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【"生産性"の無い命は生きるに値しないのか?】

 ホロコースト生還者であるヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」p103-104を見てみたいと思います。

安楽死処置というご存知の時代の趨勢の中で子供をなくすことになった母親の手紙を読みあげることをどうかお許しください。この手紙はごく最近ウィーンのある新聞にのったものですが、その一節に次のように記されています。 「私の子供は、胎内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、一九二九年六月六日に生まれました。私は当時十八歳でした。私は子供を神さまのように崇め、かぎりなく愛しました。

母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆることをしました。が、むだでした。子供は歩くことも話すこともできませんでした。でも私は若かったし、希望を捨てませんでした。私は昼も夜も働きました。ひたすら、かわいい娘に栄養食品や薬を買ってやるためでした。

そして、娘の小さなやせた手を私の首に回してやって、『おかあさんのこと好き? ちびちゃん』ときくと、娘は私 にしっかり抱きついてほほえみ、小さな手で不器用に私の顔をなでるのでした。そんなとき私はしあわせでした。どんなにつらいことがあっても、かぎりなくしあわせだったのです。

どんなコメントも余計だとおもいます。それは、せいぜいのところ、感傷で印象をぼやけさせてしまうのがおちでしょう。

 と、フランクルは言うのです。
 またp109〜の「これまでのまとめ」から

「以上、安楽死を擁護できるように思われるすべての論拠を徹底的に検討しました。その結果、いまでは、生きていることに無条件の意味があり、したがってまた生きる意味に対するゆるぎない信念をもつことができるということをみなさんに示せたのではないかと思います。

(中略)

ひとりの人間の生命を『生きる価値のない生命』と見なしてその生きる権利を剥奪する権利はだれにもないことがはっきりしました。」

 ナチスにより収容所に入れられた経験を持つ著者による、徹底的に「生命」を問い続けた魂のことばの前には、最初の"問い"などは吹き飛んでしまうと思います。ぜひこの著者の名著「夜と霧」とも併せて、こちらの本の全文にも触れていただきたいと思います。

#それでも人生にイエスと言う
#フランクル
#生産性
#優生思想

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