『悪人』を読んで

ある逃亡劇を読んだ。
殺人を犯した男が出会い系サイトで知り合った女と数日間逃亡するお話。
内容を知っている人なら既にお分かりだろうが、吉田修一の『悪人』だ。

なぜか最近吉田修一の作品を多く読んでいる。
『ウォーターゲーム』『さよなら渓谷』『東京湾景』など。暗めな内容で過激な性模写が多い(ウォーターゲームはそうでもない)。
特に落ち込んでいるわけでも、欲求が強いわけでもないが何だか手に取ってしまう。
安直ではないが比較的簡単な最小限の言葉で表現が成され、かつ、情景が分かりやすく事細かに浮かんでくる。

本題の『悪人』である。
自分はあまり感情移入ができなかった。
殺人を犯し、出会い系サイトで知り合ったばかりの光代を連れて計画もない逃亡をする祐一。
祐一も光代も、ただ寂しさと承認欲求を埋めるためだけにお互いを必要だと信じて、溺れあうように当てもなく短い逃亡生活を送る。
祐一が大切にしていたスカイラインを捨ててでも光代と逃げることを選び、また光代も今までに経験したことのないような愛おしさを祐一へ寄せて行動を共にしていく。
報道も大々的に行われ、目撃証言も多数ある中追いつめられるように逃亡していた彼らは必然的に捕らえられる。
警察に追い込まれる瞬間、祐一は光代にも手をかけようとする。その心は「被害者は二人いらない」というもの。

母親に金をせびりに行く理由をヘルス穣に語っていたものと同じだ。
自分は強く思うがゆえに相手に多くを語らず自らが加害者になるという祐一の究極の愛を表現したのだろうと感じる。
読み終えた直後は感動を覚えた。しかし、冷静に考えてみると祐一の行動は一時的でその思いは光代・母親へ伝わっていないのだ。だからこそ加害者となった祐一の気持ちは自己満足に過ぎないのでは?という感想になってしまう。

一方で、逃亡生活をする二人の間に生まれていた愛は紛れもなく本物ではないかと感じる。もし、事件を起こす以前に二人が出会っていれば、ただ情熱的に恋をしてお互いを必要としあうのではなかったのだろうか。
これは吉田修一の特徴の一部だと思うが、物語を本の中で終わらせることなく読者の中へ残し、押し付けずについその先を想像させてしまう。読者のなかへ登場人物たちが生き続けているようなそんな感情にさせてくれる。

自分はどちらかというと中心にいた二人よりも、悔しい思いをしながらも理髪店を再開させ立ち上がっていく佳男・里子夫妻や詐欺まがいのグループへ立ち向かってく祖母房枝の生き様に強く惹かれる。彼らもまた被害者ではあるのだが、大切な人へ最大の愛を注ぎきることなく物語を終えてしまうが、自分はそんな彼らのように、辛く苦しい事件があったとしても強く生きていかなかれば。そして大切な人たちにできる限りの愛を注いでいこうと改めて感じさせてくれる。そんな作品であった。


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