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ただただ残念過ぎる… 上野裕一郎氏のこと

本日は、駅伝観戦歴43年目を迎えたMrakover50が、こういう形では取り上げたくはなかった時事系の記事を書きます。2023/10/11付で、立教大学駅伝競技部監督を解任された、上野裕一郎氏に関する、フリーな記述です。

上野裕一郎(佐久長聖高→中央大→SB食品→DeNA→立大監督)

”高校四天王”のひとり

駅伝(中長距離)観戦歴43年目の私は、今回の不適切な行動によって指導者としての資質を問題視され、立教大学駅伝部監督を追われた上野裕一郎氏(1985/7/29‐)の活躍を高校時代から知っています。世代の"高校四天王”のひとりとして、各種レースで披露していた力強い走りが甦ります。意欲的に前に出る積極的な走りには好感を持っていました。かえすがえすも残念だ…… という思いを強くします。

上野氏とともに1985‐1986年生まれ世代の”高校四天王”と呼ばれた超高校級ランナーは、
● 伊達秀晃(1985/4/11- 大牟田高→東海大→中国電力)
● 松岡佑起(1986/1/14- 洛南高→順天堂大→大塚製薬)
● 北村聡(1986/2/4- 西脇工→日体大→日清食品Gr.→サンベルクス→日立女子陸上部監督)
の各氏です。いずれも甲乙つけ難い、将来を嘱望されたランナー達でした。そして、一学年下には、”ダブル佐藤”で知られた、佐藤悠基(1986/11/26- 佐久長聖高→東海大→日清食品Gr.→SGホールディングス)&佐藤秀和(1986/6/7- 仙台育英高→順大(中退)→トヨタ紡織)の両氏もいて、この前後の年代には、逸材ランナーが揃っていました。

上野氏は、師走の京都で行われる全国高等学校駅伝競走大会の難所の1区で、日本人高校生で、史上初めて28分台(28分54秒)をマークしたランナーでした。外国人留学生ランナーには及ばなかったものの、"高校四天王"らが強者たちが揃った中での記録ですから、価値があります。この日本人最高区間記録は、2019年に佐藤一世選手(八千代松陰高→青学大)以下に破られるまで16年間も未踏で、現在でも歴代6位にランクされる好記録です。

中央大学時代の輝かしい戦績

上野氏は、佐久長聖高校時代、両角速先生(現・東海大学中長距離ブロック監督)の指導を受けています。中学までは野球に夢中だったという少年の素質を見出し、高校三年間で、世代のトップランナーに育て上げた両角氏は、やはり名伯楽だったのだと思います。

鳴り物入りで中央大に進学した上野氏は、大物ルーキーとして活躍が期待されていた1年時の箱根駅伝(2005年)の1区で大ブレーキを起こし、区間19位に沈みます。スタートしてから挙動がおかしく、おそらく体調不良のまま出走したのだと思われます。コース前半に先頭を切ったのは、彼の意地だったのでしょう。このレースでの失敗の教訓を活かし、以降の駅伝でははずすことなく活躍しており、出雲で1回(2007年1区)、全日本で2回(2006年3区/2007年4区)、箱根で1回(2007年3区)の区間賞を獲得しています。

駅伝にも強かったものの、トラックレースで1500m/5000mを走った時のスピードにも定評がありました。社会人になった後は、トラックの5000m/10000mを中心に日本トップクラスの実力を誇りました。2009年の第93回日本選手権では、1500mと5000mの二冠を飾り、ベルリンで行われた世界選手権に日本代表(5000m予選敗退)として出場しています。

名門復活を期す立教大の功労者だが……

昨年の第99回箱根駅伝予選会での立教大のパフォーマンスは素晴らしいものがあり、チーム順位6位で堂々たる予選突破を果たしました。本来は、来春の第100回記念大会での復活出場を期待されて就任した監督だったので、弱小チームを監督就任からわずか4年目で箱根本戦に導いたその育成手腕は高く評価されてしかるべきと思います。

とはいうものの…… 報道されている情報だけで判断する限り、余りにも軽率で、不用意な行動だったと思います。良くも悪くも華があって、何かと目立つ選手、監督でしたから、日々細心の注意を払う必要があったのに…… 残念でなりません。

2023/10/14に行われる箱根予選会、立教大チームは、監督抜きで突破を目指すことになりました。自分が手塩にかけて育て上げた選手達の晴れ舞台を見られなくなったことを、何よりも上野氏自身が悔いていると思います。

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