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2人の死から学んだ人生観

33歳の誕生日を迎えた次の日の出来事

1月14日に祖母が1月16日に母が立て続けに亡くなり、1週間で2回喪主をすると言う貴重な経験をしました。
このコロナ禍での病院の対応はさまざまで、祖母は霊安室での対面、母親は病院の好意で見取らせてもらえました。

後悔を昇華していく

実感として、「今後叶えられない約束」があると人は後悔してしまうのだと思いました。
後悔は先に立たずなので、「できなかったこと」をどう糧に変えられるかと言うところと、終わりが見えた場合、どういう終わり方をしたいかといった部分に自分なりの美学を見つけました。

後悔の方向性はなんとなく「Fコードを弾くことが出来ず、挫折してやめたギター」に似ています。
弾けずに辞めた後悔を恥じるのではなく、この難しさや挫折、理想との乖離を人に伝えることで、これから挑戦する人たちへの助言とすることで自分はいい経験へと昇華しました。

死(終わり)からの逆算

終わりを見据えた行動は、仕事にも言えることだと思います。
達成後のビジョンを見据えることで、プロセスを明確化させられることに改めて気づきました。

「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」

上記の言葉が頭をよぎりました。
死と向きあうことでどう生きたいかが見えるように、目標に向き合うことでやらなければならないことにピントが合うと思います。

この2人の死から、改めて人生観を学びました。

葬儀の時は泣くべき

そして、もし今後葬儀に参列される場合は恥を忍ばず思いっきり泣くことをお勧めします。
涙を流すことはとても良い感情の整理につながります。その瞬間に張り詰めた糸が少したわむのです。
祖母の葬儀の時に泣き、母の葬儀の時に泣かなかったことで感じました。
泣くタイミングを逃すと、心の整理のされ方が変わります。

全てを経験として仕事に繋げようとしている部分は、向き合うと言うより「逃げ」に近いかもしれません。
とはいえ、共に過ごしてきた日常が終わりを迎えたことで、また一段と経験を積めました。

2人の生涯のおかげです。
ありがとう、いってらっしゃい。

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