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忘れてはいけない日に… 2023

阪神淡路大震災から、今日で28年の月日が経ちました。普段は完全に忘れてしまっているので、せめて今日だけは、あの日の記憶を辿り、心清らかに過ごす日にしておきたいと考えています。今年も神戸では、供養のイベントが行われたようです。私も最初の地震が起こった早朝の5:46には起きていました。

あの日も火曜日だった…

地震の起こった、1995年1月17日も火曜日でした。当時の日本の暦では、1月15日は成人の日の祭日で、16日の月曜日がその振替休日でお休みだったので、三連休明けの朝でした。

当時の私は、社会人四年目の26歳。前年6月に、輸出営業の部署に異動になり、業務に慣れるにつれて徐々に仕事が面白く感じて、忙しくも充実した頃だったような気がします。前日まで、大学時代の仲間と新潟県の方までスキー旅行に行って目一杯楽しんで帰ってきた翌朝だったので、その余韻が残っていたのか、珍しく早起きをしていました。

地震発生は、ベッドの上で点けていたテレビを通じて知りました。ぼんやりしながら聞いていた内容から、とんでもない事態になっていると察知して、慌てて実家に電話したら、その時はまだ通じました。両親は健在で、実家も大きな被害はないということだったので、安心はしたものの、その二時間後に連絡を取ろうとした時には、最早全然連絡はつかなくなっていました。

28回目の日に思うこと

コロナ禍もあって、神戸の街にはもう3年以上も行っていません。年末の帰省の際に通過したものの、今回は限られた時間の中でゆっくりと訪れる機会がありませんでした。学生時代、社会人時代を通じて、神戸との関係に、こんなに長いインターバルがあったことはありません。当時の震災の爪痕は、街から年々消えていき、復興というフェーズはとうの昔に過ぎ去りました。

私は、地震があった約1週間後に神戸に入りました。慣れ親しんでいた街の寂しそうな光景は、今でもくっきりと思い返すことができます。学生時代に大切に刻んだ思い出の場所の数々が、無残にも崩れ落ちていることに大いに心を痛めました。私の身近な人で命を落とした人はいませんでしたが、6,437人の死者(行方不明者3人を含む)と43,792人の怪我人を出す大災害でした。

悲しみの記憶は風化させてはいけない、というのは正しいとは思うものの、年月の経過は状況を変えていきます。実際、あの日、あの時、あの場所で、あの恐ろしい出来事を体験していない人(私もそうです)にとっては、遠い日の記憶であり、教科書やニュースから後追いで学んだ知識に過ぎません。当時は幼くて起こった出来事の事情をよく呑み込めていなかった人々が社会の中核の地位に座り始め、震災以降にこの世に誕生した人々が、次々と成人していきます。28年とは短くはない月日です。

私は、あの出来事を、遠方からとはいえライブで体験した人間として、あの日をきちんと覚えておきたいと思っています。決して消せない記憶だとは思うものの、細部は朧気になっていくので、何度も繰り返し、あの日の出来事を文字にしていくことで、強固な記録にしていこうと思います。

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