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『一日一生』を読む

本日は、酒井雄哉『一日一生』(朝日新書2008)の読書感想文です。心に刺さる教訓の詰まったとても良い本でした。

息子との電車旅の移動中に読了

本書は、数か月前にBOOK-OFFで購入したものの、読む機会が無いまま積ん読になっていました。本日は、朝から息子と電車旅に行く約束をしていたので、持ち歩き用のカバンに入れて持っていき、移動中に読了しました。

一話が3Pくらいにコンパクトにまとまっているので読み進め易く、読後感も素晴らしい本でした。電車の車両では、一人で乗っているほぼ全ての人がスマホの画面を眺めていて、一昔前ならば必ず車両に数名はいた、新聞や本や雑誌を読む人は、殆どいなくなってしまいました。

一日一生は素晴らしい教え

著者の酒井雄哉(1926/9/5-2013/9/23)師は、天台宗大阿闍梨です。(大行満)大阿闍梨とは、千日回峰行という比叡山中を1000日間巡拝する天台宗独特の修行法を成し遂げた者だけに与えられる尊称です。千日回峰行は、約7年をかけて挑む苛酷な荒行で、一度始めた行は途中で中断することは許されず、挫折したら自害する覚悟で臨む決死の修行です。酒井師は、この過酷な荒行を二度も達成している伝説の高僧です。

ただ、本書によれば、酒井師の前半生は必ずしも品行方正な聖人君子だった訳ではありません。むしろうまくいかないことの連続で、仏門に入ったのは30代の後半になってからでした。きっかけは目の前の仕事からの逃避による偶然だった、ということが語られています。そのせいなのか、変に肩肘張らない雰囲気があり、清濁合わせ飲みながらも、しっかりと地に足の着いた雰囲気があります。軽快な関西弁語りも相俟って、妙な親近感を感じました。

タイトルにもなっている「一日一生」をはじめ、はっとさせられる話が満載でした。テーマは五章立て(”一日一生”、”道”、”行”、”命”、”調和”)になっていて、各章に7~10の挿話が組み込まれています。どの話から読んでも楽しめると思います。

好きなエピソード

全話いいのですが、中でも気に入っているエピソードが、筆者の師にあたる故・箱崎文応師がしてくれたという小名浜の大泥棒の話を応用して人生のいなし方を語る部分です。(P22-25 「足が疲れたなら肩で歩けばいい」)

その大泥棒は、夜な夜な福島県の小名浜から宮城県の仙台まで歩いて泥棒にいっていたそうです。昼間は普通に日常生活を営みながら、家の人が寝静まった後に家を抜け出し、遠く離れた仙台まで歩いていって盗みを働いた後、また歩いて引き返してきて、明け方に再び寝床に入ることを繰り返していたとか。

その大泥棒が遂に捕まってしまい、警察の取調べ中に、長距離を歩く秘訣を問われた際の説明が洒落ているのです。

「休み休みやっているから疲れないんだ」
(中略)
右足、左足って、体のいろんな部分を意識しながら歩くんだって。右が疲れたら左足、左が疲れてきたら右、という具合だね。いよいよ両足がくたびれたら腰、その次は首に意識を集中する。「今度は右の方、頼むぞ」とその部分に気持ちを集中して歩くんだって。そうして左の肩で歩いたり、右の肩で歩いたり。歩きながら首を振ったりして、そこに精神を集中させる。その間に別のところがみんな休んでいるっていうわけだ。

P23-24

この話から、酒井師は、この考え方は人生にも応用できるという話を説きます。

人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがちじゃない。考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃうから、「こんな苦労はもうしたくない」なんて身を投げちゃうとか。じたばたしたって、どうにもならないところをどうにかしようとするから、疲れちゃうんだよ。しんどいところを休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる。

P25

この発想、すごくいいなあ、と思いました。

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