まれました。サウスカロライナ州で大農園なわけですから、数多の奴隷がいるのが常識の環境ですくすく育ち、父のウェイド・ハンプトン2世が米英戦争で竜騎兵として活躍したように、彼もまた南軍で私財まで投じて練度と装備の整った部隊を編成。

 戦争期間中を通じ、戦闘力と勇気を見せ……戦後は「南部の失われた大義(連合国の失われた大義/Lost Cause of the Confederacy)」を主張するメンバーとなりました。

 これは史実の南北戦争にまつわる闇、すなわち「南部13州は奴隷制度どうこうで戦ったんじゃないよ! すべては合衆国の精神である自治の精神を守るため、そして郷土愛のために戦ったんだよ! ヤンキーどもの汚い物量さえなければ、決して負けはしなかった。それに、ヤンキーどもは南部で略奪してまわり、美しい農場を破壊し、罪なき婦人たちを凌辱したんだ。あまりにも悔しい。ロバート・E・リーは本当に偉大だった。あとロングストリートは永遠に苦しめ」などの主張の代表格の1人になりました。

 小説『風と共に去りぬ』も南部の消えゆく栄華に寄り添うストーリーラインとして知られていますが、スカーレット・オハラの最初の配偶者であるチャールズ・ハミルトンが、このハンプトン連隊に所属していたことが示されています。

1922年

【ハンプトン大統領暗殺事件】
 [概要]
 ウェイド・ハンプトン5世CSA大統領、アラバマ州バーミンガムにて自由党支持者の退役軍人であるグレイディ・カルキンスによって暗殺される。カルキンスもその場で射殺された。ハンプトン暗殺事件が、いわゆるミュンヘン一揆のような立ち位置らしく、過激な活動をしてきた自由党が1930年前後まで停滞する原因になるとのこと。

 [影響]
 シンクレアUSA大統領はCSAとの関係改善を目指し、賠償金請求の"打ち切り"を決定。ドーズ案やヤング案のような減額提案ではなく、打ち切り。これが英断と捉えられ、暗殺を実行した自由党への非難が殺到。世界は史実同様に「狂騒の20年代(狂乱の20年代/黄金の20年代)」に突入する。

1929年~1936年

The Great Depression

【終わりは突然に】
 1929年、束の間の繁栄の終わり。史実どおり、世界恐慌へ。

【フランス王政復古】
 1931年。フランス共和国で、史実にも存在した王党派組織アクション・フランセーズが政権獲得。ブルボン家の係累であろうシャルル11世(架空)を推戴し、王政復古を果たす。フランス王国へ。

 Kaiserreichのフランスは、WW1での敗戦後にフランス・コミューンとしてサンディカリストが復讐へ向けた軍備を始めるわけですが、この世界では王政復古してしまいました。19世紀以降の左右の振れ幅が大きいから、あまりにも自由に選べすぎるフランスくん……。

Herbert Clark Hoover

【USA大統領選挙】
 1932年。ハーバート・フーヴァー(民主党)がUSA大統領に当選。社会党は3期続いた大統領の座をついに失う。世界恐慌の影響大。

【CSA大統領選挙】
 1934年。ヒトラー……じゃない、フェザーストン、CSA大統領に当選。農業の機械化と大規模な公共事業を推進を明言した。同時期に、黒人のポグロム政策を推し進める。

【USA大統領選挙】
 1936年。アル・スミス、USA大統領に当選。フーヴァーが解決できなかった恐慌の悪影響からの脱却が求められる。

Alfred Emanuel Smith, Jr.

 このアル・スミス、どうやらニューヨーク州知事で、実際に公私の別なくそう呼ばれていた、本名「アルフレッド・エマニュエル・スミス・ジュニア」のようです。1928年の大統領選挙で民主党の大統領候補になるもフーヴァーに敗れた彼が、この世界では社会主義者になっています。

 リンカーンが社会党を結成して、バリバリに社会主義の道筋を作ったことで、リベラルな考えの持ち主がみんなここに集まっていますね。スミスはカトリックだったことが災いし、アメリカで多数派のプロテスタントに忌避されたとのこと。

 現実にもアメリカでカトリック信仰を表明した大統領は、ジョン・F・ケネディと2023年9月現在で現職のジョー・バイデン(ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア)しかいませんから、相当にえぐいハンデです。

Alfonso XIII

【スペイン内戦】
 1936年。スペイン内戦勃発。史実とはまるで違い、「君主主義者(Monarchists)」と「国家主義者(Nationalists)」の争い。君主主義者は史実で追い落とされたアルフォンソ13世を旗印に、ドイツ帝国の支援を受ける。他方、国家主義者は蜂起したスペイン国民党であり、イギリスとフランスに支援された。国家主義者が勝利し、史実のフランコ政権に似た体制が成立。この後の第二次世界大戦も、中立で乗り切ります。

1940年~1941年

【CSAへの帰還】
 1940年。フェザーストンはスミスを上手く操った。ヒューストン、セコイア、ケンタッキー等での暴動を起こさせ、そこから住民投票を行わせて、結果的にヒューストンとケンタッキーをCSAに復帰させる。

【第二次世界大戦】
 1941年6月21日。フェザーストン、USAに対して電撃戦ドクトリンに則った「黒ひげ(Blackbeard)」を発動。

 第二次世界大戦が始まる。

 ナチス・ドイツの「バルバロッサ(赤ひげ)」のオマージュ。かくて、最終シリーズの「Settling Accounts(決済)」がWW2を担当します。なので、ここも詳細は作品依拠で、ほとんどタイムラインのみですね。

『Settling Accounts』翻訳思案

『Settling Accounts』は、「決済」より気の利いた訳語がありそう。

https://youtu.be/oXnnbjC7Fok

 Sabatonの楽曲『The End of The War to End All Wars』でも"November 11th settling the score"、つまりコンピエーニュの森における休戦によって「大戦の犠牲者が確定する」旨を示す歌詞があって、それから"From 15 to 20 million(1,500万人から2,000万人)"、"Almost half of the dead civilian(ほぼ半数は市民だった)"という流れにつながるので、"Settling Accounts"も上手くこう……「清算」あるいは「解決」かな?

 うん、そちらのほうがCSAという恐ろしい国家が振りまいたあらゆる憎悪の"始末"感がありますね。後者は後者で、元ネタの「The Final Solution(最終的解決/概ね"ユダヤ人問題の"がつく"劣等人種の"ホロコースト計画)」を踏まえた意趣返しになりそうです。

戦間期イギリス

 WW1の敗戦により、当然にさまざまな変化。アイルランドとケベックが独立。カナダ、ニューファンドランド、バミューダ諸島、バハマ諸島、サンドイッチ諸島(ハワイ)をUSAに割譲。

 他方、フランスが西部戦線で粉砕され、ベルギーがコンゴをドイツに割譲するなか、イギリスは「ただ敗れた」のみだったため、今なおアフリカやインドに広大な植民地を有している。

Sir Oswald Ernald Mosley, 6th Baronet

 ただ、戦間期に北アイルランドのベルファストがUSAとドイツから砲撃を受けて陥落。ウィンストン・チャーチルの保守党とオズワルド・モズレーの「銀シャツ党(Silver Shirts)」が連立内閣を結成。モズレーくんがこの世界でも変な組織作ってる……。

 スペイン内戦にはコンドル軍団ならぬ「ユニコーン軍団(Unicorn Legion)」を送り込み、国民党がマドリードを占領するのに大いに貢献した。なんか乙女の純潔が好きそうな部隊であると思ったけど、デストロイモードやってるほうのユニコーンのほうがしっくり来るか。

 このユニコーン軍団の活躍をもって、ウィンストン・チャーチル首相は1940年の徴兵制導入法案を強くアピール。フランス国王シャルル11世、ロシア皇帝ミハイル2世とともに、協商陣営の立て直しと中央同盟陣営への復讐戦に挑む。

戦間期ロシア

Михаи́л Алекса́ндрович

 ミハイル・アレクサンドロヴィチ、通称ミハイル大公。史実では、1918年のロシア内戦期にニコライ2世ら家族とともに虐殺された。ミハイルが最初に……いや、メシマズ描写しかないので、詳しい"処刑のされ方"は知らんでいいです。

 そんなミハイルは兄であるニコライ2世とともに1926年まで続いた悪夢のような内戦を生き延び、兄の死後はロマノフ朝ロシア帝国に栄光を取り戻す使命を帯びたツァーリとなった。

 なお、1926年、ロシア内戦のクライマックスはツァリーツィン。史実では第10軍とともにスターリンが自らの基盤を築いた激戦地で、SV世界では最後の指導者である「鋼鉄の男(スターリン)」と「ハンマー(モロトフ)」が死に、帝政の勝利が決まる。

戦間期カナダ

 USAは、カナダを永続的な軍事占領下に置くという方針を選択。超党派によってとられた対応が、協商陣営への恨みの深さを感じさせる。

 カナダは実質的な独立回復の道筋も立たず、一方でUSAは占領下カナダを併合せず、同時に公民権を制限し続け、「南北の二正面作戦のリスクを永遠に封印する」方針のもとで"二級国民"としての隷従を強いられた。これはUSA社会党が特に強く推進している。

バンクーバーはカナダ西海岸
トロントは五大湖の近く
ウィニペグがその中間に見える

 この政策は憎しみを育み、1924年にはトロント、オタワ、ウィニペグ、カルガリー、エドモントン、バンクーバーといった主要都市を含む多箇所で反乱が発生する。

 USAの強大な軍事力はまたたく間にこれを鎮圧するも、民衆の怒りは地下で育ち続け、ゲリラ活動として継続することになる。やがて、このカナダを利用した大日本帝国がUSAと「太平洋戦争」に突入するが……以降の大日本帝国の項目に書きます。

戦間期メキシコ

 1917年から1925年までメキシコ内戦が勃発。反アブスブルゴの人民革命軍(USA支援)とメキシコ帝国(CSA非公式支援)。内戦は帝政側が勝利。USAはバレル(戦車)の南方での使用を禁じ、逆にCSAが自らのバレルを開発し、改良するきっかけとなり、加えてCSAのフェザーストンが強い結びつきをつくる機会になった。

100年に及ぶ憎悪の終着点(WW2)

Freedom Party

書き忘れてました。馴染み深い"WW1"や"WW2"を略称に使ってますが、作中での表記は一貫して『Great War(大戦/戦間期まで)』と『Second Great War(第二次世界大戦)』です。史実イギリス式に近いものの、それでも組み合わせは少しずらしている表記スタイルですね。

1941年

 CSAのオハイオ州に対する電撃戦は成功。一気に北方へ突き進み、USA支配権を東西に両断する。一方、CSA国内では黒人の大規模な検挙および国外追放が始まるとともに、すでに強制収容所にいる黒人を対象とした「人口削減(Population Reduction)」が始まる。戦況はCSAの主導権のもとで進み、USA首都フィラデルフィアに対しての大規模爆撃を実行。アル・スミスUSA大統領が死亡した。

 西部でも動きがある。CSA自由党はユタ州のモルモン教徒を支援。こちらも100年近く抗い続けてきたモルモン教徒たちは、全力でもってUSAへの反乱を開始する。

1942年

ピッツバーグの位置確認。
フィラデルフィア、ワシントンD.C.、リッチモンドが東に写る。
CSA軍は西のオハイオ州から進撃。決戦の地。

 CSAの戦争計画はさらに進み、USAを無条件降伏に追い込むためにオハイオ州から東へ進軍。ピッツバーグの工業地帯の制圧を目指す。USA軍もここを重要拠点と定め、ピッツバーグにて大規模な戦闘が勃発。双方に相当な数の損害を出し、ついにCSAの一軍が包囲されて降伏。これはこの大戦における転換点となるものだった。史実におけるスターリングラードのような展開になった様子。

 CSA国内において、「人口削減(Population Reduction)」をより効率的に行うため、「窒息トラック(Asphyxiation Trucks)」が導入される。ガス室もアメリカナイズされるとトラックになって、移動までできちまう。ひどい皮肉である。

1943年

 USAはワシントン州東南部のハンフォード・サイトにて、「超爆弾計画」を進める。これは史実どおりのマンハッタン計画の流れ。一方、CSAもルイビル大学にて超爆弾計画を進める。原爆開発競争も史実どおりなんだけど、現実にも存在するルイビル大学(ケンタッキー州)がえらいことに巻き込まれとる。この年、ついにCSAはUSA領内から押し戻され、戦線はCSA領内へと移行していく。

 ドイツ、核開発レースに最先着。年末に原子爆弾を完成させた。

1944年

 USA軍は東部戦線にてバージニア州リッチモンドへの大突破を開始。また、テネシー州を通ってアトランタ、そしてテキサスから東へと突き抜ける西部戦線も動かす。

テキサス州は最西端
テネシー州は画面中央
主要都市は画面右側に見える

 つまり、史実の南北戦争が20世紀中盤の技術による機動力で再現される。すべては狂った独裁者を粉砕するために。

 なお、CSAは先端に爆発物を搭載可能な「長距離ヴェンジェンスロケット(long-range Vengeance rockets/長距離報復ロケット)」の配備を始める。ちなみに、モデルになったナチス・ドイツのV2ロケット(およびV1飛行爆弾)のVは"Vergeltungswaffe"、英語に直すと「Vengeance weapon(報復兵器)」なので、完璧に韻を踏んでいる。西部戦線のUSA軍が、史実のシャーマン将軍よろしくアトランタを占領し、「海への進軍」を完了。CSA領土の分断に成功する。世界に終末が訪れるかどうか、時間との勝負だ。

【核攻撃:ペトログラード】
 ドイツ、ペトログラードを核攻撃。ミハイル2世はなんとこの攻撃さえも生き延びてモスクワに脱出。当初は戦争継続の意志を持っていたが、もはや国家も国民も戦い続ける余力が残っていないと知り、休戦の準備を始める。大日本帝国が最後通牒を送ってきたのも大きな要因。核開発のデータはUボートによって逐一USAに送られており、特に有用なデータとなる。

【核攻撃:パリ】
 ドイツ、パリを核攻撃。シャルル11世が死亡。ルイ19世が後を継ぎ、こちらも戦争継続を考えるも、最終的には和平へとシフトする。

【核攻撃:ハンブルク/ロンドン、ノリッジ、ブライトン】
 イギリス、ハンブルクを核攻撃。ドイツは報復としてブリテン島に大規模空襲を実施するとともに、ロンドン、ノリッジ、ブライトンの3ヶ所を核攻撃。イギリスによる2度目の核攻撃は制空権が危うい状況だったためにベルギー上空で撃墜され、果たせず。チャーチル内閣およびモズレーの銀シャツ党は崩壊し、フランスとともに和平交渉へ入ることになった。

1945年

【核攻撃:フィラデルフィア/チャールストン、ニューポート・ニューズ】
 CSA特殊部隊がフィラデルフィア西部を核攻撃。イギリス製の装置が起動したものの、本来の計画の意図を達せず。USAはフェザーストンを即死させるべく、ノースカロライナ州チャールストンとバージニア州ニューポート・ニューズを核攻撃。フェザーストンは幸いにも予定と違う近隣のポーツマスにいたために無事。

 史実のヒトラー暗殺計画の失敗を原爆で再現した感。暗殺の規模がいきなり『銀河英雄伝説』級になっとる。テキサス州はCSAからの独立を宣言し、フェザーストンによる殺人キャンプの設置を始めとする数多の犯罪を暴露した。

カエサルは死ぬ、いつか必ず(物語の終幕)

【フェザーストンの死・物語の終わり】
 USAがリッチモンドを占領し、CSAの最高幹部たちは逃走を図る。彼らがジョージア州モーガン郡マディソンの郊外へ達した時、運良く自由党による人口削減を逃れた黒人ゲリラのカシウス(カッシアス/Cassius)は、フェザーストンたちを先に発見した。彼はUSAの補助部隊に所属し、ジョージア州のUSA進駐軍の支援もしており、銃器を保持していた。味方のUSA軍ではなく、憎むべき自由党の人間だと知り、すぐに道路脇の松林に身を隠した。

 ジョージア州モーガン郡マディソンは、USA第4代大統領ジェームズ・マディソンに由来している。それよりは、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンの源流としてのほうが有名かもしれない。

 だが、史実のマディソンには、ジム・クロウ法をよく実行した街としての側面もある。アメリカ連合国敗北ののち、南部諸州は州の自治権を盾に、「合法に黒人およびその他の人種差別を行えるようにした」。その総称がジム・クロウ法である。マディソンでは間違いない記録としての私刑が3件記録されている。1809年に「最も文化的で貴族的な街」と紹介されたマディソン。20世紀初頭、この街につくられたアメリカ連合国を懐かしむ記念碑には、このように刻まれていた。


「これほど白くて公正な国はなく、これほど純粋な犯罪で滅びた国もなかった」

"No nation rose so white and fair, none fell so pure of crime."


 この世界にジム・クロウ法はないが、それ以上の絶望的な「削減」に遭遇した。マディソンは白き公正に包まれている。

 確実にこの男たちを仕留めるなら、すでに近くで活動しているUSA軍に伝えるのが確実だった。理性ではそうわかっている。

 カシウスは松林から出て、何も考えずにフェザーストンを撃ち殺した。胸に3発、頭に3発。個人崇拝の極致である。その顔を忘れるはずもなかった。残りの最高幹部を人質にし、何のアクシデントもなく応援はきた。USA軍は事の重大さに驚き、ただちに写真を撮影し、世界に公開する。

 フェザーストンの死体は、その後どうなったのか。歴史の明らかになるところではない。通説では、そのあたりに埋められたという話である。

 人類史上最悪の存在を排除した英雄カシウスは、報酬としてUSA市民権をもらい、そのなかで失った姓の代わりに記念すべきマディソンをファミリーネームに採用し、莫大な金銭と下院議員の地位までも手に入れた。シリーズを通じて活躍するユダヤ人の主要キャラは、彼をやっかみから守ったことが示される。

 カシアス、またはカッシウスと表記した。彼は先に書いたとおり、USA軍の協力者である。同時に、「グラックス・バンド・オブ・パルチザン(Gracchus' band of partisans)」の一員だ。カシアスの父は「スキピオ(Scipio)」、母は「バトシェバ(Bathsheba)」である。

Mort de Tiberius

 紀元前の共和政ローマ、護民官として改革に望み、志半ばに暗殺された「ティベリウス・グラックス(Tiberius Gracchus)」という男がいた。これを殺したのはスキピオ・アフリカヌスの血を継ぐ「スキピオ・ナシカ(Scipio Nasica)」であると伝わる。

 彼のひ孫クイントゥスは元老院派に属し、かの「ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)」の派閥と戦って敗死した。カエサルは偉大にして絶対、カイザーやツァーリの語源となり、独裁官(ディクタートル)、さらには終身の権利となる永久独裁官(ディクタトル・ペルペトゥオ)となった。

The Death of Julius Caesar

 カエサルを殺した主犯は、よく知られる「マルクス・ユニウス・ブルトゥス(Marcus Junius Brutus)」のほかにもう1人いる。「ガイウス・カッシウス・ロンギヌス(Gaius Cassius Longinus)」がそれである。

 カッシウス/カシアスは永久なる独裁を認めなかった。彼を生んだ母のバトシェバは、巨人ゴリアテを討ち取った古代イスラエルの王ダビデの妻であり、栄光と堕落の王たるソロモンの母である。

Thomas Edmund Dewey

 カシアス・マディソンは、その名乗りがUSA第4代大統領ジェームズ・マディソンへの敬慕と受け取られ、1945年2月1日のワシントンD.C.におけるトーマス・D・デューイUSA第34代大統領(史実では僅差でトルーマンに敗戦)の就任式に出席した。副大統領として、ハリー・トルーマン(史実)が任命されている。

 もしかしたら、誰かの歴史的な役目がここでもう終わったのかもしれない。

 デューイ大統領は、かつての敵国たるロシア帝国、大日本帝国、フランス王国への核兵器技術拡散を防ぐため、伝統と歴史に則った信頼の置けるパートナーであるドイツ帝国との継続的な関係強化を約束した。カナダもCSAもUSAに服したものの、とてつもない軍事力を温存した国家がいくつも残っている。

 ドイツ帝国は、デューイ大統領のラブコールにそこまで積極的ではない。"世界の警察官コンビ"はすでに反目の気配にある。だが、それ以上に、大日本帝国が問題だ。彼らはUSAにとって未解決の問題であり、太平洋地域における支配を構築し、オーストラリアにとっては差し迫った脅威として緊張を高め続ける。

 USAの最大の敵は大日本帝国であり、そのために備える必要がある。にもかかわらず、そこに全力を割くことができない。

 USAはとても広い"反抗的な占領地"を身近に抱えた。USAは今なおUSAであり、それはCSAを含む存在ではないし、カナダへの領土的野心を達成するものでもない。分断も、歴史の歪みも、好戦的な複数の国家がすでに核武装を達成した現況も、あらゆる問題が数多の屍の上に残った。

 世界は、何ひとつ「清算」できていないのだ。

目立たぬということこそ勝利かもしれない(WW2/主要国以外まとめ)

北米戦線に注目しつつ物語は終わるものの、折に触れて諸外国の情報が語られるなどして、いくつかの国家の辿った歴史がわかります。

大日本帝国

 第一次世界大戦で協商に協力しながらも敗戦国とはみなされず、しかも太平洋の植民地を獲得することに成功した。ただ、東太平洋における勢力拡大の試みは上手く行かず、1932年にUSA占領下でのカナダで反乱を企図して露見。太平洋戦争が勃発する。

 その内幕は、日本が商船を偽装してカナダのレジスタンスに武器を輸送し、これを世界初の空母「リメンブランス(USS Remembrance)」がカナダ西海岸において捕捉したことに始まる。偽装商船には潜水艦が帯同しており、リメンブランスを魚雷攻撃。リメンブランスは大破しつつも、反撃によってこの潜水艦を撃沈させた。
 
 なお、リメンブランスは史実において「Remembrance Day(リメンブランス・デー)」、11月11日のWW1の休戦記念日(戦没者記念日/英霊記念日)を想起させる。Remembrance自体の意味は「記憶」などであり、小規模な真珠湾攻撃的ムーブにほのかな意味合いを付加している。もっとも、この世界のUSAは史実よりだいぶ野獣パワー全開なので、リメンブランスが燃え尽きては増えるSCP状態になっている。赤いポピーが地上すべてを覆いそうだ。

赤いポピー(ヒナゲシ)は、史実における休戦記念日の象徴である。
それは死体と膨大な量の血で染まった戦場に、赤々と咲いたという。

 史実における巡洋戦艦フッドが大英帝国における象徴的艦船で高い人気を誇ったように、空母リメンブランスもまたUSAにおける特別な意味合いを持った意味だったようで、USA世論は沸騰した。
 
 沸騰はしたが、太平洋上における拠点が史実ほど育っておらず、いきなり膠着した。ただ、当時のUSA大統領が遊説に訪れていたまさにその時を狙って、ロサンゼルスの爆撃に成功。ドーリットル空襲のような衝撃によって彼の再選の目は消え、後任のハーバート・フーヴァー大統領によって1934年に太平洋戦争は終結する。

 とはいえ、史実より圧倒的に敵が少なく、北進論や南進論で悩む必要がないくらいに海外領土が増えたため、第二次世界大戦に伴って再びUSAへ宣戦布告を行う。ミッドウェー島の占領に成功によって、USA太平洋艦隊はサンドイッチ諸島まで交代せざるを得なくなった。
 
 さらに、航空部隊がついにUSAが太平洋で保有する唯一の空母であるリメンブランスの撃沈に成功する。こんな状況なので、USAの海軍は明らかに育っていない。陸上で同胞との準絶滅戦争を戦い抜くのに予算を注ぎまくっているようだ。

HMS Ark Royal, 91

 なお、リメンブランスはこれ以前に大西洋にて任務についていたが、イギリスのアーク・ロイヤルに釣り出され、バミューダ諸島の失陥を許してしまう。さらにバハマ諸島も失い、サンドイッチ諸島へ回航されて、複数の急降下爆撃を受けて沈没。悲しいくらいにドーントレスの強襲を受けた赤城と似た末路でもって、太平洋の底へと消えた。

 いよいよ日本本土の安全が確保されたため、特に陣営に所属していないメリットを活かし、今度はイギリスに宣戦布告。マレー作戦を開始する。この日本の攻撃がイギリス軍にとって重要な資源供給を大幅に断つことになり、結果的にUSAおよびドイツとの仲が大幅に改善。同盟に加入したわけではないものの、無宣言同盟国扱いとなった。「俺またなんかやっちゃいました?」みたいな無双状態になっている。

 かくて、第二次世界大戦の終盤。1944年にはイギリスの同盟国であるロシアにも猛然と牙を向き、シベリアの割譲を要求。
 
「大日本帝国は二度の世界大戦に無陣営で参加し、二度とも生き残ったのみならず、最小限の人命損失で最大限の領土獲得を果たし、何より列強(大国)のなかで唯一核兵器の惨禍を受けずに済んだ国」

 そうした圧倒的な受益者として、激動の時代を生き延びた。なるほど、「唯一の原子爆弾による被爆国」が転じて、「こんな兵器は仮想の世界だけで十分だ爆弾を食らわなかった大国」になるのは面白い。
 
 なお作中では黄禍論がオーバーフローして「ノックスの十戒における中国人」モードにまで達したらしく、「あいつらと事を構えるとやばい。とんでもない陰謀をバンバン決めてくる」というパラノイア的な風潮まで広がり、北米の科学者が尋問されるエピソードなどが挿入されている様子。ともあれ、バタフライエフェクトの利益を存分に享受した。

カナダ自治領(USA軍占領統治下)

 大日本帝国に頼らぬ自立の道を模索したカナダは、USA軍が二度目の大戦に備えて撤退したかわりに、代わりの治安維持を担ったのがケベック共和国の軍だったことにさらなる怒りを覚えた。
 
 カナダ人は「被征服国民にして民族」という意識を強烈に芽生えさせたものの、CSAの蜂起の扇動には簡単に乗らなかった。カナダは今や宗主国だったイギリスさえも失った自由の精神が生きている、この世界で限られた地域だった。それでも、USAの劣勢が伝わり、さらにフェザーストンがチャーチルを介して巧みにカナダ人の心を操作した時、彼らはついに蜂起した。

 ケベックの守備隊は役に立たず、ウィニペグなどがカナダ人の手に落ち……このころにUSAはピッツバーグの勝利によって戦争の主導権を握り、ヤンキーは再びリード付きの首輪を持ってきた。
 
 世界各地が核攻撃の惨禍で燃え上がり、数えきれないほどの人々が形も残らないほど地上から消え失せた時、カナダ人は「無期限に占領され、あらゆる権利を剥奪された"合衆国に仕える臣民"の地位」について、最終的に生き残ったCSAの人々とともに受け入れるほかなかった。

 これは確かに悲劇だったものの、USAもまたカナダとCSAに関し、軍事力以外に有用な政治的解決手段を何も提示できていない。

 誰もが手詰まりなのだ。誰もが。

ドイツ帝国

Wilhelm II

 1941年、英主ヴィルヘルム2世死去。それが復讐の悪魔に取り憑かれた人種差別主義者たちの闘争心に火をつけた。CSAがUSAに電撃戦を仕掛けると同時に、西部戦線と東部戦線、約束された二正面作戦がご用意される。第二次世界大戦の開幕。この世界でも、また今回の戦争でも、ドイツは複数の前線を抱えるのだ。
 
 西部戦線では復讐に燃える英仏軍がエルザス・ロートリンゲンに殺到し、ベルギーに猛進し、オランダまで打通した。ドイツ軍はとうとうライン川および北ドイツ平原まで後退せざるを得なかった。
 
 東部戦線のロシア軍は内戦で鍛え上げられ、ツァーリのもとで団結していた。ミハイル2世が先頭に立ち、反ユダヤ主義に基づくポグロムを行って血を味わった彼らは、とうとうウクライナの大部分を席巻する。

Albert Einstein

 だが、ドイツはここからが強い。1943年の下旬に差し掛かるころには、秩序ある戦いによって失地を回復した。協商陣営が激しい人種差別を行っていた一方、ドイツはアルベルト・アインシュタインやニールス・ボーアといった優秀なユダヤ人科学者たちを保護し、オーストリア=ハンガリーと協同して戦線安定と技術革新を進めていた。

 とうとう世界で最も早く原子爆弾を完成させ、ペトログラード、パリ、ロンドン、ノリッジ、ブライトンと協商国の根源地を破壊した。ハンブルクに反撃を受けながらも、彼我が受けた被害の差は明らかである。

 アインシュタインが原爆を作ったことを知ったCSAのフェザーストンは、USAがまず自分こそを狙って原爆を使うのではとパニックに陥り、「誰かがアインシュタインが赤ん坊のころに絞め殺すべきだったんだ!」と、駐CSA英国大使の初代ハリファックス伯爵エドワード・ウッドに泣きついたと伝わる。

 初代ハリファックス伯爵エドワード・ウッド(Edward Frederick Lindley Wood, 1st Earl of Halifax)は史実の人物。ただし、もちろんCSAは存在しないので、1941年1月から駐アメリカ合衆国英国大使。詳しくは次項。

初代ハリファックス伯爵エドワード・ウッド(Edward Frederick Lindley Wood, 1st Earl of Halifax)

Edward Frederick Lindley Wood, 1st Earl of Halifax

 ネヴィル・チェンバレンは失敗した。戦争を決意したころには、あらゆる物事が遅かった。彼は責任を取る。それでも、まだ遅すぎるわけではない。英国は戦う。そのための強い指導者が必要だった。

 では、次の首相にふさわしいのは、チャーチルか彼、初代ハリファックス伯爵エドワードか。

 この次期首相議論の際、エドワードは自ら身を引いた。貴族院の自分より、庶民院のチャーチル。宥和政策からも一定の距離を取っていた彼が首相になってこそ、戦争を継続できる。それが理由だった。
 
 初代ビーヴァーブルック男爵マックス・エイトケンは、このように語る。

「チェンバレンはハリファックスを望んでいた。労働党はハリファックスを望んでいた。シンクレア(初代サーソー子爵アーチボルド・シンクレア/チャーチルの盟友)はハリファックスを望んでいた。貴族たちはハリファックスを望んでいた。国王(ジョージ6世)はハリファックスを望んでいた。そして、ハリファックスはハリファックスを望んでいた」

 そして、チャーチルさえもハリファックスの下で働く決意があると考えていた事実が、まことしやかにささやかれるなか、この発言には最後にだけ誤りがあった。

「ハリファックスは、ハリファックスを望んでいない。ハリファックスは、首相になりたくなかった。彼はチャーチルを信じていた。チャーチルのエネルギーが、リーダーシップが、彼よりも優れていると信じていた」

彼らは「最強のふたり」だったのか?

 他方、これはこれで伝説に近く、かつての通説ではハリファックスはちゃんとハリファックスを望んでいて、どうにかチャーチルの首相指名を阻止しようと考えていたという話が基本だった。つまり、美しい物語がそこに挿入されたのだろうけれど、客観的な結果に限れば、「彼は首相にならず、アメリカへ行った。そこで結果を残した」の一行で済み、それは大きな財産に成り得た。

 アメリカ合衆国では、「もとより対ドイツ宥和外交を担った男で、しかも鼻持ちならない貴族の外交官」と見られていたものの、アメリカ合衆国各地を巡ってアメリカ国民と触れ合ったことで人気は好転。F・ルーズベルト大統領とも親密になり、本国のチャーチルからも信頼を勝ち得るという難事を達成する。

 196cmという恵まれた体格、善行を愛して悪行を憎む誇り高き精神、聖人でありつつも狡猾な貴族……アドルフ・ヒトラーの危険性を(大なり小なり)見誤るという、チェンバレン内閣の耐え難い失敗に携わりながらも"立て直す"機会を得て、生涯をかけてやり遂げた。チャーチルと同様に「マイナスの面はある。何個でも。だが、それ以上にプラスもたくさんある」と言われることが多い。

メキシコ帝国

 CSAと一蓮托生のため、第二次世界大戦に協商側で参加。当時の皇帝はフランシスコ・ホセ2世。また副次戦線にもならずに終了かと思いきや、CSAが一気に苦境に陥り、フェザーストンから明確な派兵を要求される。これによって3個師団をピッツバーグに派遣するが、完全にUSA軍に粉砕された。

 フェザーストンは追加で5個師団を要求したが、彼はこれらの師団を黒人パルチザンの掃討任務に活用した。メキシコ軍は故郷の砂漠によく似合う黄色がかったカーキ色の軍服でペンシルベニア州へ遠征し、USA軍の良い標的になった。

 銃はない。砲もない。半世紀前の装備なら何とかある。兵士は訓練されているが、最新鋭の装備のUSA軍に敵うはずもなかった。

 それでも、メキシコはもとより期待されておらず、さながら荘子が「無用之用」を説いたように、すぐに前線ではなく「人口削減」の役割を任された。とにかく大戦の面倒事に巻き込まれない。フランシスコ・ホセ2世のこの徹底した姿勢によって、彼はCSAの人道に対する罪の片棒を担ぎながらも、協商国の首脳が戦時中に死んだり失脚したりするなかで、ついに最後までその権力を保持したまま終戦を迎えたのだった。

オスマン帝国/ブラジル帝国/アルゼンチン/モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)

【オスマン帝国】
 第一次世界大戦では中央同盟国として参戦。1917年にはケベック共和国、アイルランド共和国、ポーランド王国といった解放された国々を相次いで承認。これは最初の段階での承認国家一覧に乗る迅速さだった。大戦中にはアルメニア人への大量虐殺を計画および実行に移し、戦争終結後も継続したため、大戦では味方であったUSAの怒りを買った。

عبد المجيد الثانى‎

 USAはヴィルヘルム2世にアブデュルメジト2世(カリフのはずが、スルタンにもなっている)への圧力を要請するが、ドイツはここをのらりくらりと半端な抗議にとどめ、USAはもはや敵を増やすことを厭って退き、アルメニア人の虐殺を黙認することにした。

 第二次世界大戦にも積極的でないにせよ中央同盟国の一員として参戦。モルモン教が発明した「人民爆弾(People Bomb/人間爆弾/端的に自爆テロ先取り)」は戦況不利な勢力に瞬く間に広がり、アルメニア人による人民爆弾攻撃に悩まされることになったが、結局は戦勝国の一員となった。

【ブラジル帝国】
 第二次世界大戦においては協商陣営との貿易を維持しつつも、中立を保つ。スウェーデン以上にごついムーブをして生き延びた。

【アルゼンチン】
 協商と組んで参戦。万全の準備でUSAへの雪辱戦を挑むが、新協商陣営が核兵器で戦争継続不可となり……史実のブルガリアのような「奮戦すれども武運尽き果て」感に満ちた結末を迎えた。

【モルモン教】
 正式名称を書き忘れていたが、史実と同様に「末日聖徒イエス・キリスト教会」である。

 CSAという悪魔と手を組んでの蜂起も失敗に終わり、USAに降伏。今後、彼らが二度と安全保障上の問題にならない案として、サンドイッチ諸島の東端に強制移住させる案が採択されたことが示唆。抵抗を続けるモルモン教徒自体が、住処を追われ続けたネイティブ・アメリカンと「インディアン居留地」を底本にし、最後は「完全に島流し」というフランス革命失脚組のギアナ流し的な趣までプラス。
 
 もっとも、フランス領ギアナの流刑は日本の流刑と違って「環境が劣悪すぎてすぐ死ぬ」だったし、インディアン戦争における白人たちになびかなかった史実の彼らの"末路"を思えば……。

イタリア/ケベック/オーストラリア/ニカラグア/ベネズエラ/コロンビア

【イタリア】
 当初の中央同盟国メンバー。1914年、オーストリア=ハンガリー帝国のロシア帝国侵攻は防衛協定の対象外として、大戦への参加を拒否した。協商国から勧誘を受けるも、こちらにも参加せず。1917年のケベック共和国独立には承認を与える。

Benito Amilcare Andrea Mussolini

 戦間期に世界恐慌の煽りを受け、経済が停滞。ベニート・ムッソリーニが「電車を時間通りに運行させる」という公約で立候補するも落選。作中ではその後もちょい役で出るも、この世界の歴史では重要人物ではなかった。逆に言えば、彼は人類の残酷さを証明する殺され方をも回避した。1941年に始まった第二次世界大戦でも中立を保つ。この世界の最優等生では?

【ケベック】
 カナダ自治領には兵役を強制され、英語圏の人間の優越に誇りを踏みにじられた。USAがカナダを蹂躙したのを契機に独立し、中央同盟国およびイタリアやオランダなどの中立国からも承認を得る。
 
 第二次世界大戦では中立を守ったものの、戦時中は反カナダの方針に沿ってUSAを支援した。年長世代はなお憎悪に囚われていたものの、新たに生まれた世代は主権国家ケベックの姿に満足し、明るい未来を予感させている。

【オーストラリア】
 19世紀は大英帝国の目立たない植民地として、それゆえに穏やかに過ごせた。だが、20世紀に各植民地を整理したことで、オーストラリア自治領に昇格する。それは義務を背負うことにもなった。第一次世界大戦には史実同様に参戦するが、この世界では中央同盟国の一員である。USA軍がサンドイッチ諸島を占領したことで、オーストラリア軍も基本的には防衛志向で終戦を向かえた。

 敗戦国になったものの、「負けただけ」のイギリスはなお列強であり、すなわちオーストラリアもそこにかしずく自治領であり続けた。このため、第二次世界大戦には再びイギリスに従って協商陣営として参戦するが、大日本帝国が損失を低減させつつ戦果を拡大する方針を堅持したため、オーストラリアも限られた役割を果たすにとどまる。

 今度こそ、恐怖と厳格の父たるイギリスは斃れた。だが、その先に待っていたのは、未開発の荒野が広がるオーストラリア大陸を抱えた自国と、痛み分けこそあれ、不敗のままに勢力を拡大し続けた太陽の帝国、大日本帝国の間違いない脅威だった。
 
 助けてくれる親はもういない。USAを頼りにするしかないが、彼らはそもそも先日までの敵国である。それでも、今はアングロ・サクソンの同胞を頼るしかない。見える範囲は、すべて大日本帝国の領土である……。

Alfred Thayer Mahan

【ニカラグア】
 パナマが独立しておらず、よってパナマ地峡を有する要衝国家だった。CSAがパナマ運河を作ろうとするものの、当時のアルフレッド・セイヤー・マハンUSA大統領が介入し、結局この大運河はつくられなかった。第二次世界大戦では中立を維持。

【ベネズエラ】
 第一次世界大戦で中立を保つも、1925年にコロンビアと国境紛争が勃発。USAはコロンビアを支持しつつ、関係の深いドイツにベネズエラを支援しないよう警告を送る。一方、ドイツも退かず、脅迫に屈さずにベネズエラを支援する姿勢を堅持。結局、紛争は流血を伴わずに回避された。

 1940年には、今度は完全に地域大国となったブラジル帝国と国境紛争が起きかけていたが、こちらも交渉による妥結へ至った。第二次世界大戦では中立を保つ。

【コロンビア】
 第一次世界大戦は近隣諸国が参戦するなかで中立を堅持。1925年にベネズエラとの国境紛争が生起するも上述どおりに解決。第二次世界大戦でも中立を保つ。

中央同盟国の2度の大戦における内訳

【中央同盟国(The Central Powers)】
[初期メンバー]
● オーストリア=ハンガリー帝国
● ドイツ帝国
● アメリカ合衆国(USA)
● イタリア

[第一次世界大戦前に加入]
● ハイチ
● リベリア
● オスマン帝国

[第一次世界大戦中に参加]
● ブラジル
● ブルガリア
● チリ
● アイルランド(反乱軍)
● パラグアイ
● ポーランド
● ケベック

[第二次世界大戦中に参加]
● フィンランド
● オランダ
● ノルウェー
● ウクライナ

[後に脱退した国家]
● ブラジル(第一次世界大戦後に離脱)
● イタリア(1914年)
● ケベック(USAとの事実上の単独同盟へ移行)

協商国の2度の大戦における内訳

【協商国(Entente)】
[初期メンバー]
● イギリス
● アメリカ連合国(CSA)
● フランス
● ロシア

[第一次世界大戦前に加入]
● アルゼンチン
● カナダ
● メキシコ
● セルビア

[第一次世界大戦中に参加]
● ベルギー

[戦間期に参加]
● スペイン
● 日本(ただし先に書いたように正式締結を避けたうえに個別和平も駆使して生存)

[政府が崩壊した一時協商加盟国]
● カナダ(1917年以降)

核兵器が投下された都市一覧

[投下先都市名称(投下年:投下元国家)]
● ペトログラード(1944:ドイツ)
● パリ(1944:ドイツ)
● ハンブルク(1944:イギリス)
● ロンドン(1944:ドイツ)
● ノリッジ(1944:ドイツ)
● ブライトン(1944:ドイツ)
● ベルギー某所(イギリスの2発目は撃墜時に起爆、その性質からウラニウム型と推察)
● フィラデルフィア(1945:CSA)
● チャールストン(1945:USA)
● ニューポート・ニュース(1945:USA)

真の「清算」・"太陽爆弾(Sunbomb)"/追記日時:2023年9月9日(土)20:45

「太陽」
あるいは、どこかの世界が目にするもの
あるいは、その世界の人々が二度と目にできないもの

1点、本当に救えない情報が抜けてました。追加調査の結果、「清算」の訳語が適切であると判断でき、しかもより具体的な絶望がSV世界の未来に示されていましたので、追記します。

"superbomb based on the nuclear fusion of hydrogen"
「核融合反応を基本とした超爆弾(核兵器)」

第二次世界大戦後の展望のなかに上記の記載があり、史実と同じく水素爆弾などのさらなる破壊力を求めた軍拡を示唆していると判断していました。

ですが、この情報は「狂える独裁者フェザーストン」の野望を科学技術で支えた、「ヘンダーソン・V・フィッツベルモント(Henderson V. FitzBelmont)」によって、USAの将軍に伝えられます。

彼はオリジナルキャラクターですが、ヒトラーをモデルにした独裁者が"CSAという媒質"を経てフェザーストンになったように、フィッツベルモントには「CSAの人種主義に基づいた熱狂的愛国者たる科学者」という土台があって、付加価値として史実WW2期のすぐれた頭脳の要素が詰め込まれています。

Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun

すなわち、その名前と属性は「ヴェルナー・フォン・ブラウン(ドイツ→アメリカ)」、CSAの核開発計画着手から3年弱の1944年に競争で追いついた悪魔的頭脳は「ジョン・フォン・ノイマン(オーストリア=ハンガリー→ハンガリー→アメリカ)」、フェザーストンに自らの過ちを認めさせて核開発の推進同意を取り付ける巧みさは「ゲオルギー・フリョロフ(ロシア帝国→ソ連)」。

史実のマンハッタン計画は、以下のように推移した。フィッツベルモントは他のCSAの科学者陣こそいたものの、これらの働きの大部分を1人でこなしたことになっています。


[1938年]
 オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマン、原子核分裂反応を確認。ともにドイツの科学者。
[1939年]
 亡命ユダヤ人科学者のレオ・シラードとユージン・ウィグナー、アルベルト・アインシュタインの署名を添えた「アインシュタイン・シラード書簡」を親書としてF・ルーズベルト大統領に送付。マンハッタン計画へつながる。
[1940年]
 アメリカ海軍がコロンビア大学に資金を提供し、エンリコ・フェルミとレオ・シラードらが北米大陸で最初の核分裂反応を起こすことに成功する。
[1941年]
 10月9日。F・ルーズベルト大統領はヘンリー・A・ウォレス副大統領らと閣議を開き、原子力計画を承認する。太平洋戦争の開戦より前ながら、太平洋地域における緊張は極限に達し、欧州ではバルバロッサ作戦によって独ソ戦が開始。ついには、モスクワ攻略作戦であるタイフーン作戦が発動している状況だった。
[1942年]
 5月18日。J・ロバート・オッペンハイマー、グレゴリー・ブライトの後任者として、この新兵器の鍵となる高速中性子の研究計画に参加する。かくて、10月にはマンハッタン計画が始まる素地が整っていった。
[1945年]
 7月16日:人類史上初の核実験「トリニティ(Trinity)」
 8月6日:広島に原爆投下
 8月9日:長崎に原爆投下
 ※いささか感傷的になり、本筋でもないため、42年10月以降は重要な3点のみを記す。


J. Robert Oppenheimer

史実で「マンハッタン計画」や「アメリカの躍進」に貢献し、またソ連の核開発競争で多大な貢献をして「超大国同士の終末戦争の危険を予感させる冷戦」を導いた逸材たちです。

フィッツベルモントは、その恐ろしすぎる才能と業績が、USAの次なる人種的、かつ地政学的仮想敵国の枢要である「ロシア人ども」や「日本人ども」に利用されないよう、CSA崩壊から1年弱拷問された後に、彼を「清算」したことが示唆されました。

そして、かつてカスター将軍の副官を務めた人物は、フィッツベルモントからある証言を得ます。すなわち、フィッツベルモントが残した"予言"です。彼やほかの科学者たちは、USAが「世界の警察官」たる力を得るための「必要な犠牲」として、そのあらゆる成果を吸いつくされたうえで葬られるのですが……。

常人の頭脳では計り知れぬ予見能力を持つフィッツベルモントは、USAがさらなる「超兵器」を開発すると見越したのです。


【フィッツベルモントの"予言"/翻訳】
彼は、USAの物理学者たちがそれに取り組んでいることを知っていた。

フィッツベルモントは、そのような理論上の爆弾が5年以内に完成するとは思っていなかったが、25年以内には間違いなく存在すると確信していた。

太陽爆弾。

水素の核融合反応を利用した超爆弾(核兵器)よりも、さらに強力な兵器の理論的可能性を。


【フィッツベルモントの"予言"/要素原文】
"He knew for a fact that U.S. physicists were already working on it."

"While FitzBelmont didn't think such a bomb would be built within five years, he was certain they'd exist within twenty-five."

"Sunbomb"

"The theoretical possibility of a weapon even more powerful than the superbomb based on the nuclear fusion of hydrogen"


「豊富な実例」を手にしたこの世界。私はこれらの記載を史実どおりの「核開発競争がより破壊力のある水素爆弾のタームへ移行する」と理解していました。

そうではなかった。それだけではなかった。最後のほんのわずかな部分、「水素の核融合反応を利用した、その超兵器をさらに超える理論的可能性」。

太陽爆弾なるそれを、すっかり水素爆弾だと思っていました。

「大日本帝国(The Empire of the Rising Sun)」に使われることの隠喩かもしれないと思っていました。

マルチミーニングであろうと推測します。2023年9月現在、史実世界においてもなお理論上の存在であり、実現したならば劇的なエネルギー革命を起こすであろうその技術は、「地上の太陽」を代名詞として宛てられています。

常温核融合。それを純然たる形で用いた兵器。

「純粋水爆(Pure fusion weapon/きれいな核兵器)」。

『Southern Victory』シリーズ、最終4冊で描かれたのは、そのシリーズの表題どおりの『Settling Accounts(清算)』でした。未来さえも示すような、象徴的な熟語です。

忘れていた、その4冊目。最終巻単体でのサブタイトル。

『In at the Death(死の時/死の瞬間)』。

フェザーストンの死によって、物語が終わる。これを示すと安易に考えていたら、さらに向こう側に「(理論的には)残留放射能のない兵器によって、浄化された世界」が待っていました。

世界は、何も「清算」しなかった。

しかし、邪悪なフェザーストンが「清算」された。

悪魔の脳幹とも形容すべき、フィッツベルモントも「清算」された。

25年以内に、USAはあらゆる汚いものを清められるようになる。

1862年に起きた歪みが、人間存在を憎悪の奈落の極限へと突き落としたこの世界。ですが、その積もり積もった負債を「決済」し、きれいに「清算」する手立てはあるようです。あるいは"おどろおどろしい希望"なのかもしれません。

Andrew William Mellon

SV世界でも、世界恐慌は起きました。史実のアメリカ合衆国の歴史を振り返りましょう。時はハーバート・フーヴァー内閣。財務長官を務めたアンドリュー・メロンが、「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである。古い体制から腐敗を一掃すれば価格は適正になり、新しい企業家達が再建に乗り出すだろう」と述べたことに由来する、「清算主義(Liquidationism)」と名付けられる解決方法に身を委ねました。

SV世界では、特に復讐を達成したUSAは、ようやく世界の警察官を自認しました。疎遠な同盟者であるドイツ帝国を誘い、史実以上に美しい世界の構築を目指しています。

Harry S. Truman

USAの新大統領トマス・E・デューイは、史実においても清廉潔白かつ誠実で有能な人物であり、アメリカ合衆国の正義を実現するに足る人物と信じられていました。史実では共和党候補でしたが、社会党が分離して衰退したこの世界では民主党から出馬し、本来なら大統領の座を争うはずだったハリー・S・トルーマンを副大統領に任命。この世界だからこその政権が誕生します。

内憂外患を抱えながら、科学と信仰の背骨をもって、彼らは成し遂げるでしょう。戦争を指導したのは社会党でしたが、有権者は社会党の不注意がフェザーストンの台頭を招いたと考え、より強いリーダーシップを標榜する民主党を選びました。

史実において原爆投下を決断したトルーマンさえも凌ぐ「決断力」が、この世界のデューイ大統領にはあるようです。すでにカナダとCSAの占領継続という強い姿勢を見せている彼なら、必ずや"常人には困難な決断"さえも乗り越えてくれるはずです。混迷の世界は無謬の「正義」を、現実として遂行される悪しきものすべての「清算」を求めています。

たとえ、それが『In at the Death』を伴うとしても。


「正義はなされよ、よしや世界が滅ぶとも」
 フェルディナント1世

"Fiat iustitia, et pereat mundus."
 Ferdinand I


終わりです/記事初稿時点最終見出し

軽い気持ちで、書き始めた記事だったんです。

14時間経ってました。

過集中……。

小説部分は年表と断片情報だけなので、とりわけ最後のほうは明らかにその情報をつなぐために物語調にしているので、合うところだけ読んでください。

というのを最後に書いても仕方ないので、最初のほうにも書き足します。

以上、『Southern Victory(SV)』世界の包括的な概観でした。

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